15歳の母

5/7
前へ
/7ページ
次へ
<5>  その日はそれ以上の事も無く、無事過ぎると思っていたのだが。  旅館から連れ戻された蓮は終日、保健室のベッドの上で過ごした。  そして、蓮を送る為に学校を早退した親葉が、蓮を見守りながらタクシーで帰宅すると・・・。  其処には、蓮の事務所の社長以下、複数の芸能関係者が待ち構えていた。  「蓮~~、逢いたかったぜ!元気だったか?」  大柄な、初老の大男がタクシーから降り立った蓮に、飛びつく様に抱きついた。  「・・大熊社長!顧問弁護士の南さんまで!どうなさったんですか、一体?!」  その蓮の一言に大男は途端に口ごもり、蓮からすごすご離れてしまう。  「スマン・・・いや、その・・・・・」  「・・・おっと!」  蓮は未だクスリの副作用でふらついており、すかさず後ろから親葉が支えた。  直後、社長の隣に控えていた人物が、社長を肘でしたたかに小突きながら前に一歩進み出た。  「大丈夫かい?久し振りだね、蓮君。僕の事も覚えて貰えてたみたいでホッとしたよ」  その一言に、蓮が苦笑いで返す。  「冗談止してください、南さん。未だほんの一年前ですよ?それまで散々お世話になった方達の事、簡単に忘れる程僕は恩知らずではありませんよ」  南は横目でちらりと社長の大熊を見つめた。  その視線は氷の様に冷ややかだ。  「・・だそうですよ、社長。彼は貴方と違って、恩は忘れないタイプの様ですよ?」  胸を抉る辛辣な一言に、大熊は負けじと南に食って掛かる。  「仕方無いだろう、[ZEX]みたいな大手芸能事務所に睨まれたら、こんな俺ん所みたいな弱小、即行潰されるだろ!これでも俺は俺なりに精一杯やってんだ!」  慌ててそう口走った社長の背後で、更に食い気味にきつい言葉が返って来た。  「物騒な事を仰らないで下さいな。小社はそんな薄汚い手を使ったりは致しません。全ては自社の、優秀なタレントの能力一本で常に勝負させて頂いておりますので」  その声の主は、そう言いながら蓮の前に歩み出た。  「・・うっ、出たな・・・・」  その女性の登場に、大熊はあからさまに狼狽している。  カツカツと、田舎には決してなじむ事の無い、エナメル素材のピンヒールの音を響かせながら登場した彼女に、周囲の視線は思いの外冷ややかだ。  身長は女性にしては高い170㎝以上、以前はモデルでもしていたのであろうか・・ 小さな顔に、すらりと長い手足、目鼻立ちのくっきりとした、勝気な感じの美女だ。  その身に纏った、プレタポルテであろう、仕立てのいい深紅のスーツが彼女にはとても似合っていた。  その女性は2人の部下を引き連れて蓮の前に進み出ると、柔和な表情で微笑んだ。  「初めまして、と言いたい所だけど・・・。恐らく私達、何かの形で何処かでお会いしていると思うわ。何せ、お互いこの世界が長いものね」  微笑みながら差し出されたその名刺には、  「株式会社[ZEX]代表取締役社長 藍川百瀬」  と書かれていた。  [ZEX]は、アイドルグループ[ARRIVAL]の所属する大手芸能事務所だ。  蓮の表情が途端に強張る。  すかさず、隣で蓮を支えていた親葉が不満顔で口を挟んだ。  「おいおい・・・急に押しかけて来て、こりゃ何だ?一年前に弁護士交えて交わした筈の約束が、もう反故にされんのか?」  「いいえ、そんなつもりはないわ。今日はお話があってやって来たの。・・大楠 蓮君、貴方ウチに来ない?今日は貴方を引き抜きにやって来たのよ」  そう告げると、藍川はすかさず蓮の手に名刺を握らせた。  「待ってくれ、ウチの看板の蓮を引き抜くなんて・・・」  大熊がその一言に露骨に慌てる。  だが、藍川は大熊を歯牙にもかけない。  「ウチに来てくれるのなら、ギャラは今の倍、待遇も相談に乗るわ。どうかしら」  その時、彼女の背後で柊子に抱っこされた向日葵が泣いた。  「ぐすっ・・マンまあ、ああああ~~~ん」  「向日葵!」  