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5.水平線の向こう
「すごく楽しかったです! お父さん、ありがとうございます!」
狐乃音とお兄さんは、海中展望台でたっぷりと海の中の雰囲気を楽しんだ後で、小さな浜辺に寄り道をした。
そして、のんびりと休憩タイム。辺りには二人以外誰もいなくて、潮騒だけが静かに響いていた。
「よかった」
「海って、こんな感じのところなのですね~。面白いです」
「濡れないようにね」
「は~い」
磯の香りの中、波が押し寄せては引いてを繰り返す。狐乃音は波打ち際まで小走りで行って、やがて波に合わせてとてとてと後ずさる。
「うきゅ~」
お兄さんは、楽しそうにはしゃぐ狐乃音を見ていて、もし自分に娘がいたらこんな感じなのかなと、思うのだった。
「あ。貝殻です~」
狐乃音は白い貝殻を見つけたのか、屈み込んで拾っていた。
「お洒落なのです。……うきゅ? これは何でしょうか?」
今度はまた別のものを見つけたようだ。
「それは多分、ヤシの実だね」
「ヤシ、ですか?」
「高い木の上に成っているものでね。ずっと南の方から流れてきたんだよ。きっと」
「そうなのですか。どんぶらこって、ぷかぷか浮きながら流れてきたんですね」
海はどこまでも続いている。狐乃音は遠くの方を見てみた。水平線の向こうには、どんな国があるのでしょうと思いながら。
「あ……」
水平線の彼方。何も無いはずの所。
潮騒。
風の音。
深くて静かで冷たくて、そして……。
(寂しい……?)
何かの声が聞こえた。
「狐乃音ちゃん?」
狐乃音は突然、呆然としたように、口を開いた。
キン、と耳が高鳴るような、悪い予感だ。
「お兄さん。私、また……見えちゃいました」
「何が見えたの? 落ちついて、僕に教えて」
狐乃音はお兄さんに言われた通り、すーはーと深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
「人が、います。……多分、三人か、四人くらい。海の中に!」
「何が起きているの?」
「多分……。高い波にさらわれて、お船がひっくり返ってしまったみたいです」
海難事故だ。
神の力を持つ狐乃音だからこそ、誰かが危機を知らせる声ならぬ声に気付いたのだろう。
そして、お兄さんは悟った。
「……行くんだね?」
「行かせて、もらえませんか?」
「ダメだって言っても、狐乃音ちゃんは行っちゃうんでしょ?」
お兄さんは、狐乃音のことをよくわかっていた。危ないからやめるようにと言っても、放っておけるわけがないのだと。
「うきゅ。……ごめんなさい」
「謝る事じゃないよ。みんなを助けたいって思う狐乃音ちゃんは、優しい子なんだから」
確かに、狐乃音はそう思うのだ。狐乃音は小さいながらも、力を持つ神なのだ。この力は誰かを救うため……幸せのためにあるのだと、本気で信じていた。
「お兄……さん」
「必ず、無事に帰ってきてよ? 狐乃音ちゃんが側にいてくれて、僕は本当に楽しいんだ。いなくなっちゃ、嫌だよ」
「私も、です」
楽しい。それは、狐乃音も同じ。
「お側にいさせてもらって、楽しいことばかりです」
戻るべき処は、お兄さんの側。狐乃音は、必ず戻って来ると自分自身に言い聞かせた。
「必ず、帰ってきます」
二人の気持ちは同じ。血の繋がりはなくても、まるで本当の親子のよう。
お兄さんは狐乃音をきゅっと抱きしめた。
暖かくて優しいですと、狐乃音は思った。
「でも、どうするの? 何か、手はあるの?」
どうやってそこまでいくのか。そして、一人で三人か四人もの男を救うことができるのか。
「はい。……考えは、あります。多分、上手く行くんじゃないかなって思うんです。瞬間移動は……疲れ果てちゃうんで、使えないです」
いつもそうやって、できるんじゃないかなと思った事で、誰かを助けてきた。今回も同じだ。
「そっか。帰ってきたら、教えてよね」
「はい! あ、お兄さんにお願いがあります!」
「何かな? 僕は何をすればいい? 何ができる?」
「私が、皆さんを助けることができたら、この場所まで連れて来ます。私が戻ってきたらすぐに、救急車を呼んでください!」
「わかった。そんなのお安いご用だよ」
「それでは、行って参ります!」
狐乃音は覚悟を決めた。
怖さよりも、やらなきゃならないという使命感が、狐乃音を突き動かした。
水平線の向こうに行くのだ。
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