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1.イケメン俳優は万年モブ役者の天敵です
その顔を目にした瞬間、ギリ……と心臓が軋んだ音を立てたような気がした。
その心臓をやわらかく手でにぎりつぶされるような痛みとともに、口のなかには苦いものが広がっていく。
アイツは、僕にとっての鬼門だった。
今日も女性向けファッション雑誌の表紙を飾る、アイツの整った顔。
うっすらと笑みを刷いた顔はどこまでもさわやかで、まったくイヤミがない。
コンビニの一番目立つ最前列にならぶ『特撮出身俳優がアツい!!』なんて銘打たれたその表紙に堂々とひとりで写っているのは、若手イケメン俳優と名高い東城湊斗だった。
東城湊斗といえば、つい先日に最終回を迎えたばかりの今期戦隊もののレッドを1年間にわたって務めあげ、『歴代最も足の長いモデル体型の主役だった』なんて、そのスタイルの良さをもてはやされ、端正な顔立ちに加えて親しみやすい笑顔で、ちびっ子から主婦、果てはお年寄りまで世代や性別を問わず絶大な人気を誇っているという。
その人気はもはや疑うべくもなく、最近は来期の連ドラの主演が決まり、まもなくクランクインするのだとか、映画の主演が決まっただとか、まさに飛ぶ鳥を落とすいきおいというやつだった。
女性向け雑誌の人気特集である『抱かれたい男』ランキングでは、必ず3本の指に入るくらいだとも聞いた。
要するに、大人気スターだ。
さらには俳優の本業である役者としてドラマに出演するだけでなく、その恵まれたルックスをいかしてファッションブランドの専属モデルを務めたり、万人受けする朗らかな性格で、テレビでもバラエティーやCMにまで引っぱりだこでもあるらしい。
そう言われてみると、たしかにテレビをつけても、街中を歩いていても、アイツの顔は必ずどこかで目にしている気がする。
体育会系のさわやかイケメンというのは、どんな世の中でも人気が出るものと相場が決まっているとはいえ、ここまでメジャーになるなんて、全国のお茶の間に受け入れられている証拠だ。
本人は忙しくて休むひまもないらしいが、そんな人気とは程遠いこちらからすれば、なんともうらやましいかぎりだった。
まして東城湊斗には、同業者の目から見ても主役をやるのにふさわしいだけの『華』がある。
これは本人がもって生まれた天性の才能ともいうべきもので、ただそこにいるだけで周囲の視線を集められるなんて、スター以外のなにものでもないだろう。
見た目も性格もよくて、所属事務所も業界最大手と言ってもいいくらいの芸能事務所ときたら、向かうところ敵なしだ。
まったくもって、恵まれすぎている。
それにひきかえ僕、羽月眞也は、弱小プロダクション所属の万年脇役ばかりの地味顔役者だ。
演じることが好きだという情熱は、だれにも負けないくらいの気概はあれど、世間からすればとるに足らない存在だった。
本業の役者部門だけでも主演が続いている東城は、さぞかし稼いでいることだろうけど、モブ役者な僕は、なんなら役者だけでは生活が厳しくて、こうして深夜のコンビニでレジ打ちなんかもしなきゃ、生活できないくらい稼げてない。
今だって届いたばかりの雑誌の荷解きと、前陳の作業中だった。
一応名誉のために言い訳をさせてもらえるならば、テレビでの仕事だって、基本的に気づかれないなりに、そこそこやってはいる。
ゴールデンタイムならドラマの一瞬しか映らないエキストラか、バラエティー番組なんかでの再現VTRの役か、といったところだ。
画面にどれだけ映ったかという秒数をさておいて番組数だけで見たら、それなりに出ている認定をしてもいいんじゃないだろうか?
といっても悲しいかな、見ている人に認識はされてないと思うけど。
なにしろ、きちんとしたエンドロールに僕の名前のクレジットが出ることはなく、ほとんどエキストラ協力として、所属するプロダクションの名前が出るくらいだしな。
たまには特番ドラマなら、名前のある役ももらえるけど、そういう単発ドラマはむしろ端役をふくめて何役もこなさなきゃいけなくて、大変だった。
あとは名前のある役をもらえることがあるとしたら、深夜枠の、いわゆるアイドルを主役とした、そのファンくらいしか見ないだろうと思われる微妙な内容のドラマだろうか。
正直、一般の視聴率なんかは期待できない泥舟である。
こうして挙げてみたら、どのお仕事もギャラは安いし、主役たちのスケジュールに合わせた撮影のために、やたらと待ち時間も長いし、割りに合わない仕事といえば、そうだった。
好きだからできることだけど、仕事としては効率が悪いな、うん。
あとはしっかりと役に向き合える舞台も好きな仕事だけど、あれはあれで、まだ舞台役者としては実績もあまりないからか、そんなに多くの作品には出ていない。
ついでに言えば、舞台だと稽古期間は一切ギャラが出ないから、生活が苦しいのは変わらなかった。
それでも、演じられるのなら、それでいいと思ってしまうんだから、たいがい僕も役者バカなんだろう。
だって演技をしているときは、自分ではない別の人として生きられる。
どんな仕事にだって就けるし、性格にだってなれるんだ。
これが面白くないわけがない。
そりゃ深夜枠のドラマとか、マジで色んな意味で厳しいけどな?!
