第3話

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第3話

「ん? いま、なんて……」 「わざわざ二度も口にさせるとは、姫様は性格がちょっぴり歪曲していらっしゃる……」 「アンタも丁寧なふりしてたいがい失礼なこと言うわよね」  ここまでプライベートな会話をしたのは今夜が初めてのため、クーネルはようやくこのシャーリーに慇懃無礼な面があると分かってきた。 「あなた、ルイ先生のことが?」 「はい」  読書家のクーネルは、たくさんの恋物語をたしなむうちに、同性の恋を描いた物語にもいくつか出会っている。シャーリーのような人が存在することももちろん知っていた。けれど、納得がいかない。 「なぜ、なぜなの……こんな究極の美少女を目の前にしながらスルーって!」 「騎士が姫に個人的感情を抱くなど、騎士道に反する重罪だと思われますが……私は常識的に任務を全うしているのに、なぜ非難を浴びるのでしょうか。だいたいクーネル姫は若干、十二歳であらせられる。私は成人なので無理があるかと……」 「無理!? なにを意味の分からないこと言ってるの! 少女と青年! 騎士と姫! いけないと分かっていながらも惹かれあってしまうのが人間の業というもの。許されない道だからこそふたりの恋は燃え上がる。だいたい大人の男性はみな美しい少女を好むものでしょう? 若い方がいいっていうじゃない!」 「同世代でも充分若いので、だったら同世代の方がいいです。犯罪者になりたくないので」 「あああ、あなたはこの世のロマンスというものがわかっていないようね! 倒錯の恋ほど美しいのよ! 私の恋愛小説コレクション貸すから、出直してきてちょうだい!」 「お怒りのところ大変申し訳ありませんが、私はものすごく急いでいます。ルイの命がかかっている。クーネル姫」 「な、なによ」  そういえば、なぜ彼はこんなことを自分に伝えたのだろうか。 「もし私とルイ、二人とも帰ってこなかったとしたら、魔女パドゥーシカの手下にされたか殺されたかのどちらかです」 「待ってよ、急にそんなこと言われても――」 「そのときはクーネル姫、この真実にはいっさい触れずに、陛下には、あの二人は愛し合って駆け落ちしたのだと伝えてください」 「え? なに……」 「嘘でもいい、せめて城の者たちの記憶の中でだけでも、私はルイの恋人として添い遂げたいのです。そのために、あなたにお話しました。従者でなく一人の人間としての、最初で最後のお願いです。それでは――どうかお元気で」 「シャーリー!」  誠実に姿勢を正して一礼したシャーリーは、疾風怒濤の勢いで駆けだした。日頃鍛えて訓練を怠らない真面目な騎士だ、頑丈な足で本気を出されたら、クーネルが追いつけるわけがない。 「待ちなさい……!」  シャーリーのたくましい背中がすぐに闇に消えた。  場所は南の森だと言っていた。城の裏手に広がる広大な森林で、魔法のアイテムを作るための木々が生成している。ここから歩いていける距離だった。  立ち向かう相手は希代の魔女パドゥーシカ。  騎士は魔法が使えない。魔法とは理不尽な力だ。腕や剣一本で立ち向かえるものではない。ほとんど死ににいくようなものではないか。  騎士と教師、大事な従者ふたりを、よくわからない魔女パドゥーシカのせいで理不尽に、いっぺんに喪うなんて。我慢ならなかった。 「許せない。可憐な姫であるわたしを差し置いて、魔女と従者で勝手に盛り上がるだなんて……! 主役はわたしなの、いい? このわたしクーネルよ」   彼女は部屋に舞い戻り、寝間着のワンピースの上にねずみ色のみずぼらしい丈のながいパーカを羽織ってフードを頭にかぶった格好で、城門に向かって駆けだしていた。毛羽だって薄汚れた着物だ。王家の者が腕を通すようなしろものではないため、以前、町で拾って変装用に確保しておいたのだ。  警戒しいしい、軽微な手薄な裏門に回ると、なぜか門兵がいない。ここにくるまでの間じゅうも、誰にも見つからなかった。魔法で百年の眠りについた物語のように、城中が水を打ったように静まりかえっている。