蓮はふらつく身体で、皆を押しのけて向日葵の元へ思わず走り寄った。  「ふえっ・・まま、まんま、まま・・あああ~ん」  蓮にだっこされ、向日葵は泣きながら蓮の胸に顔を埋めた。  「ゴメン向日葵、ゴメン・・」  蓮は必死に向日葵を抱き締めた。  二人の背後で、藍川が更に追い打ちの一言を呟いた。  「その子についても、お話がしたいの。・・うちの看板にも拘わる、大事な話をね」  「・・・・・・・」  暫くの後、蓮は向日葵を抱き締めながら振り返り、藍川達に告げた。  「・・分かりました、お話をお伺いします。此処では何ですから、中でお伺い致します。・・いいかな、柊子さん」  柊子は静かに頷いた。  「今日はお客さんはキャンセルしておいたわ。中に入って頂きなさい」  「さ、どうぞ」  柊子と蓮は、皆を民宿に上がらせた。  その中に・・・何時の間にか現れた、先程の誘拐犯の男・・・来栖来人がしれっと混ざり込んでいた。  蓮は何も知らずに、皆を母屋の大広間に上げた。    しかしそこで、舌戦を繰り広げたのは・・当事者の蓮達ではなく、互いの事務所専属の顧問弁護士たちだった。  「未だ、碌に自身の発情期を管理出来ていない”オメガ”のタレントをマネジャーをくっ付けずに使い、”事故”を起こしたのは完全にそちらの落ち度でしょうが!」  「ですが、こちらは当時中学生、未だ発情期を起こす前だった。周囲が周期の予測も出来ない未成年だったんです!それを、御社のタレントは、寄ってたかってあんな酷い仕打ちをなさったんです!」  「そんな物、彼等が自我を失う程強力なフェロモンを垂れ流した自身の罪でしょう! 制御も出来ないのに、外をうろついた挙句襲われたからとて、果たして当方のタレントに罪があるのかどうか。そんなに襲われるのがお嫌だと云うのなら、鍵をかけた部屋にでも閉じ籠っていればいい!」  「何という暴言を仰るのか!この発言に対しては、私を含めオメガの保護団体と弁護士会を通じて後日正式に抗議させて頂きますから、そのおつもりで」  「・・貴方もそういえば、オメガでしたねぇ。あの”強姦事件”の傷はもう癒えたみたいですね、その様子なら」  大熊の温厚な表情が一瞬で変わり、拳をぐっと握りしめながら立ちあがろうとした。  その腕にそっと手を当て制止し、南がZEXの顧問弁護士を睨みつけた。  「ええ、それが何か。ちなみに、この先私の過去の「事件」に触れられるのであれば、名誉棄損で訴えられることを念頭に置いて下さい」  南のその一言を、相手は鼻で笑い飛ばした。  「フッ・・。でも・・貴方のあの「ネット生配信強姦事件」、法曹界に籍を置く者なら周知の”事実”ですよ?残念ながら。貴方も、オメガの分際で弁護士を続けたいと願うのなら、この位のマウンティングは覚悟なさった方がいい。しかもその貴方が、今度は弱小芸能事務所の顧問弁護士をなさるのだ。どれほど薄汚い言葉を浴びようが、それは仕方ない。何せ貴方は”オメガ”なのだから」  声高にそう告げられた挙句せせら笑われ、南の肩が震えた。  「・・・・・ッ!」  どうやらそんな様子も相手にとっては愉快なのだろう。  腹を抱えてケラケラと笑いながら、南と蓮を交互に見つめつつ薄汚い言葉を吐き捨てた。  「おお怖い、そんなに私を睨まないで頂きたい。だって・・貴方がオメガなのは事実でしょう?私は事実を述べているだけだ。文句は貴方達の親に言いなさい、「何故せめてベータに産んで下さらなかったのか」とね。ハハハ・・」  「もういい加減、その薄汚い罵声を止めて頂戴」  その発言には、一旦藍川が制止を掛けた。  藍川の眉間には、思い切り皴が寄っていた。  「今までの発言は全て彼個人の物よ。事務所の総意では無い事、ご理解くださいね」  その一言に、[ZEX]側の弁護士がひるみ、藍川の顔色を伺った。  「待って下さい、それは話が違う・・・」  「今、貴方とだけは話したくはないわ。