4.モブ役者は、つけこまれやすい

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4.モブ役者は、つけこまれやすい

「『愛してる……これからもずっと』」  耳元をくすぐる、甘い声。  こんな切ない声でささやかれたら、人によっては腰が抜けてしまうかもしれないし、なんならそのまま身を預けたくなってもおかしくない。  このあとには、ヒロインの女優さんとの別れを告げるキスへとつながっていく。  しっとりと情感的な大人のキスは、さぞ絵になることだろう。  クソー、イケメン俳優ってのは、うらやましいな! 「うん、だいぶ良くなってきたんじゃないか?声に感情が乗って伝わってくるっていうか、ただ相手のことを好きっていうだけじゃなくて、別れを告げる前のためらいとか、そういうのもちゃんと感じられたし」  ふぅ、と肩の力を抜きながら詰めていた息を吐き、椅子の背もたれに身を預ける。  ひととおり読み合わせをやって、そこから気になるところを何度かくりかえして、やっぱりどうしても納得いかないからと本人の自己申告により、何度も冒頭のシーンをくりかえすこと、もう何回目だろうか?  ようやく合格点に達したと、おたがいに思えたころには、すっかり空も白みはじめていた。  あー、結局、徹夜になっちゃったな。 夕方からのお仕事前に仮眠がとれる僕はともかくとして、東城のほうはどうなんだろうか?  つい心配になって横に座る東城(とうじょう)を見上げれば、グッと身を乗り出された。 「本当ですか?!やっぱり羽月(はづき)さんにつき合ってもらうと、すごい勉強になりますね!」  とたんに今までの真剣な雰囲気を霧散させ、東城はめちゃくちゃうれしそうに笑みこぼれる。  うーん、気のせいだろうか、パタパタとゆれるしっぽが見えるようだ。  なんていうか、大型犬っていうのかな。  役を演じているときは、シェパードとかそういうシュッとした感じがするのに、こうして素にもどるとゴールデンレトリバーとかの人懐っこい犬種に変わるのが面白い。  喜色満面の笑みを見せられると、つい甘やかしたくなるというか、我ながらほだされてんなぁと思う。  東城を見ていると、自分にとってのコンプレックスがもろもろ刺激されるし、本当なら距離を置きたいはずの存在なのに、どうにも僕はコイツを甘やかしてしまう。  ところで距離を置く、といえばなんだけどさ。  あの……物理的な距離、さっきからやたらと近くねぇ??  さりげなく身を後ろに引けば、その分だけ東城の顔が近づいてくる。  元より1冊の本を一緒に読むために、椅子をくっつけて置いていたけれど、それにしたってやたらと近くにイケメンの顔があるのは、どうにも落ちつかない気持ちになる。  なんだろう、なんとなくイヤな予感がよぎるのは。 「あの、それでですね、俺このドラマが恋愛モノに出るのはじめてなんですけど!」 「うん?」  徹夜のせいで少し白目が赤く充血している東城に、ガシッと肩をつかまれる。 「で、今回のヒロインて、恋愛ドラマに定評のある女優さんなんですよ」 「あぁ、宮古(みやこ)怜奈(れいな)さんだっけ?人気のある女優さんだよね、お芝居もなかなかうまい……」  確かに、恋愛モノのトレンディドラマといったら彼女、くらいの常連だ。 「そうなんですよ、相手役がプロ中のプロなんですけど、俺はドラマでキスシーン撮るの、はじめてなんスよ!」  半泣きで訴えてくる東城は、イケメン俳優というよりも、ひとりの悩める男子そのものだった。  あ、ヤバい、なんか察したかもしれない。  ドラマで必要とされる演技は、なにもセリフだけじゃない。  テレビドラマなら、その所作ひとつとったって、画角にきれいに収まるように考えたものをやらなくちゃいけないわけだ。  そして今回、一番重要とされる最初のシーンには、別れを告げる切ないキスシーンが目玉のひとつとして用意されている。  東城にとっては、はじめのキスシーンになる一方で、相手は恋愛ドラマの女王なんて称されるくらいのベテランだ。  