15歳の母

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15歳の母

 プロローグ    ・・・それは一年半前の事だった。    「オイオ~イ一体何時まで待たせんだよ!・・・収録、まだ始まんねーのかよ」  自身の腕時計をぼんやり眺めつつシートに寝転がる、大型のロケバスの中で更に大きな溜息と共に、赤いツナギを来た来栖 来人の口から漏れ出たのはその一言だった。  「まあまあ・・スタッフさん達もわざと僕達放ったらかしてる訳じゃありませんから・・。それよりも、崖から転落したっていうADさん、大丈夫ですかね・・」  来人をやんわり窘めつつ、この場で最年少の大楠 蓮がスタッフの心配をした。  彼は制服を模した、番組特製のツーピースを着用しきちんと行儀よく座っている。  因みに、彼は最年少ではあるがこのコーナーの司会を担当するタレントである。  なので、どちらかというと制作側である為、やはりスタッフの事は気になる様だ。  そんな彼を横目に入れつつ、  「蓮君は優しくてお利口さんだねェ、誰かと違って」  「そーそー、結構高いとこから転落したんだって?まずは彼等の心配からトークすんのが”イケメ~ン”って奴なんじゃねえの?」  シートにだらしなく腰かけ、トランプ片手にそう茶々を入れたのは、彼等のメンバーである王覇 樹理阿、葉室 呉伊の二人だ。  ちなみに、彼らはメンバーカラーのツナギを着ているのだが・・。  樹理阿はグリーン、ブルーを呉伊が着用している。  その二人に軽くからかわれ、すかさず来人が身体を起こしつつ二人を睨みつけた。  「よく言う・・・お前らもその、”イケメン”買われてチャラいアイドル風情やってるくせによ」  いつ掴みかかっても可笑しくない程、ぎらついた表情を見せる来人に蓮が慌てる。  「ああっ、待って下さい!喧嘩は止めましょう、喧嘩は・・・」  「はいは~い、いい歳こいたオニイサン達。これ以上子供を怖がらせちゃだめだよ」  慌てて中に割って入ろうとする蓮を、一番後ろの席で寝転がりつつ小説を読んでいた巴 亜蘭が擁護した。  因みに亜蘭のメンバーカラーはイエローである。  それに続けて、先程まで三つ向こうのシートで縮こまって、洋楽をイヤホンで聴いていたオレンジのツナギを纏った南里 麗音がイヤホンを外しながら口を開いた。  「でもさ・・・・仕方無いよね。いくら何でも、この状況流石に長すぎ」  来人が自身の腕と共に腕時計を皆の前に差し出しつつ、ぼそりと呟く。  「スタッフから「待機」と言われ、俺ら演者だけロケバスに取り残されてかれこれ三時間。俺ら駆け出しのアイドルなんて、ぞんざいに扱われて当然とはいえ、テレビ局に集合してからもう八時間以上は経ってんだぜ?そりゃ流石に、苛立ちもすんだろうが。しかもこれ、放送時の尺せいぜい10分も無えだろ」  「・・・・まあな。ギャラもせいぜい英世君位だろ?」  「確かに」  「待たされ、こき使われは流石に慣れてはいるけどさぁ・・」  「やっぱ、今日のは特にヒドいよね」  「・・・・・あははは・・・」  その場の全員、顔を見合わせて大きな溜息を一つ吐いた。  彼等の吐き出した愚痴の通り、その大きな溜息には訳がある。  そもそも彼等は山奥の廃病院で肝試しをやる、大型特番の一コーナー、ドッキリ企画の為に召集されたメンバーだ。  季節は二月、今季中で一番寒い一日になるという予報が出ている、そんな寒さの厳しい日だった。  実際その時の気温はマイナス一度、23時の時点でその気温なのだから、今から更に冷え込みは厳しくなるはずだ。  ドッキリ企画の演者である彼等が、テレビ局に召集されたのは午後三時。  雪がちらつき、路面にやや雪が降り積もって足場が悪いという以外、トラブルらしいトラブルが無いままロケ現場である山奥の廃村に到着した。  それが17時半過ぎ。  機材の設置や前撮り、カメラリハなどを経て、漸く山を所有する地権者の男性に引き連れられ、スタッフ数人が入山したのが19時。  すると、ものの30分ほどでディレクターが血相を変えてロケバスに飛び込んできた。  