私は貴方と同類とだけは思われたくない」  藍川は、弁護士とは目を合わそうとはしなかった。  その二人のやり取りに、南は露骨に眉をひそめた。  だが、この舌戦に競り負けるわけにはいかない。  [ZEX]側の弁護士が執拗に食い下がって来た。  「・・そもそも、貴方方は我々に内緒で彼を勝手に休養させたでしょうが!あれだって取り決めに無い、立派な違反行為ですよ!」  「それは貴方方の勝手な解釈だ!そもそも彼は、貴方達から賠償金や謝罪を一切して頂いていない。だから彼は、貴方方にそんな事を言われる筋合いは一切ない!」  「そんなのは、請求しなかった彼が悪いでしょう!謝罪に至っては一方的に拒否した挙句、休養扱いにして行方をくらませるなど・・・質が悪い」  「あんな思いをした直後に、彼が直接加害者に会えるはず無いでしょう!あのまま仕事を続けるのなら、嫌が応にも彼等と顔を合わせてしまう。彼はあの時まだ、メンタルはボロボロの状態だったんだ!そんな状態で加害者と鉢合わせなどしたら、彼はどうかなってしまったかも知れない。あれは仕方ない事だった。・・それこそ、”大手芸能事務所”という立場を振りかざした横暴な発言だ!所詮うちの様な弱小事務所なぞ、貴方方にすればメインディッシュを盛り立てるパセリ位の物でしょうけれど! だ からと言ってどんな横暴も許されるべきではない。貴方方は何でも自身の思い通りにならないと気が済まないのか?!彼にだって、人並みの権利があって然りだ!」  「ならば、その権利でこんな田舎に姿をくらませ、誰の子ともつかない子をこっそり出産して育てる事が、貴方の云わんとする所の”人並みの権利”だと仰るのか」  その一言には、親葉と柊子が机を激しく叩き、立ち上がった。  「酷いわ!なんて事を・・・」  「ちょっと待て、さっきから聞いていれば!幾ら何でも・・・」  二人の鬼気迫る形相に、蓮と共に端に座っていた向日葵が小さく泣いた。  「ふぇ・・・うええぇ・・・」  そこで大きな咳払いが一つ入った。  大熊社長が、助け船を出してくれたのだ。  「んん・・ゴホン!その話、あまり突っ込んだ事を仰られると、彼の心の傷を更に深く抉る事となる。此処は大人同士、互いにもう少しスマートに話し合いを進めようじゃありませんか?またそうでないのなら、俺にも言いたい事が幾つかある」  大熊は思い切り、相手弁護士を睨みつけた。  「ひっ・・・き、脅迫ですか」  「まさか。こんなモンが脅迫なんて言うんなら、アンタがさっきまでやってた事は一体何だって言うんだ?」  大熊が更に睨みつけると、相手弁護士は縮み上がってしまった。  「そそ、これからはもっとスマートに話しましょうよ。そうしないと俺もどうなっちゃうか判んねえなぁ~」  全く笑っていない親葉が、そう言いながら思い切り相手弁護士を睨みつけた。  だが、その二人の発言に藍川が異を唱えた。  「ところが、そうも言ってられなくなったのよ・・セルゲイ、あれを」  背後に控えた金髪の青年が、鞄から茶封筒に入った書類を取り出し、藍川に差し出した。  「・・これを見て頂戴」  蓮の前に差し出されたその大型の封筒には、「遺伝子検査の最終報告書」と小さく書かれていた。  「「責任を取って、貴方と一緒に居たいから」と言って、ウチの来栖来人が退所を申し入れて来たのよ。理由を尋ねたら・・・コレを出して来たの」  蓮はその名に目を見開き、藍川の顔を覗き込んだ。  「・・誰が、この子の検査を勝手になさったんですか」  その表情は、怒りと驚きに満ちている。  藍川はククッと軽く笑い、腕を組んだ。  「語るに落ちてるわよ、貴方。その表情と反応を見れば、貴方の腕の中の子が誰の子か、聞かなくても解るわ」  「・・・・・・・・」  蓮は口惜しそうに、黙って俯いた。  ずっと誰にも語らず、黙ったままでいるつもりだったのだろう。  一番つらい形で暴露され、蓮は悔しさに身を震わせた。  俯き震えるその顔から、雫がポロリポロリと幾粒も落ちた。  