<9・Truth>

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 ロザリーの手から、日記がばさり、と落下する。  嘘よ、と。掠れた声が漏れた。顔が勝手に、引きつり笑いをするように動く。唇が釣り上がる。眼が見開かれる。けして愉快だからではない――絶望が、ロザリーに醜い笑顔を作らせるのだ。  こんなことが、あるはずがない。  ロザリーは思い出していた。この家に初めてやって来た日、最初に食べたクッキー。さくさくと軽く、それでいてナッツが入っていて非常に美味だったのをよく覚えている。そういれば、あれも誰かの手作りと言っていたのではなかっただろうか。  そして、その日の晩からもう豪勢な食事を出して貰っていた。あんなに分厚いステーキなど食べた事がなかったと思う。自分のような新人の、労働階級でしかないメイドにまであのように豪華な食事を出してくれるのかと感激したものである。分厚い肉を切り、噛み締めた時にじわりと溢れた濃厚な肉汁。野菜がたっぷりの濃厚なスープの味を今でもはっきりと思い出せる。そう。  あの中にひょっとしたら――ベルゼブブが齎す、特別な蠅の卵が。  それが今、自分の腸の中に。 「う、うげぇ……!」  思い出してしまったのが裏目に出た。気づけば酸っぱいものが食道を逆流し、口をいっぱいに満たしてしまっていたのである。ダメ、と思った瞬間には嘔吐していた。窓もない狭い地下室に、饐えた臭いが一気に充満していく。――最初に嗅いだ臭いの正体が同じものであったと気づいて絶望した。この部屋には最初から血と臓物、吐瀉物と排泄物の臭いが強くこびりついていたのである。  何故か。決まっている。メイド達の一部は、恐らくこの場所で――。 ――なんで、なんでなんでなんでなんで!?なんで、こんなことするの!?蠅の卵なんてそんな気持ち悪い……!私のお腹の中にもいるの!?蛆虫が、たくさん詰まってるっていうの!?  そういえば、焦っていたせいで今まで一度もトイレで自分が出したものなど見なかった。もしや、気づかなかっただけで――便器の中では蠢いていたのだろうか。あの白い砂粒のような、小さな虫の大群が。 「い、嫌、嫌あ……!」  そして。ロザリーは己が吐いた未消化物を見てしまう。ただの吐瀉物にしては明らかに色が赤茶じみている。血が未消化物に混じっているのは明白。はっきりと分かる、内臓が損傷している痕跡だ。そして。  その海に、ぷつぷつと浮かんでくる白い粒は――まだ生きて、びちびちと跳ね回っているではないか。  そう、この日記の少女と同じ。自分も既に、腹の中にはもう――。 「な、何でよ……何でなの。何で、何で私がこんな目に遭わないといけないの、ねえっ……!?」 「仕方のないことなのだよ、それが我らが蠅の王の意思なのだから」 「!?」  半狂乱になって、ロザリーが叫んだ次の瞬間。  後ろから、異様なほどに落ち着いた男性の声が響き――ロザリーの意識が、ぶちり、とそこで刈り取られたのである。
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