「おい、ADの加山君戻って来なかったか?」  開口一番叫んだのがその一言だった。  皆が口をそろえて「いいえ」と答えると・・・・。  直後、大きな溜息と共に語られたあらましが、  「10分程登って直ぐだ。地権者の男性が急に、「やはり山の祟りが恐ろしい」とか言って取り乱し始めて・・。何とか宥めようとADの加山が、地権者の男性に近づいたところ突然、「寄るな!」と叫びながら加山を崖下に突き飛ばしてしまったんだ。  今皆で全力で探してはいるが、何処に行ったのか未だ行方が分からない。携帯の電波も3~40分ほど離れた下の集落までいかないと入らない。取り合えず君たちはこのロケバスで待機。熊は冬眠中で居なくても、この辺は野犬が結構いるらしいから扉はちゃんと閉めといて。それじゃあ」  ・・・・それからもう三時間以上が経過。  もう時刻は23時を過ぎている。  その後、一瞬ヒートアップし、消沈したメンバーが今度は蓮を弄り出した。  「・・・蓮君、中学生なんだからさぁ・・ホントならやばいんでしょこの状況」  「・・・・ええ。僕に許された時間は、午後九時までですから」  「今何年生だっけ?」  「中二です」  「そっかぁ~」  「若っか」  「君さぁホント可愛いよね」  「またまた・・この業界、僕位の見た目の子なんてごまんといるじゃないですか」  「いやいや、滲み出るものが」  「やだぁ~樹理ちゃん、言い方キモイ」  「蓮君マジかわ」  「有難うございます。何時もご一緒する皆さんにそう言って頂いて、僕も嬉しいです。でも、皆さんもデビュー当時からとても恰好良いですよ。僕は好きです」  「ねえねえ、今まで聞いてなかったけどさぁ・・この中なら誰が好み?」  麗音の一言に、一瞬ピクリと眉を動かしたものの・・。  「あはは、止してください。皆さん甲乙付け難いイケメンですから。誰か一人なんて選べませんよ」  持ち前の演技力で、その場を難なく凌いだ。  だが蓮は、メンバーには秘密で来人と付き合っていた。  関係は蓮の年齢もあり、いまだプラトニックのままだったが。  「あ~あ、はぐらかされちゃった」  「なあ、誰とも付き合ってないんなら俺どうよ?」  「あ~?抜け駆け禁止だぞコラ」  「じゃあさ、僕は僕は?」  やたらぐいぐい迫るメンバーに、来人が背後からぴしゃりときつい一言を浴びせた。  「惨めったらしいから止めろ、所詮俺らみたいなジジイじゃ相手にされねえよ」  その一言は彼等の自尊心をかなり傷つけたらしく、その言葉が終わる前に四人が来人に振り返りながら怒鳴りつけた。  「ジジイ言うな!」  「僕未だ21だもん、一緒にしないでくれる?!」  「ぐっ・・・それじゃあ25の俺は完全にジジイじゃねえか」  「あ~~、話変えよ!これ以上はマジ凹む」  頭を抱え、がっくりと肩を落とす四人に蓮が慌てて  「あー・・・、やっぱり皆さんて全員アルファなんですよね」  と話を振る。  「そうだよ」  「まあ、見た目のいい奴なんぞ大抵アルファだろうがな」  「それ自分で言う(失笑)」  「ああそうか、お前はオメガだっけ」  「ええ」  「大丈夫な訳、発情期とか」  その言葉に、今度は蓮が強く反応した。  直後、やや困惑した表情でしばらく俯いてしまった。  どうやら何かを考えているようだが・・。  「ゴメン、癇に障るようなこと言っちゃった?」  心配したメンバーが、蓮の顔を覗き込もうとしゃがみかけた時、急に連が顔を上げた。  その表情は先程までとは違い、かなり困惑していた。  「あの、実は・・。その事で皆さんにご相談したくて・・・。その、僕の周囲に余りオメガは居なくて・・・、誰にも相談できなくて・・・」  五人が顔を見合わせた。  「まあ・・・職業柄、迂闊に人に相談出来はしねえが」  「だとしても、クラスメイトに数人いるでしょ?」  蓮は首を横に振る。  「僕の通っているのは、超有名私立のエスカレーター式の中学校です。基本、アルファしか合格しない入学試験に、たまたま僕は入れましたが・・。僕の学校に居るのは、基本9割がアルファ。