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第一章 異世界
第3話 見知らぬ森
外法の陣に吸い込まれた体は、為すすべもなく翻弄された。まるで濁流にのみこまれた落ち葉のように。そしていつしか翠は気を失っていた。
◆◆◆
目を覚ますと、見知らぬ森の中に居た。
いったいどのくらい時間が経ったものか。翠にとってこのように巨大な力に翻弄されるのは、ここ数百年なかったことだ。
怪我はない。右手には鈴のついた棍がある。けれど付近に祐樹の姿は見えない。
「うむ。面白くないの」
身を起して付近を見回す。
「ほう」
思わず声が漏れた。森の植生もこれまでに見覚えのないものだったが、何よりもおかしいのはこの大地を包む大気だ。
「妖気が……濃いのう」
大気の中には、目には見えないが微量の妖気が含まれている。翠の扱う術に使われるのがこの妖気であり、妖気と怨念が合わさって生まれるのが禍だと言われている。
これまでどんな霊峰に行っても、これだけ濃い妖気を感じることはなかった。妖気自体は体に害はないとはいえ、これほど濃ければさぞかし力のある禍が生まれるだろう。
気配を探ると、遠くに何やら動きがある。
「うむ。行ってみるか」
ここがどこであれ、森の中を歩くのは翠には慣れたことだった。しかも濃い妖気は禍だけでなく翠にも力を与える。最初は少し戸惑ったスニーカーの履き心地にも、すぐに馴染んだ。
スニーカーに目をやると、祐樹の初々しい笑顔が浮かぶ。
「祐樹を、探しに行かねばなるまいな」
翠の目的がひとつ決まった。
騒々しい気配は、近付いてみるとすぐにそれが何であるか分かる。
濃い存在感を放つ禍が三体。これまでに出会ったことがないくらい、濃くてはっきりしている。さすがに大気中の妖気が濃いだけある。
そして人間が二人、その禍と戦っていた。
禍は翠の知っている闇のかたまりではなく、実体を持ってそこに在った。その姿は一見熊のようにも見える。だが身長が人の二倍以上もあろうかという巨大な体躯で、額からはねじれた角が二本生えていた。
「ティム、魔力はまだ残ってるか」
「フレイムランスが一回分くらいです。とてもホーンベア三体は相手に出来ません。あっ、グレンっ!」
「ぐはっ」
人間たちは見慣れない姿をしている。この大気といい、人間たちといい、どうもおかしい。だが不思議と言葉は理解できるので、翠はそれ以上考えるのをやめた。
熊の攻撃を受けそこなったのか、大振りの剣を持った人間が後ろの木に叩きつけられる。どうやら禍の方が強いらしい。
「手助けしても良いかの?」
そう一言だけ声をかけて、翠は手に持った棍を無造作に突き出す。
――シャラン。
「え?」
声に驚いて人間が翠の方を向くと同時に、翠の立っている近くにいた熊が膝をついてどうっと倒れた。見れば熊の背中に翠の持つ棍が深々と埋まっている。それを引き抜くと、今度は倒れた熊に向かって、翠はさっきよりは心持ち力を入れて再び棍を突き出した。
「ギャアアアアゥッ」
「うむ。普通の禍よりも少し手ごたえがあるのう」
先がとがっているわけでもないただの棒に見える棍だが、それは熊の胸を突き抜けて地面まで届いたようだ。すると一瞬の後、その体は実体を持たぬ闇に変わり、その闇は凝縮してひとつの石へと変わる。
「ほほう、石に変わるとは! 面白いの」
「な、何だ今の技は。ホーンベアをこんなにあっさりと……」
――シャラン。
「ギャアアアアゥッ」
残った二体の熊が振り返った時には、すでに翠の棍がその片方の胸に深く突き刺さっていた。今度は一撃だ。まったく反撃もできないままに、熊は石に変わった。
その時、残る一体の熊の角が怪しく光った。
「危ないっ!サンダーボルトが来ますよっ」
人間のうちの一人が、慌てて手に持った木の杖を構える。杖の周りに妖気が集まるのが分かった。そして杖と同じように、熊の角にも妖気が集まる。
「うむ。どんな術か見てみたいが……まあいいか」
翠がそう言い終わった時には、すでに棍は弧を描き終えて元の位置に戻っている。少し遅れて熊が咆哮を上げた。その角は根元からぽきりと折れて地面に落ちている。
「フレイムランスっ!」
木の杖を持った人間がそう声を上げると、杖に集まった妖気が炎の槍を形作る。人間が手を振るとその槍が投げられ、熊の腹に当たって燃え上がった。
熊は怒り狂って腕を振り回し、腹に纏わりつく炎を消す。そして槍を放った人間に向かって牙をむき出し威嚇する。
――シャラン。
涼しい音が響き、熊の身体がざっくりと二つに分かれた。そしてそれはギュッと凝縮してひとつの石に変わる。
「炎を刃にするとは、面白いの。ふふ。妖気が濃いと、面白い技が使える」
翠はにこやかに笑う。その手に持つ棍は、炎を纏い妖しく揺らめいていた。
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