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プロローグ
第1話 プロローグ~祐樹~
――シャラン。
千年の昔、鬼がいたという。
それは黄金の髪に翡翠の瞳。
美しくも残酷な鬼は人を喰らう。
高僧により鎮められた鬼は、
禍を討ちこの国を守る。
だが鬼は今も鬼のまま。
鈴の音が聞こえたら家にお入り。
赤い着物を着た美しい鬼がくるよ。
――シャラン。
山の中を通る道は、暗いけれども一応はアスファルトで舗装されている。祐樹がバイト先から家へ帰る最短コースが、この山道だ。
バイト先が強引に時間を延長したので、祐樹は家まで一時間の道のりを歩くしかなかった。
暗いな。やべえ。もう絶対このバイトは辞める。そう心の中で悪態をつきながら、祐樹は黙々と歩く。子供じゃないんだから、暗闇を怖がりはしない。大きな月が出ているだけまだましだった。だがそういえば最近、この近所で熊が出るという噂も聞いたような……。
そわぞわっと背筋が寒くなり、鳥肌が立つ。暗闇が実体をもって迫りくるような、ついそんな気がしてしまう。
ガサガサ。
「うわっ」
風が鳴らすよりも大きな音が、そばにある草むらから聞こえた。祐樹は走り出したい気持ちを抑えて、草むらを覗き込む。なぜならその草むらから見えていたのが、真っ白い人の腕だったからだ。
「大丈夫ですか」
「う……む。問題ない」
草むらから這い出してきたのは、古風な赤い着物を着た女の人だ。一瞬映画の撮影かと思って祐樹はカメラを探してしまった。
改めてよく見ればその女性は額から血を流している。外国人みたいな色の白い金髪美人だった。
「全然大丈夫じゃない!怪我してますよ。あー。ニホンゴ、ワカリマスカ?ってさっき日本語で話してたじゃん。えっと、誰がこんなことを……」
「すぐに治る故、大事ない」
「でも早く手当てしたほうがいいと思うんだけど。この辺に家があるのかな?」
「家などないぞ」
「ええ……まじかよ」
そう言うと、祐樹は女性に肩を貸して立ち上がらせた。
「仮装パーティーでもしてたの? やばいパーティーだったんじゃないの?」
「仮装ぱーてぃーとは?」
「服が……」
「ああ、この着物は我が身を縛る約定。人として生きろと言った僧が着せたものよ」
「んん?」
女性の話はよく分からなかったが、仮装パーティーではなく普段着らしい。
酒の匂いはせず、やばいパーティーでもなさそうなので、事情が全然分からない。
「とにかく、一回俺の家に来て。そんなに深くはなさそうだから、傷を洗って絆創膏を貼れば良いと思う」
「私は人里に降りてもよいものか……」
「んん? 言ってることがよく分かんないな。ああ、心配しなくても俺、乱暴はしませんよ。そこは信じてもらうしかないですけど」
「そなたに私は襲えまい」
「そうハッキリ言われちゃうと逆に。いやまあ、襲いませんけどね」
「では人里に降りてもよいのかの」
「もちろんだよ。こんな山の中じゃあ手当てもできないし、俺も早く家に帰りたい」
そう言うと、祐樹は女性を連れて家へと帰り道を急いだ。
道々、言葉の通じにくい彼女と一生懸命喋って、どうにかいくつかの情報を引き出すことに成功した。
彼女の名前は翠。
家はなく、放浪の旅の途中だというので、家出しているのかもしれない。少しだけ年上に見えるから二十は過ぎていると思うが、歳は分からないと言って結局教えてもらえなかった。
シャラン、シャランと翠が歩くたびに鈴の音が聞こえる。身長ほどもある長い棒を杖にしていて、その棒に鈴がついているようだ。歩き方から、足もけがをしているのかもしれないと思った。
しかもよく見れば裸足だったので、祐樹はちょっと悩んで自分の靴を貸す。
「これ履いて。あまりきれいじゃなくて悪いけど」
翠は少し驚いたように目を見開く。祐樹の顔と靴に視線を何度も往復させてから、そっと靴に足を差し込んだ。
「サイズが合わないから歩きにくいと思うけど、裸足よりはましでしょ」
「すまぬな」
靴を貸せば当然、祐樹は靴下だけで歩くことになる。平らに整っているように見えるアスファルトの道も案外でこぼこして、足の裏が痛い。
「翠さんは、どうしてあんな場所にいたの?」
「禍を打ち払うのが我が仕事ゆえの」
「『か』ってなんだ?祓うって……んー、巫女さんみたいな?」
「ほほほ。愉快じゃの。ほんに、人はもう鬼も禍も覚えておらぬのか」
翠は楽しそうに笑った。祐樹は訳が分からないなあと思いつつも、その笑顔にぽーっとなってしまう。
互いに伝わらない言葉を交わしながら、一人暮らしのアパートへと着いた。
「ほんに、部屋に入ってもよいのか?」
「どうぞ。散らかってるけどさ」
「うむ。構わぬ」
硬い言葉とは真逆の柔らかい笑顔に、祐樹は体温が上がるような気がして慌てて目を逸らせた。
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