ベータとオメガは僅か一割ほどです。しかも、アルファからのいじめを嫌がって、誰も本当の性別を教えてはくれません」  五人はその話を聞いて、互いに顔を見合わせつつ更なる溜息をついた。  「きっつ~・・・」  「仕方無いっちゃ、仕方無いけどさぁ・・・・」  「だから、僕・・・オメガの事何も知らなくて・・。初めての発情期が遅いとは、周囲から再三にわたって言われ続けてきました。ですから、病院通いもネット検索も、図書館通いもしましたが、大抵、「個々に成熟の度合いが違う」としか書かれていなくて・・・。お医者さんも同じ見解で、何処に行ってもそんな感じで・・もうどうしていいかわかんないんです」  「いくつだっけ、君」  「今は14歳です」  「誕生日は?」  「11月です、11月23日」  「お母さんは?君のマネジャーしてる、あの超絶美人の」  「・・・・僕の母の家系も、僕の父の家系も、アルファしか居ません。だから母も、その辺は全く」  来人がはたと顔を上げ、周囲をきょろきょろと見回した。  「そういや・・・お前のママは?」  その来人の間の抜けた一言に、呉伊が噴き出した。  「ぶふっ・・・。何言ってんだお前、蓮ママは今日「体調不良で無理」っつって、局でバスにも乗らずに帰っちまったじゃねえかよ」  「申し訳ありません、母は若干我儘な所が有るもので・・」  蓮が母の代わりに五人に頭を深々下げた。  それには流石に、五人が苦笑いする。  「それ、子供のする事じゃないから」  「良いよ、俺らは君に逢えれば良いんだし」  「んでもよ、一応の準備位はしてんだろ?何時発情期が来ても良い様に」  「ええ勿論、演者さんに迷惑はかけられませんから」  蓮はこくんと頷くと立ち上がり、自身の何時も持ち歩く仕事用鞄を探した。  有るのなら、演者の私物の纏まった場所にある筈なのだが・・。  その運転席の後部の置き場を探していた蓮が、次第に血相を変えだした。  「・・・あれ、あれ、無い。うそ・・・・」  その一言に異変を感じ、五人が蓮の許に歩み寄り、それぞれの私物を確認しだした。  「これ僕のリュック。紛れ込んでは無いみたい」  「俺のショルダーの中にも・・ってこんなちっこい鞄にお前の私物が入るわけねえよな、流石に」  「俺の鞄にも無い」  「俺何時も、コンビニの袋だけだし」  蓮がその時、はっと顔を上げた。  「・・・・・じゃあ、ママが持って行ったんだ。それしか、考えられない。どうしよう僕、どうしよう・・・」  珍しく動揺し取り乱す蓮を、五人が必死に宥める。  「待て待て待て!」  「よーし、先ずは落ち着こう」  「そうそう、それが肝心」  「最終的に何も無ければ良いんだからさ」  「一回この事は忘れよう、な?」  「俺たちを信じろ、大丈夫だ」  五人の必死の説得に、蓮は涙目で微笑んだ。  「・・・・ハイ」  しかしその時急に、誰の物かわからない時計のアラームが鳴った。  アラームが鳴り響いたその瞬間、全員が余りの驚きに軽く飛び上がった。  ・・・・時刻は、そうこうしている内に0時を回っていたのだ。  「うわ・・・脅かすなよ」  「冷や汗出て来た・・・・」  亜蘭と麗音が顔を見合わせつつ、小さく呟いた。  その表情はかなりうんざりしている。  遠くでまた、犬の遠吠えが数回聞こえた。  がさがさと、木々の、木の葉の揺れる音が周囲から聞こえる。  それと同時に、大きな横風がロケバスを一度二度と揺らした。  「もう~、何だよ急に!」  「今この肝試し演出いらねえから!」  呉伊と樹理阿が絶叫する。  「・・・・・・・・」  しかし蓮は無言で・・・その場に蹲ってしまった。  「おい蓮、大丈夫か」  心配し、蓮の肩に手を掛けようとした来人が、その異変に気付いてしまった。  ・・・連の息遣いが荒い。  身体が硬直し、顔が異常に火照って赤い。  この僅かな時間に、汗も大量にかいている。  「・・・うっ・・う・・・・」  その時だった。  得も言われぬ程の、濃密な大量のフェロモン。  その量は・・・どんなに理性の塊のような人物でも、精神に異常をきたすレベル。  