相手に合わせるだけで、ある程度はきれいに写るかもしれないけれど、そこはそれ、男としてリードしたい気持ちがあるんだろう。  まして東城の場合、キャラクター的にモテ男なんだから、スマートにできるだろうと、当然周囲も期待をするだろうな。 「お願い、羽月さん!これ、本読みだけじゃなくて練習させて!」  パンと音を立てて手を合わせると、めちゃくちゃ拝み倒された。  ほら、やっぱりなー、なんとなくそんな流れになると思った。  俳優にとっての世間からのイメージを大事にするのは、必要なことだもんな。  でもさ、それ、本当に僕に頼むべきことか?!  イメージトレーニングとかでもいいんじゃないの?なんて、思ってしまうんだけどさ。 「嫌だよ。なんでそこまで、僕がつき合わなくちゃいけないわけ?お前なら、いくらだって練習につき合ってくれる人、いるだろ」  いるのなら彼女に頼んでもいいだろうし、事務所の先輩や後輩、最悪自分のマネージャーさんに頼めばいいだろうに。 「そりゃいるにはいますけど、下手にそれで女の子にお願いしたら、マズイことになると思うんですよね。そういうのに気をつけろって言ってくれたの、羽月さんじゃないですか」 「そりゃ、確かにそう言ったけどさ……」  痛いところを突いてきた東城に、思わず僕は言葉に詰まった。 「あと、宮古さんってヒロインとしての演技がうまいじゃないですか、それが想定できる相手としなきゃ、意味ないと思うんですよね!」  練習をするにしても、ただ固まるしかない素人をいくら相手にしたって、それじゃ意味がない。  それに、仮に演技ができたとしても、それが本番でヒロインが演じるものとあまりにもちがっていたら、練習する意味がない。  だから練習相手にも、宮古怜奈の演技を想定した動きが求められるわけだ。  東城が言っていることも、確かに一理ある。 「羽月さんの実力なら、宮古さんがやりそうな演技、何パターンでも再現できますよね!?こんなことができる相手なんて、俺には羽月さんしかいないんです……っ!」  手を取られ、熱っぽい視線で訴えられる。  ──なんていう、口説き文句だ。  目の前に迫るのは東城の端正な顔で、その表情はどこまでも真摯に、こちらの目を見つめてくる。  その視線にさらされていると思うだけでも、体温があがっていくような気がした。  東城のそれは、とてもズルい。  元から僕は、どうにも東城のお願いに弱いのに、さらにそんな僕のプライドを、絶妙にくすぐってくるなんて。  ひとことで人の演技をまねて再現すると言っても、今回のそれは、実際にまだ演じられていないものを想像して再現することになるわけで。  となると、過去の彼女が演じていた芝居をどれだけ覚えているかという記憶力が試されるし、それを分析し、どういうときにどんな演技をするのか、という想像力も要求される。  当然ながら、その想像したものを説得力もって見せるには、演じるものの演技力がものを言うわけだ。  なにしろそこは、恋愛ドラマの女王と言われるだけあって、宮古怜奈本人もそれなりに演技力があるからこそ、その再現には一定の能力値が求められることになる。  つまり、今回の宮古怜奈の演技を想定できる相手役に選ばれるということは、すなわち僕の実力を買っているという意味でもあるんだ。  性別を越えて、過去に見た宮古怜奈の演技を想定した演技シミュレーションができるだろうと言われてしまえば、確かにそうだとうなずきたくなってしまう。  あぁ、もう、この策略家め! 「はぁ……いつからお前は、そんなにズルい人間に育ったんだろうな?」  僕にはそう返すしか、残された道はなかった。  キスくらい、いいか、別に減るもんじゃないしな。 「っ!じゃあ、羽月さん!?」 「あぁ、いいよ。お前の出世のために、踏み台になってやるよ」 「やった!!」  うん?  なんかやけによろこび勇んでる気がするけど、そんなにこのドラマに賭けてたのか……? 「それじゃ、あらためてお願いします」  手を引かれて、椅子から立ち上がる。  えぇと、宮古怜奈のヒロイン演技か……どのパターンでくるんだろうな?  健気なヒロインか、それとも強気なヒロインか。 