第7話

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第7話

「ねえお兄さま、わたし今回すっごくがんばったわよね?」 「お前にしては珍しく人のために動いていたな」 「こんなに尽くしたんだし、すこしは考えてくれてもいいんじゃないの? 新しいハンサムな従者を雇って――」 「そんな約束をした覚えはない」 「うう、だませなかった……」 「ばかなのか?」  兄のめがね越しに冷たい視線が降り注がれた。 「だいたいお前にはもう決まった相手がいるだろう」 「ぐうっ……」  痛いところを指摘され、クーネルは黙った。無駄に声の大きな兄の口をふさぎたい衝動にかられるが、祝いの席なのでぐっとこらえる。  その正に婚約者の少年が、クーネルの席の左となりに出席していた。  2歳児ほどもある大きさのくまのぬいぐるみを抱きかかえ、微動だにせずに、彼は結婚式の様子を見つめていた。抱えたぬいぐるみと似通って、ふくよかで丸みを帯びた体型が実に子どもらしい、かわいらしい容姿をしていた。 茶色の髪に金色の瞳、色白の肌は頬に常に赤らみ、そばかすが散っている。  クーネルより二歳年下の、十二歳の少年、マチアス・アキ・グラディソール。 西の大陸の国、グラディソールの第五皇子。 いずれ彼はこのトワール国に婿として迎えられて、同時にクーネルが女王に即位する予定なのだ。マチアスが生まれたときから決まっていた。もっと小さな頃は、気が遠くなるほどの先の話だと思っていた。けれど、次第に年月が過ぎ、それは現実味を帯びてくる。  マチアス。容姿はかわいらしいので、成長すればハンサムになる可能性はゼロではないが、そこは大した問題ではない。彼には幼少期から心にかたく誓ったれっきとした『相手』がいるので、その人以外と結婚は絶対にしないと豪語している。 そのため、こうして公式行事の席などで顔を見合わせると、ふたりはいつでも、この婚約がどうにか破棄されるためにはどうすればいいかと、目配せしてため息を付いた。  本来ならば継承権が先にある兄リカルドが王位を継承しないのには、訳があった。彼は生まれつき病気持ちで、国のお抱えの医者や星読み(占い師)たちから、長生きは叶わないだろうと宣告されている。本人もそれは了承済みだった。  現在の王と王妃はクーネルの祖父母。その下には父親が控えている。  そのときがくるまでに、どうにかできないかと気を揉んでいた。クーネルには確定した未来があるゆえに、自由恋愛に憧れている節もある。  駆け落ちするほどの運命の恋に落ちてみたいと、夜な夜な想像を膨らませているのだ。  お気に入りのくま以外に対しては死んだ魚のような目で接する、愛想のないマチアス。 「……なあ、あの従者……」 「え、なに? なんかいった?」  必要最低限の会話しかしてこなかった婚約者に突然話しかけられて、飲みかけのジュースのグラスをテーブルに戻した。クーネルがマチアスを見やると、彼は頬を照らせていた。 「余は初めて目にしたぞ。結婚とは、かくも自由であるのだな」  王族とはいえ、その一人称はどうかと常々思っているが、出会った時、マチアスが言葉を覚えたときから教育係にそう刷り込まれてしまったようなので、もはや後の祭りで、言うタイミングを逃している。 「トワール国は、パートナーシップ制度があるからね。同性カップルも届けを出して、男女の夫婦と同等の権利があるのよ。ただ、まだ偏見はあるしこの制度が市民に浸透しているとも言えないから、それを市民にアピールするためにも、シャーリーとルイの結婚式を大々的に国をあげて行ったってのもあるわね……お兄さまは詳しくは言わないけど」  よりいっそう気をつけて彼女は声をひそめる。結果的に、国の事業を喧伝のため、政治的にふたりを利用したことにもなり、悪い気持ちはあったが、費用はすべてトワール側で持ったことと、なによりもルイとシャーリーが大勢の人に祝われて幸せそうなところをみると、そんなに悪いことでもなかったのかもしれないとクーネルは安堵していた。 「決めたぞ、余も結婚式を挙げると」 「……いや、わたし、キミと結婚する気、毛頭ないからね」 「なにを言って……? おまえではない」  厨房のゴミ袋でも見るような目で見られ、クーネルはむっとする。 「わかってるわよ」  こんな美少女つかまえて失礼な! 本来ならばクーネルが婚約者など、泣いて神に感謝するような幸運なのだ。 にも関わらず、マチアスがその件で笑顔になったことは一度もなかった。 「余が将来を誓うのは『彼』だ。決まっている」 「そのクマって男の子だったんだ……」  どうぶつをかわいらしくデザインした無機物であるぬいぐるみの性別設定が、マチアスの中でどちらかであろうと些末な問題に過ぎないが、一応クーネルは突っ込んでおいた。 