蓮は精神的に不安定になった事で、今まで理性で必死に抑え込んできた身体の全てのフェロモンを一気に吐き出してしまったのだ。  それが、密室であるバスの車内に一気に広がった。  当然、本能に抗えないアルファがこんな物を喰らえばひとたまりもない。  途端、今度は五人全員が口元を押さえながら倒れ込むように蹲ってしまった。  「うっ・・おえっ・・・」  「・・苦し・・・・!」  「・・気が・・変に、なりそうだ・・・・!」  「窓、誰か・・・窓、開けて・・・」  その声を遮る様に・・またも、犬の遠吠えが数回聞こえた。  しかも先程よりかなり近い。  「無理だ、・・野犬は・・狂犬病持って・・・・る」  来人がそう言った瞬間、さらに匂いはきつくなり、数人が倒れ込んだ。  ・・・発生源である、蓮も。  その後数分、誰もが身動きが取れなくなっていたのだが・・。  「・・くそおおおお!」  来人はどうにか立ちあがり、愛する蓮を必死に、力を振り絞りながら持ち上げてシートにどうにか乗せた。  そしてシートを倒し、手近にあった毛布を蓮に掛けた。  「・・・はああっ、はぁ・・・」  それを見ていた呉伊が、蹲りつつも来人を睨みつけた。  だがその表情に、瞳に、理性は一かけらも残ってはいない。  「蓮に手を出すな!・・・俺が一番だ」  その一言に、蹲っていた筈の三人が顔を上げた。  その表情も、最早来人が知り得る”仲間”の物ではない。  「誰が一番だ、コラ!」  「ふざけんな」  「蓮は僕のだ、みんな触んな」  ・・・・その四人の鬼気迫る獣の様な表情から、来人は自身の現状と照らし合わせ、・・・・絶望した。  (換気も行えない・・スタッフも未だ下山してくる気配はない・・・・)  (中和剤も抑制剤も無い・・・もう現状、蓮を犯す以外の選択肢は無い)  (そして、あいつらに抱かせればきっと・・迷わず蓮の首筋を噛んでしまうだろう)  (・・・ならば、いっそ)  「すまない、・・・すまない蓮、ごめんな・・」  来人は苦しむ恋人に、小さく謝罪すると・・・毛布をはぎ取り、衣服を引き破いた。    <0>  僕は、大楠 蓮。    上の名前は日本での名前。    本名は、エドゥアルド・蓮・オークス。    イギリス1/4、スペイン1/4、日本が1/2のクォーターだ。    ・・・・そして、僕は、Ω(オメガ)。    11月に16歳になる高校一年生。    ・・・あれは、未だ発情期をコントロール出来ていなかった時の”事故”だった。    その時の”初めて”の「経験」は、強姦され、輪姦され、奪われた。    そして、その時・・・僕は子供を身籠った。    ・・・・・僕は、今年から高校に通っている。    僕は、15歳で「母」になった。      <1>  2014年6月 静岡県 浜松市 奥浜名湖  季節はもう六月が終わろうかと云う所。  そこは・・・大きな浜名湖と云う汽水湖の一番奥手、山と接した湖の稜線が、リアス式海岸ようにも見える。  秋には湖面に紅葉の紅葉が映り、それはそれは綺麗なんだそうだ。  ・・・まあ、裏を返して言えば、それ程何もない田舎だという事なのだが。  最近では、その自然豊かな(殺風景な)景色が「インスタ映え」するらしく、物好きな観光客が週末になるとカメラ片手にやってきて、幾らかはにぎやかになっていた。  そんな、山と湖しかないド辺鄙な田舎も、平成の大合併で隣の大きな都市と合併し、今は政令指定都市に仲間入りさせてもらっている(らしい)。  (と言っても、その時僕は未だ母のお腹に”発生”すらしていない)  そのせいか、昔に比べて色々便利になったそうだ。  (アメリカ合衆国ニューヨーク近郊で生まれ、東京都港区で育った僕には、どの辺が便利なのか未だにさっぱり解らないが)  昔母が、よく言っていた。  「ああ、隣の大きな浜松市に生まれていれば、どんなに楽だったか」  僕の母は、此処の生まれなのだ。  その所為か、昔から都会に異常なほど関心があったらしく、父と出会ったのもアメリカ最大の都市ニューヨーク、マンハッタン島でだったそうだ。  