第一章 異世界

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第5話 異世界の片隅に(祐樹)  足元に魔法陣が現れて、異世界に召喚される。  そんな嘘みたいな出来事が、祐樹の身に起こったらしい。 「ここ……って、どこだ?」  見たことのない場所にいる。だが幸い怪我は無い。背負っていたリュックはちゃんと背中にあったが、中身は大学で使う勉強道具ばかりで、食料といえばのど飴が入っているくらいだ。あとはポケットの中に財布とスマホ、そして翠に貰った根付が出てきた。 「そうだ! 翠は?」  魔法陣の中に翠が飛び込んできたのはギリギリ見えた。危ないから来なくていいと、言ってあげればよかった。もっとも、祐樹に言葉を発する余裕など全くなかったのだけれど。  立ち上がって周りを見ても、翠らしき影はない。いや、翠だけではなく人も動物も見当たらない。ただくるぶしが埋もれる程度の草に覆われた、草原が広がるだけだ。よく見れば、少し離れた所に草が踏みしめられてできた道がある。その道の先にはなんだか大きな壁が見えるから、あっちに行けば人が住んでいるのだろう。 「召喚者らしい者も見当たらないな。ってことは、翠が駆け寄ったことで正しい場所に召喚されなかった可能性がある」  わずかばかりのラノベの知識に常識的な仮定を加えて、祐樹は冷静にそう推測した。 「こういう場合は、どうすればいいんだろう。何かチートな能力が身についていればいいんだけど。あ、そうだ。ステータス、オープン!」  叫んではみたものの、何事も起こらない。  祐樹は赤面して辺りをうかがう。  大丈夫。誰も見ていない! 「ははは。そんなゲームみたいなことは……ないよな。魔法でも使えればいいんだけどなあ。ファイヤーっと」  そう言って何気なく手を突き出した祐樹の指先に、ポッと小さな炎が灯る。 「うわあっ」  炎はあっけなく消えた。 「魔法……使えるじゃん。俺ってすげえ!」  子供のようにはしゃぐ祐樹の視界に、動くものが見えた。壁の方からこっちに向かって歩いてくる。人のようだ。  ちょっとだけ祐樹は思案する。はたして最初に会う人がいい奴なのか悪い奴なのか分からない。このまま待つよりもどこかに隠れたほうがいいのではないか……。  だが悩んだのはほんの一瞬だった。そもそも近くには、どこにも隠れるところなどない。逃げ隠れて生きていける自信はないし……。 「ファイヤー」  ポッ。 「ライターの火程度の魔法じゃあ、きっとチートとは言えないよなあ」  体力や運動能力こそ人並みだが、祐樹は自分が人と戦うことができるとは思わない。性格の問題だ。敵意を持って襲い掛かられたとしても、果たして抵抗できるかどうか自信がない。  だったら相手がどう出るか分からないうちは、普通に話してみるしかないだろう。  近付いてきたのは、ごく普通の人間に見えた。質素な服を着て背中にかごを背負った、小学生くらいの男の子だ。 「あのー、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」 「なに? 変な格好のお兄ちゃん」 「言葉は通じるんだな。よかった。あの、ここが何処か教えてほしいんだけど」 「お兄ちゃん迷子?」  不審げにそう言うと、子供は手を出した。 「何?」 「情報料だよ。当たり前だろ」 「ここが何処かって聞いただけで情報料か……世知辛いな」  そう言うと祐樹は背負っているリュックを探ってみた。  大学に行く途中だったから、中に入っているのは勉強道具がほとんどだ。財布の中に金はあるが、ここでは使えないだろう。他に交渉に使えそうなものなんてないけど……。テキスト類なんて重いだけで何の役にも立ちそうにないから、これでいいかな?なにしろ買った時にはずいぶん高い金を払ったんだし。  テキストの中でも写真の多いものを選んで、取り出して見せた。 「これでいい? いろいろ聞きたいことがあるんだけど」 「何これ……すごくキレイな絵が……」 「これあげるから、いろいろと教えてほしいんだ」 「ばばばバカじゃないの、お兄ちゃん。普通子供が情報料くれって言ったらあめ玉とか焼き鳥とか、そんなもんだろ! 何でこんな馬鹿みたいに高そうなもんだしてくるんだよ! くそっ」  そう言いながらも、子どもは祐樹からテキストをひったくって、背中のかごへ入れる。それから何かブツブツ文句を言いながら、来た道を帰り始めた。 「何してんだ、ついて来なよ。兄ちゃん、物の価値が分かってねえだろ。こんなもの持ち歩いてたら、すぐに死ぬぞ。俺が保護してやるから」 「保護って……」 「人にものを貰ったら同じ価値のものを返さないといけないんだぞ。姉ちゃんがそう言ってた。こんなもん貰っちまったら、どれだけ返さないといけないと……。まったく。薬草採取なんかしてる場合じゃないだろ!」  そうか。有機化学のテキストは貴重品になるらしい。  小学生くらいの子供に保護されるという状況に、若干の抵抗を感じないわけではない。けれど他にいい案も思いつかない祐樹は、素直にその子供の後について壁の方へと向かった。
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