青い最期

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青い最期

「卒業おめでとう」 レストランでカルボナーラを食べている時に、母は笑顔で言った。 母は頼んだモンブランを口に運ぶ。 周りには私が通っている中学の制服を着た子達でごった返していた。今日は私が通っている中学の卒業式だったのだ。 「うん、有難う」 私はカルボナーラを飲み込んで、笑顔で返した。 三年間を終えると、とても長く感じられ、この日が来るのを待ち遠しかったのを覚えている。 中学生活は、私にとって暗いトンネルを歩いているような日々だったからだ。 新しい学校での日々は、トンネルを抜け出せるのか分からない。 ……本当に、新しい学校が楽しいのか。 考えるだけで胃が重くなった。 その時だった。 「みっちゃーん」 甲高い声が私の耳に飛び込み、フォークを手に持ったまま身を固くした。 目線を動かすと、そこには良く知る姿があった。 小野寺さんだ。 「あら、小野寺(おのでら)さん家の……ご両親は元気?」 「はい、お陰さまで」 小野寺さんと母は軽く挨拶を交わした。私は二人が喋っている間は黙々とフォークを動かし続けた。 息が苦しく、冷や汗が背中を伝う。 早く行ってくれないかと、私は願った。 小野寺さんは三年間、私をずっといじめてきた主犯格の子だ。中学に上がった時に一緒になってから三年間同じクラスだった。 こうして挨拶に来たのもきっと遠まわしに私を苦しめるためだ。 原因は小野寺さんより私の方が頭が良かった……簡単に言ってしまえば彼女の一方的な嫉妬である。 こうして大人の前では良い子に見えるが、そんなの見せ掛けで裏の顔は残酷だ。自分の権力を使い、私を無視するように女子達に触れ回ったり、私物をことごとく破壊したり、 学校裏サイトで私の悪口を書き込んだりなど、可愛い笑顔とは対照的に彼女は私をいじめたのだ。 一度先生にも相談を持ちかけたが、まともに相手にしてもらえなかった。小野寺さんがそんな事をするとは誰も信じていないからだ。 ずっと耐えてきたのも、私を理解してくれる友達がいたからだ。 でなければとっくに自殺していた。 更に憂鬱なのが、彼女と高校が一緒で、仲の良い友達は別の高校に通うのだ。 ……今から、怖くてたまらない、また地獄が待っているのではないのかと。 はっきり言ってしまうと、彼女が新しい生活の中で私を苦しめる原因だ。 「春妃(はるひ)ちゃん、美由紀(みゆき)とも仲良くしてね、二人とも同じ学校なのでしょ?」 母は小野寺さんに語りかけ、小野寺さんは答えた。 「ええ、みっちゃんとは親友なんですよ」 小野寺さんは私の隣に座り、私に笑いかける。 ”みっちゃん”と呼んでいるのも表向きだ。クラスでは”美由菌”などと呼んでた。 いじめっ子が間近にいて怖くて言葉が出ない。 「そうよね?」 小野寺さんは私の肩に手を回し、母に気付かれないように悪意に満ちた目線を私に投げかける。 母には私がいじめられていたことは話していない。余計な心配をかけたくない。 この瞬間も、その思いは変わらない。 「そうなの! 私と春妃ちゃんは親友なの! だから学校が同じで嬉しい!」 私は苦笑いを浮かべ、言葉を搾り出す。 心の中では嫌だ嫌だと叫んでいるが、ぐっと抑える。 白々しい嘘をつかなければ、私の立場が悪くなるからだ。 「なら安心ね、春妃ちゃん、美由紀をお願いね」 「ええ、任せて下さい」 母は満足そうな顔をした。良かった。信じてくれた。 ここで疑われたら困るからだ。 やがて小野寺さんは笑ったまま、席を立ち、私と母に言った。 「それじゃあ、私はこれで失礼します。みっちゃん、高校で会おうね」 小野寺さんは手を振り、自分の席に戻った。 私は冷えたカルボナーラをゆっくりと食べた。母は小野寺さんを絶賛していたが、私にとってはそれどころでは無い。 ……高校に上がっても終わらない。そう痛感した。 私は新しい学校の門を潜り、沢山の生徒と混ざって玄関へと行った。 そして、私の名が刻まれた下駄箱の側に来て、上履きが入っている小さな扉を開く。 「……あれ?」 私は呆気に取られた。そこにあるべき物が無い。 昨日、ここに確実に入れたはずだ。 すると突然、私の真後ろから物が投げられ、私は振り向く。 そこには小野寺さんと女子二人が立っていた。 三人とも悪意に満ちた目で私を見る。 「あんたの靴はここにあるわよ」 小野寺さんは私に物を投げつけ、満足したらしく、笑いながら去った。 私は落ちた上履きを見ると、そこには悪口が沢山書かれている。 人格を平気で傷付ける言葉の数々に、私の心は痛む。 胃が悲鳴を上げる中、私は来客用のスリッパをはいて、教室へと急ぐ。 先生に聞かれたら「忘れました」と言って誤魔化すしかない。 廊下を歩いている間、生徒達が私を見てヒソヒソと話をしている。 ……一体何だというの? 私は話をしている生徒を見るが、生徒は私と目が合うなり、そっぽを向いた。 教室に来るなり、私はその場にいた同級生達に冷たい目線を浴びせられる。 小野寺さん達は、黒板の側で立っている。 嫌な予感がして私は黒板を見た。 そこには大きく”美由菌は出会い系サイトで知り合った男と付き合っている”と書かれていた。 「わああっ!」 私は飛び起き、何度も呼吸をする。 新しい高校に行き、小野寺さんにいじめられる夢だ。 入学式に近づくにつれ、夢も段々と現実を帯びていた。 私は両手を頭に抱え、体が震える。 高校生になっても、中学生と同じ苦しみを味わうのか。 考えれば考えるほど、集中力が削がれる。高校から出された課題は手付かずのまま。 壁に掛けられている高校の制服を見ると、悪寒が湧き上がり、私は自室のドアを開き、トイレに駆け込んで激しく嘔吐した。 「美由紀、どうしたの?」 母が心配そうに声をかける。 無理もない、夜中にトイレで吐くなど、普通は有り得ないからだ。 どこか具合でも悪いのかと思うだろう。 私は首を横に振り、明るい声で言った。 「平気よ、気持ち悪くなっただけ」 私は笑顔を作った。 「本当に?」 「心配ないって!」 これ以上干渉されないためにも、私はトイレを後にする。 気持ちが悪くなったのは、今に始まったことではない、中学生最後の春休みに入ってからだ。 新しい学校に行くことに対する不安と、学校で小野寺さんに再びいじめられるのでは……という恐怖によるストレスから来ているのだろう。 母に明るく振舞ってはいるが、もう限界だった。 日に日に苦痛が増し、私の心を蝕むのだった。 入学式の前日、私は遺書を自分の部屋に残し、ベランダに来た。 高校に入ってもいじめ地獄が待つのだから、自らの命を絶つことにした。 無論、母のいない時間帯を狙ってのことだ。母に自分の娘が死ぬ姿など見せたくない。 空は青く晴れ渡り、空気も暖かい。明日もこんな風に晴れるが私には関係ない。 ……もう、何もかも終わらせよう。 私はベランダの手すりをしっかり掴み、手すりの上に立つ。 目から涙が溢れた。悔しさと悲しさも胸の中に渦巻いていた。 このまま生きていても辛いだけ。 延々と続くぐらいなら、終わらせてしまおう。 ……お母さん、ごめんね。 私はベランダから飛び降りた。 最期の瞬間、空の群青色が私の脳裏に焼きついた。
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