「クマではない、リリーだ」  そのくまのぬいぐるみは、世界有数のおもちゃ会社「シュシュベア」が制作したものだ。三歳の誕生日、マチアスにプレゼントされたその薄茶色のふわふわのぬいぐるみ。彼は、ほかのおもちゃは食べ物やかわいい生物には、ほとんど興味を示さなかった。母親にしか笑顔を見せないという、とてもおとなしい子だった。  そんなマチアスが唯一、興味を持ち、それ以来大切にいつもそばにおいている。最初は既製品の、シュシュベア専用の衣装を取り寄せて着せていたが、それに飽きたらずに自ら針と糸でマチアスは手縫いでリリーの衣装を作り始めた。今ではプロも驚く裁縫の腕前になり、作品は百着近くもある。自分のワードローブよりも種類が豊かだという噂だ。  幼少期は微笑ましいと思われていたマチアスの言動も、徐々に年を重ねるにつれて異様な光景として映し出されていた。彼の国では周囲の関係者、従者たちが、どうしたら現実の人間に興味を持ってもらえるのか頭を悩ませ、苦慮しているらしい。  とはいえ、クーネルにとってはどうでもいいことだった。マチアスが幼なじみの女の子が好きだろうと、くまのぬいぐるみと愛していようと、興味がなかった。 「べつに結婚式をあげなくても、あんたのなかでリリーと結婚する気持ちが確かならそれでいいんじゃない?」 「少し前まで余もそう考えていた、しかし――」  羨望のまなざしで、マチアスはシャーリーとルイが並ぶ姿を眺めていた。いざ目の前に、祝福されるふたりをみていたら、いてもたってもいられない気持ちに自然となったのだろう。 「日頃世話になっている大勢の仲間に祝福されるというのは、心地よい。余は、余とリリーの関係を咎められ、眉をひそめられることは数あれど、祝われた経験が皆無だ。幼少期はあったような気もするが、今かえりみると、あれはただ子どもの戯れ言だと思われており、本気にされていなかったのだと悟った……」  悔しさを眉ににじませてマチアスは、リリーのおなかを優しく撫でた。十二歳になって、ぬいぐるみと本気で一緒にいる彼を正気ではないと、配慮なく言う者もあった。けれど、ごくたまにこうして公式の場で会って少しの言葉を交わしてきたクーネルから思うことは、マチアスはすこし変ではあっても異常者ではない。むしろ言動などは一般の子どもよりもしっかりしていた。 「そっかー……」 「おまえ、協力せよ」 「え、なに。わたしがっ?」  確かに今回は兄からの直接命令を受けて、クーネルが中心となってシャーリーとルイの婚礼の義を進めてきた。が、マチアスの望みは公式行事とはかけ離れている。ましてやクーネルは一応、マチアスの婚約者の立場だ。 「そうね……いや、難しいとはおもうけど……うーん、ちょっとま……」  額に手を当てて思案をはじめたとたん、その考えを断ち切るほどの衝撃的な光景が目に飛び込んできた。  披露宴をまさに行っているさなか、優に百人がダンスできる広間の大きな観音開きの扉が開き、一人の女が入ってきた。居心地悪そうに肩をすくめ、きょろきょろと華やかな招待客や給仕たちを見やっている。正装なのか金色のフードで背中をすっぽりと包んだ魔女の風体。 「パドゥーシカ? えっ?」  思わず口端にその名が上る。目を見張り、クーネルは椅子をすべりおりていた。ルイの誘拐犯がこんな場所に来るわけがない。けれど気配が、あの夜と酷似している。魔女のはしくれであるクーネルには強烈な気配で感じ取れた。  しかし、決定的に異なるのはその顔面だ。パドゥーシカは年季の入った、マナルーンの大木といい勝負といった老女の姿だった。きざまれた幾多の皺が、人生の経験を想像させた。しかし、今入ってきた女は、美しい成人女性だった。大人の年齢はよくわからないが、おそらく三十代、リカルドと同じくらいだろうか。顔の表面は隠しておらず、陽に当たったことがないような白磁の肌をしている。  まさかパドゥーシカの孫娘……とか?  国の関係者だとも思えないし、またルイやシャーリーになにかするつもりかもしれない。クーネルは暗殺者を見つけたような心持ちで静かに歩き、金色の魔女の斜め後ろに移動した。気配を殺そうにも、実際にはクーネルはこの国の姫で、ほかの客よりも豪勢なドレスを着ているので、かなり目立っていた。  すぐに着けられていることに気づいた魔女は、視線をよこした。目が合うと、クーネルは本人だと確信していた。凄腕の魔女のことだ、若い姿に変身することなど朝飯前だろう。強烈な魔女の気配は消せるはずもなく、一歩あるくごとに振りまかれていたのだ。
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