「・・・・・ッ」  「まあぁ~~アハハ、まま」  その涙の粒を掌に取り、腕の中の向日葵はキャッキャッと喜んで手を叩いた。  「・・・・少し、風に当たりましょう。貴方と二人で話がしたいの」  藍川のその申し出に、蓮は黙って頷いた。    民宿を出て少し歩くと、道路脇の奥浜名湖の見える絶景にベンチが備え付けられている場所がある。  今日は天気も良く、水平線の向こうに幾らか固まった入道雲が顔を覗かせているだけだ。  風もほぼ無く、湖面は波も無く静かに凪いでいる。  ただ、もう山の合間に沈んでしまった夕日が、今も水面に赤い色を添えていた。  「・・・美しい場所ね。あんな大都会にばかりいると、たまにこう云う所に無性に来たくなるわ」  「・・・・・・・」  蓮と向日葵はその絶景ポイントに着くとベンチに座り、藍川は丸太を模した柵に軽く腰掛けた。  黙り込む蓮の前に藍川がゆっくりと足を運び、抱っこしてと手を広げてアピールする 向日葵を持ち上げた。  「あっ・・・」  急な事に蓮は焦ったが、藍川は慣れた手つきで抱っこしてしまった。  「う~ん、可愛いわねこの子。名前は?」  「・・・ひまり。向日葵、と書いてひまりです」  「そっか、貴方向日葵ちゃんて云うのね。可愛い名前付けて貰ったわね、うふふ」  蓮がようやく顔を上げ、藍川をじっと見つめた。  「・・・何時、この子の事をお気付きになられたんですか」  即答だった。  「最初からよ。ヒート時のアルファの生殖能力は100%。恐らく、一番最初に貴方を抱いた人物の子を貴方が身籠るであろう事は、最初から分かっていた」  蓮は驚きを隠せない。  「・・・最初から、知っていたんですか・・・。ならば検査は・・」  「生まれた時に、最初からよ。助産師さんには上手に話を通しておいたの。だから、彼女は貴方の事情は知らないわ。・・・貴方には悪いと思ったけれど・・こちらも自社のタレントを守らなければならないの。でも、だからと言ってこんな身勝手な事を  しておいて、貴方に解って頂戴とは言わないわ」  「・・・・・・・」  蓮は何かを言いたそうだったのだが、口を突いて出る前に飲み込んだ。  藍川は蓮に軽く微笑んだ。  「ふふ・・・これでも私、子供を産んだ事も有るのよ。だから、色々解る事も有るのよ。・・まあ、私の方は最終的に「育児放棄だ!」とか言われて、前夫に子供の親権ごと取り上げられちゃったけれど。・・あんまり大人を見くびらない方がいいわよ?」  藍川は向日葵をあやしながら、蓮をちらりと見た。  「・・・・・・」  蓮はぐうの音も出ず、もう一度俯いてしまった。  藍川はきらきらと輝く湖面を見つめながら、大きな溜息を一つ吐いた。  「・・でも、私にとって誤算だったのは、貴方が芸能人としての立場も、社会的な立場も、その全てを捨ててまでこの子を産んで育てようとした事。・・しかも、たった15歳という若さで。ああ、誤解しないで頂戴ね。先程ウチのポンコツ弁護士が、貴方を傷付ける様な事を言いまくっていたけれど・・・あれは私の本心ではないわ。寧ろ私は、貴方を尊敬しているの」  蓮は俯いたまま、藍川に質問を投げかけた。  「・・藍川社長は何故、子供を取り上げられてしまったんですか」  藍川は向日葵をあやしながら、微笑んだ。  だがその表情は心なしか、悲しみに満ちている様にも感じられた。  「・・・う~ん、難しい問題ね。・・まあ、貴方とは真逆だったのね、あの頃の私は。今なんかよりとても美しくて、若くて・・ずっと憧れていた芸能人としての仕事が楽しくて仕方なかった。それに、もっといっぱい遊びたくて仕方無かった。そんな折、ふいに妊娠が発覚して・・。でもお腹が大きくなるにつれ、仕事が激減した。取り巻きだった男の子たちも、私には声を掛けてくれなくなった。出産したら・・・仕事がゼロになってしまった。その時、諦めて育児に専念すればよかったのにね・・。その時の私の心の中には、ただただ悲しい程の焦りしかなかった。