だが今、その母は僕の”事件”で精神を少し病んでしまい、今はこの山奥の療養施設で療養中だ。  そもそも。  ほんの一年前まで、僕たちは東京に住んでいたのだ。  世界中を仕事で忙しく駆け巡っている父を、母と二人で何時もじっと待っているのが僕たちの日課だった。  だが、派手好きの母はそんな暮らしにすぐ飽きてしまった。  けれど、父に母が何時また「引越し」を告げるのか解らない。  だから母は働けないし働かない。  代わりに僕が、4歳から劇団に入って子役俳優をしていた。  つい去年まで、僕は都心のベイエリアのタワーマンションに暮らしながら仕事をこなし、母は僕に付いてマネジャー代わりをしてくれていた。  本当は、テレビや雑誌になんか出たくはない。  元来、目立つ事は大嫌いなのだ。  それでも、そんな事で母の溜飲を幾らか下げる事が出来たのなら、それで良かった。  何故なら、僕には母に負い目があったから。  母も父もα(アルファ)、絵に描いたような美男美女カップル。  なのに、二人から生まれた僕は何故かオメガだった。  周囲はここぞとばかりに母をけなし、陰で罵ったのだそうだ。  母は僕に対する劣等感を払拭する為に、見た目だけは良い僕を、日本に来て直ぐ子役タレント養成所に放り込んだ。  僕はこの容姿のお陰で直ぐ、売れっ子として頭角を現す事が出来た。  頭も何とか父に似る事が出来たのか、有名難関私立の幼稚舎から、ずっとエスカレーターにも乗らせて貰っていた。  ・・だが、あの”事故”をきっかけに生活は一変した。  あの”事故”は仕事中、バラエティのロケ中に起きた事だった。  僕と一緒にゲストで来ていた、まだ駆け出しの、大手事務所所属の若手アイドルグループが、僕の加害者だった。  僕は当時、そのアイドル達としょっちゅう仕事で共演しており、仲はとても良かった。  だが、あれ以来彼等には会っていない。  何故か、その”事故”は事務所同士の話し合いによって、何時の間にか「無かった」事になった。  そして圧力がかかり、僕は仕事を”干された”。  僕は当時数本あったレギュラー番組を全て降板、そのまま”休養”扱いになり、仕事は一切入らなくなった。  二年先まで数本決まっていたドラマも映画も、当然全て降板。  雑誌の連載や専属契約についても、一切の契約が「白紙」にされた。  それから幾らもしない内に妊娠が判明、僕は長い間つわりに苦しむ事になった。  事務所からも、事務所の専属弁護士からも、母親からも出産を反対された。  けれど、僕はこのお腹に宿った小さな命を、どうしても見捨てられなかった。  日増しに大きくなるお腹を抱えて、僕は東京を捨て、唯一の理解者の住むこの奥浜名湖に引っ越して来た。  母の姉に当たる柊子さんが、今は閉館していた実家の民宿を引き継いで、僕を受け入れてくれたのだ。  僕は此処で、沢山の人からサポートして貰い、娘の向日葵を産ませてもらい、叔母の民宿を手伝いながら今は高校に通っている。    奥浜名湖唯一の高校、県立奥浜高等学校。  ここは男女共学、一応「進学クラス」という事で一クラスだけα専用のクラスが設定されている事以外は、何ら一般の学校と変わりは無い。  昔はこんな田舎の学校に、400人ほどの生徒がひしめき合っていたらしいのだが。  今はざっと120人程が高校生活を送っていた。  最近のみんなの話題は、専ら「ここが廃校になる」という悲観的な話だ。  東京では考えられない・・と云うか、エスカレーター校に通っている時にはそんな話、聞いた事すら無い(当たり前か)。  ここの暮らしは、東京では決してお目に掛かれない事のオンパレードだ。  僕は一学年2クラスある1年の、2組に在籍している。  驚くべき事に、一クラスにたったの20人しかいない。  さすがにオメガがアルファと椅子を並べるのはきつい為、数人いるアルファはほぼ1組に、その他のβ(ベータ)と数人のオメガが2組に振り分けられていた。  今は未だ、始業前の8時20分。  僕は娘の向日葵(ひまり)に朝御飯のミルクをあげたくて、今日も早めに登校していた。  