「『愛してる……これからもずっと』」  東城の演じる男のセリフに対して、ヒロインは言葉を返さない。  ト書きには、ただ『黙って見つめ合うふたり、そしてキス』としか書かれていない。  だけどセリフが書かれていないからって、演技をしていないわけじゃない。  彼女なら、どう演じる……?  あぁ、そうだな……とっさに愛していると返しそうになって、でも口にはせずに、つぐむかもしれない。  ただ目だけは、あふれる相手への想いが隠しきれなくて、そこにすべての愛をつめこんでくるなんてこともあるだろうか。 「『っ、…………』」  愛してる、と発音しそうに口を開きかけて、そっとつぐむと、ゆるくかぶりを振る。 代わりに胸元で手をギュッとにぎりしめ、相手の男の目を一心に見つめる。 「………っ!!」  一瞬、目を見開いた東城が、息を飲む。  ほんのりと赤く染まる目元は、ゆらゆらと視線が定まらず、しかし目線をはずすことができずにいるようだった。  おぉ、東城も自然な感情のゆらぎが出せてるじゃん。  芝居の上手さは、なにもセリフをどれだけ上手く言えるかだけじゃない。  間の取り方ひとつとっても、そこに個人の力量差があらわれるものだ。  同じ無言の間だとしても、そこでなにをするかで、印象は大きく変わるだろう。  なるほど、2年前と比べたら、少しは上手くなってんじゃないか。  なんて、考えていたら。 「んぅっ!?」  いきおいよく抱きつかれ、そのいきおいのままに貪るようなキスをされた。  えっ、はっ??  どういうことだ、めっちゃ舌入ってきてるんですけど?!  びっくりして離れようとしたのに、東城にはしっかりと抱き込まれ、その胸板を必死に押し返そうとしたのに、びくともしない。  おい、ガッつきすぎだろ!  こんなの、女優さんにしていいキスじゃないからな!?  バシバシと叩いて苦しさを訴えれば、ようやく我に返ったのか、東城はあわてて解放してくれた。 「いきなりなにするんだよ、バカ!」  ぐいっと手の甲でくちびるをぬぐいながら、思わず苦情を申し立てれば、東城は真っ赤な顔をしていた。  おーおー、失敗したことに気づいて照れてんのかよ。  だったらもう少し、冷静にやれよな。  本番でこれヤラかしたら、めっちゃヒンシュク買うぞ。 「あ、あの……っ、すいませんでした……っ!!」  口もとを押さえながら、あわてて頭を下げてくる東城は、どうやら耳まで真っ赤になっているようだった。 「……くっそ、反則だろ、なんなんだよそれ……っ!かわいすぎかっ!!」  頭をさげたままに、なにやらもごもごと口のなかでつぶやいている声は、あまりよく聞き取れなかったけれど、とにかくこれじゃダメだ。 「やり直しだな」 「はい、そうですね……理性で抑えこめるよう、がんばります」  冷ややかな声でダメ出しをすれば、多少は落ちついてきたのか、東城はいまだに口もとを押さえたままだったけれど、うなずき返してきた。 「じゃ、もう1回、最初からな」 「はいっ!『愛してる……これからもずっと』」  真っ正面からの東城の熱い視線を受け、今度は一瞬泣きそうな顔をしてから、それを振り払うように必死に笑みを浮かべる。  勝ち気なキャラ造形をしているパターンの彼女なら、たぶんこうするだろう。  そして見つめあったところで、キス……となる前に、今度は目の前から、東城がひざからくずれ落ちて消えていった。  またもや顔を真っ赤にして、口もとを隠しているけれど、ブルブルと小刻みにふるえていて、なんかかなりヤバそうだ。 「おい、大丈夫かよ、東城?!」  はずかしいにしても、そんな思春期の少年でもあるまいし、今さらそこまで照れることか??  でものぞきこんだ東城の顔は、びっくりするほどに真っ赤で、なんならうっすら涙まで浮かんでいる。  そ、そんなにはずかしかったのか……?  いや確かにラブシーンははじめてって言ってたけどさ、そこまで照れるほどのことだったか!?  あまりに予想外の反応をされた僕は、どうしていいかわからなくて、ただオロオロとするばかりだった。
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