4章 ゆりかごのうた

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 椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がった私の手首を、枯れ枝のように細いおばあちゃんの手が絡みつく。すごい力で押さえつけられる。 「つばめちゃぁぁぁん、つばめちゃぁぁぁん、返してぇぇ、返してぇぇぇぇ」  泣き叫ぶ声が、私の名前を呼んでいるせいだろうか。気が遠くなりそうな中で、気力だけで立ち続けている私の中で不思議なことが起き始めていた。  どっちを信じるべきか、わからなくなっていく。  鬼気迫る表情で汗まみれになりながら、私を閉じ込めておきたいおばあちゃんのことが、とても怖いのだ。まるで意地悪をしている天邪鬼に見えてくる。嘘を吐いて私を閉じ込めるつもりなのだ。そんな心の声が、私の耳の奥をくすぐっている。それも、自分自身の声で。  握りしめられた手首が痛い。ジンジン、ズキズキと痛む。さらに天井が回転している。さっきよりもずっとゆっくりだけど、螺旋を描きながら地面の中に吸い込まれていく掘削ドリルにでもなった気分で、私はこの場所にくぎ付けにされている。 「嗚呼、だめだめだめだめ、だめだよぅぅ。つばめ……!」  パァン!  目の前で、柏手が鳴った。その音で、目が覚める。離された手、今なら。  校長室で見たお母さんは、お母さんじゃないとしたら。本物のお母さんはどこにいるの?  もしも、いまこの玄関先まで来ている人がお母さんなら。お母さんであるなら。  頭の中は、優しかった頃のお母さんの笑顔の花が咲き誇っていた。  会いたい。  水中の中で走っているみたいにゆっくりと、おばあちゃんの手を振り切って、居間の障子を開ける。玄関へと続く廊下に飛び出すと、曇りガラスのスライドドアに髪の長い女の影があった。私は滑るように廊下を駆け抜け、玄関に裸足で降りて鍵に手をかける。指に力を込めると、ビリっと冷たい電流が流れ弾き飛ばされた。しりもちをつくように、上がり框かまちに腰をぶつける。肩と髪を、おばあちゃんの手が強く握りしめられた。  バチン、バチン、バチン!  三度、大きな音が鳴り響いた。ドアの向こう側の黒い影が、瞬きをする間に忽然と消える。それらは一瞬の出来事で、唐突に始まり、唐突に終わった。 「おかぁさぁぁぁぁぁん!!」  おばあちゃんに抱き締められながら、私は本当は誰かもわからない相手に手を伸ばして、消えてしまった悲しみとやりきれなさを、ほとばしるがままに叫んで叫んで、叫びつくした。頭が真っ白くなるまで―――  忘却は、自分自身を守るために与えられた、生きるための力。そして生まれた時の記憶だろうか。目を閉じると、どこにいてもお母さんの腕に抱かれて聞いたゆりかごのうたを思い出す。ほら、いまも聞こえてくる。耳をすませば―――
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