どうしたのだ、これは……。  シャーリーが城を抜け出すことを咎められないように、裏から手を回して、警備の手をゆるめさせたのかもしれない。シャーリーにそんな権限はないため、どんな手を使ったのかはわからない。  彼は……本気なのだ。  背中にぞくりと震えおびえながらも、クーネルは森に向かって広い道をひた走った。このあたりはまだ城の近くなので魔法の結界が利いているため、凶悪な魔物におそわれる心配はない。けれど、昼間だって外にでるためには長い手続きを踏んで、許可を得て、おつきの者を十名も従えなければならない。ましてや夜中など。  ふだん全力で走ることもない。すぐに心臓が苦しくなる、息が切れる。  ええい、魔法でショートカットを!  クーネルは左手を虚空へとつきだした。手の中に魔法の杖を呼び出して、構える。 「南の森へ急いで! 早くよ!」  杖が叫び声に呼応し、ジェット機のようなモーターがにょきにょきと生える。杖に横のりに飛び乗って、一気に加速を付けた。  ***  南の森の入り口に静かに佇む。夜中なのにどこかほの明るい空気が漂っているのは、葉っぱの色がピンクだからだ。  クーネルの住むトワール王国城から2キロほど。自然豊かな森が広がっている。ふつうの森ではない。魔法の物質マナテルの漂う場所だ。南国のジュースのようなピンクとオレンジの二色に彩られた樹木は、マナルーンの木という。二酸化炭素を吸ってマナテルを吐き出す特徴を持つ。その木の幹には凝縮したマナテルが宿り、染み着いているため、杖などの魔法道具をここから作る。この森が近場にあるおかげでトワール国は世界有数の魔法大国としてその名を馳せることになった。  魔女パドゥーシカが、途方もない魔力の持ち主であるならば、この森に籠もることは、五万の兵士を得たようなものだ。森にあふれるマナテルを手のひらに集約し、強力な魔法を使い放題になる。  しかし、それはクーネルも条件は同じだった。  こっちだって魔法を全力で使えるのだから。  魔女パドゥーシカがなんだ、噂だけで見たこともない。きっとたいしたやつじゃない。  それよりも許せない。この美少女をスルーするなど!  己を奮い立たせ、茶色い皮のブーツで足を踏み入れた。  一歩入っただけで背中に冷や汗がつうっと流れた。なんという圧迫感か。口にタオルを押しつけられているような気分だった。  マナルーンの木々が立ち並ぶほかにも、季節の花があちらこちらに咲いている。きゅうりぐさ、からすのえんどうが、道ばたに茎を伸ばして、かわいらしい青とむらさきの小さな花をつけている。  本来ならば、昼間に来て植物図鑑を片手に、のんびりと花の観察でもしたいところだった。そんな場合じゃない。  邪悪な魔女の気配が漂ってくる。水の気配のする奥の方からだ。完全におびえながら腕を自分で抱えるような格好で一歩ずつ進んでいく。 「な、なんかいる……?」  気づくとクーネルの背後に、魔女の気配ではないものが混じっていた。まさかここに来て、魔女以外の者の危険に気づくとは。賊のたぐいか、魔物か、様々な危険の可能性が頭をぐるぐるする。  魔女パドゥーシカに邂逅する前に、肝心な場面が始まる前にジエンドなんて、冗談じゃない。そんな物語だれも読みたくない!  だいいち美しくない。可憐ですてきな主人公にしてヒロインのクーネル姫が主人公のおはなしには、ハッピーエンドしか似合わないのだ。  先手必勝!  草むらのこすれる音がして、クーネルは振り向きざまに呪文を唱えた。 「石鹸!!」  魔法の杖で丸い軌跡を描くと、その輪が虹色に光る、全長2メートルほどもある大きなシャボン玉がぽよんと生まれた。後ろからやってきた一人の男の正面にシャボン玉が思い切りぶつかり、ばちんと弾ける。  ぬわーっと叫び、その男は、せっけん水でぬめった地面でまともに足をすべらせて尻餅をついた。 「…………シャーリー!?」 「クーネル姫……!」
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