ミルクは調乳してからあげるまで、いささか時間がかかるのだ。  ミルクの粉末を缶からキッチリ計量し、哺乳瓶に移し、分量をお湯に溶かす。  そこをいい加減にすると、ミルクの粉がだまになって哺乳瓶の底に沈殿する事になる。  それでは、せっかくの栄養がちゃんと摂れない事になり、勿体無い。  だからよく振ってちゃんと溶かす。基本だ。  その哺乳瓶を、水で人肌の適温になるまでひたすら冷ます。  それからやっと、赤ちゃんにあげる事が出来るのだ。  僕のこのぺったんこの胸から、母乳が出るのなら本当に楽なのだが・・。  僕の性別は男、子供は産めても流石にお乳までは出せない。  だからいつもミルクをあげる為に、早めに登校しているのだ。  僕が向日葵を抱きかかえてミルクを教室でやり始めると、何時も急に女子が群がってくる。  理由を尋ねると・・・大抵返って来るのが、  「赤ちゃん産んだら役に立つじゃん」  「家庭科の可愛くない人形抱えての実習より、勉強になるし。なんてったって、リアルに実習だもんね」  「きゃ~~、蓮君の赤ちゃん超可愛い~~~!!!」  「私も、赤ちゃん抱っこしたぁ~~い」  ・・・・こんな感じだ。  今日も女子のギャラリーに囲まれつつ、哺乳瓶の乳首を向日葵に咥えさせた時。  がらりと教室のドアが強めの音と共に大きく開き、大柄でソフトモヒカン風のこんがりとよく日に焼けた少年が大きな鞄片手に教室に入ってきた。  少年は挨拶して来るクラスメイトにぶっきらぼうに片手を軽く上げ、挨拶もそぞろに自分の席にどっかと腰かけた。  そして、彼の隣の席で数人の女子に囲まれている僕に、いつも通り声を掛ける。  「おはよ~・・何だ蓮、今日は子連れかぁ?」  「お早う桐生君。ごめんね、今日は向日葵が煩くするかも」  何かに気付いた取り巻きの女子が、時計をちらりと眺めつつ桐生に問いかける。  その腕には、赤ちゃんをあやすためのガラガラが握られている。  「あれ、蒼っち朝練は?」  「顧問のエリカ様が親族の法事で休みなんだと。だから朝練は適当にチャッチャで終わりだとさ。それより向日葵、叔母さんに預けられなかったのかよ」  眉間にややしわを寄せつつ桐生は慣れた手つきで弁当を机に広げ、ムシャムシャと豪快に食べ始めた。  無論、昼ご飯までにはかなりの時間がある。  「大して朝練して動いても無えのに、弁当食うなよ!」  「太るぞ~」  女子のヤジにも、桐生は涼しい顔だ。  「やかましい、こんなもんデザートみたいなもんだろ」  「違うし」  「つうか朝からデザートはおかしいだろ」  「あはは、桐生君は食べっぷりが見事だね。いつ見ても惚れ惚れする」  「あぶぅ・・うー・・・・」  僕が向日葵を笑いながらあやすと、赤ん坊は桐生の弁当を見つめながら頂戴と言わんばかりに手を差し出した。  「ごめんね、柊子さん急な団体客で手一杯で。・・こーら、だめだよ向日葵」  「うーっ・・・うーっ・・・」  蓮に咎められてもなお、向日葵は弁当に手を伸ばしてきた。  「そうか~、お前にもこれが美味いのが解るか。・・ほれ、空揚げ食うか?」  桐生が箸でつまんで差し出した空揚げを、向日葵は必死に手に掴もうと更に腕を伸ばした。  「ダメダメ、向日葵っちには、ミルクがあるもん」  「ああ次、次、私!ミルクあげたぁ~い」  そこで丁度始業の鐘が鳴り、担任が入室して来た。  「はあい、みんな席ついて。HR始めるよ~」  「あ~ン、またね~向日葵っち」  「残念~~」  担任の大桃先生に机をバンバン叩かれ、みんなすごすごと自分の机に帰ってゆく。  僕はすかさず  「先生、今日は叔母に娘を預けられなかったんで、連れて来ちゃいました」  そう担任に申告した。  担任の大桃先生ががははと笑いながら、  「じゃあ、息子の親葉(しんば)に預かってもらいな。あいつならどうせ暇だしね。HR終わるまでに保健室へ行っておいで」  そう言ってくれた。  「有難うございます」  僕は有り難くその申し出に従った。  
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