目の前の赤ん坊を育てる事より、失った物を取り戻す事にしか心が傾いていかなかった。・・・・まあ、その先は・・ご想像の通りよ」  「その時のお子さんは?」  「フフ・・もう大学生になったわ。大学の前で撮った記念写真が届いてたわね。なか  なかイケメンになってるわよ」  「・・・そう、ですか」  二人はしばし無言で、景色をじっと見つめた。  「あぶぅ、まま~」  向日葵が、手足をじたばたさせながら、蓮にアピールした。  「そう、ママの所がいいの」  藍川は蓮の腕に向日葵をそっと戻した。  「キャッキャッ、あはは~」  向日葵は蓮に抱かれ、嬉しそうに手を振った。  「・・ホント、可愛いわねこの子。目元なんかは貴方にそっくり。・・でも、顔の輪郭なんかのパーツは来人に貰ったのね。よく似てる」  「・・・藍川社長・・」  藍川は屈めていた身体を伸ばし、腕を上げて大きく伸びをした。  そして大きく一つ息を吐くと、蓮を見つめてにこりと笑った。  「さあ、それじゃ今度は私からの質問。・・貴方、来人を愛しているの?」  「・・・・・・えっ」  蓮はあからさまに動揺している。  藍川は更に言葉を続ける。  「少なくとも、あの子はその様ね。数年かけてようやく掴み取った人気アイドルとしての立場を全て捨て去ってでも、貴方との生活を強く望むのだから」  「彼が、そう言ったんですか」  「まあ、おおよそは。・・・貴方もそうよ」  「・・え?」  「好きでもない男の子供、普通はあんな幸せそうな顔して大切に育てたりはしないわ。まして、貴方の妊娠は彼の”強姦”に因るもので、自身が望んだものでは無いのだから」  藍川の言葉はいちいち的を得ていて正確過ぎて、反論の言葉すら浮かんでこない。  (・・・・僕は、僕は・・・)  あれ以来、ずっと心の奥に押し殺してきた感情。  (来人さんを・・・僕は慕っていた・・いや、)  そんな物では無かった筈だ。  (あの人といるだけで、只嬉しかった。幸せだった)  もっと、もっと。  (憧れが・・何時しか僕の中で・・・変化した)  もっと、強い思い。  (僕はあの時、来人さんに恋していた。でも・・それは何時しか愛に変わっていったんだ・・・・)  「僕は・・・・」  その時、その言葉を遮る様に背後から声がした。  「百瀬、あんまり蓮を苛めないでくれ!全部俺が悪いんだ、責めるんなら俺だけにしてくれ!!」  その声に振り返ると、其処には先程自分を拉致した男が立っていた。  「来人、丁度いいわ。貴方この子との事、どうするつもりなの」  藍川が腕組みしながらその男、来人を問いただす。  来人は藍川を睨みつけた。  「それはこっちのセリフだ!アンタ、俺達を一体どうするつもりだ」  来人は蓮の肩に軽く手を掛けようとした。  だが。  「・・触るな!」  蓮はその手を、思い切り払い除けてしまった。  一瞬、頭が真っ白になった。  (・・・僕は今、何をした・・・・?)  思わず口を塞ぐ。  (あんな怒鳴り声、一度も僕は出した事ない・・・)  「・・・・あ・・」  手の鈍い痛みと二人の表情で、自分が何をしたのか・・・理解した。  身体がガタガタと震える。  (僕は、この人を・・・・好き・・なのに・・・・・)  困惑して来人の顔を思わず見上げると、彼は少しだけ悲しそうな表情をして笑った。  (この人に、こんな顔をさせたい訳じゃ・・・ないのに・・・・)  「・・うっ・・・・う・・・・」  殺しても尚、嗚咽が漏れ出てしまう。  涙が止まらない。  苦しくて、辛くて。  切なくて。  でも、どうしたらいいのか解らない。  蓮はただ、向日葵を抱き締めて静かに泣いた。  「蓮・・・・・」  来人は、愛する人の肩を抱く事も出来ず、ただじっと拳を握り締めて立ち尽くしていた。  
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

239人が本棚に入れています
本棚に追加