制作の予算もないし、たいていスタントが必要そうなアクションが求められた場合でも、雇うお金はない。
つまり役者本人に、ムチャぶりがされるフラグが立つ。
あとはなんと言っても、主演のアイドルたちの演技力がヒドイことが多い。
まったく演じたこともないアイドルが、いきなりの主演で、学芸会レベルでも見たことがないほどの棒演技を披露されたときなんか、本当に気を失いそうになるからな?!
……それでも主演のアイドルたちには、僕のような万年脇役俳優にはない『華』があった。
そこにいるだけで、画面が明るくなったような錯覚に陥らせるほどの存在感と言ったらいいんだろうか。
画面のどこにいようとも、見る人の視線をクギづけにする、絶対的0番位置の存在。
アイドルを生業にしている者は、本気を出したら衆目を集める能力はピカイチだった。
くやしいけれど、僕がどれだけ願っても、決して手に入ることのないそれは、彼らだけの才能だ。
東城にしろ、アイドルたちにしろ、そんな稀有な才能を持っていた。
そしてその才能は、まさに芸能界で生きていくためには一番重要なファクターとも呼べるものだった。
その才能の有無のちがいが如実に出ているのが、東城湊斗と僕だ。
年齢的には、年齢も芸歴も僕のほうが上だし、なんなら演技力だって負けてない自信はある。
だけど世間の評価は、真逆だった。
片や老若男女を問わず全国的な人気を誇るイケメン俳優、片や名も知れない地味な万年脇役しかない役者だ。
本来なら比べるのも失礼なくらいに、立ち位置がちがうし、どこにも接点なんて生じるはずもない。
だけど東城湊斗という俳優は、ぼくにとってもある意味で特別な存在だった。
───そう、今からおよそ2年前、アイツにとってのデビュー作となる深夜ドラマの主演を務めていたときに、そのドラマで相棒役を務めたのは、ほかでもないこの僕だった。
当時はセリフひとつまともにしゃべれないド下手くそな新人だった東城は、実質僕と監督とで育てたようなものだ。
僕が育てたっていうのは、さすがに言いすぎかもしれないけど、当時はかなり時間を割いてアイツの稽古につき合ってやったし、所属事務所はちがえど、手間のかかる後輩という意味ではまちがいなくそうだった。
そんな東城は、いつの間にか実力を兼ね備えた人気の俳優としての立ち位置を、しっかりと築きあげていたんだ。
彼我の差は、あまりにも大きい。
むしろ今となっては、こちらが共演経験のある同業者だなんて名乗るのも、おこがましい気さえする。
そりゃ役者として、どんな役柄だってこなしてみせる自信はあるけれど、それだけではいかんともしがたい開きがある。
アイツとちがって、僕は良く言えば化粧ノリがいいと言えなくもない地味な顔だし、中肉中背で特別スタイルがいいわけでもない。
少しばかりアクションや殺陣は得意だとしても、見た目がこう地味だからか、与えられる役といったら鈍クサイものが多く、あまりそれを生かす機会はなかった。
スーパー戦隊ものなんて、全男の子のあこがれのアクションスターじゃないか!
しかも東城は、そこでも主役のレッドを務めていたんだぞ?!
僕も幼いころはヒーローにあこがれていた少年だったんだから、うらやましすぎて涙が出そうだ。
だからアイツを見ていると、僕のなかの『あぁなりたい』という理想を次々と体現しているようで、くやしくてたまらない。
こちとら、もう役者をはじめて何年も経っているんだよ!
アイツなんて、ぽっと出の新人だろ?
そう思おうとしても、ダメだった。
世間は確実に東城湊斗という、スターを求めている。
くやしくて、でも自分では絶対に叶うことのない成功者としての立ち位置にいるアイツは、僕の劣等感をあおる存在と言っても良かった。
───なのに、一番解せないことは、なぜかアイツに懐かれていることだった。
そりゃアイツのデビュー作のドラマでは、事務所の力と監督からのゴリ押しがあったから、アイツの演技が少しでもまともになるようにつきっきりで面倒を見たし、相手が引き立つようにと懸命に演技プランを立てて援護したかもしれないけれど。
でも、相手は今や押しも押されもせぬ人気俳優だぞ?
スケジュールだって分刻みだろうし、寝るひまもないほど忙しいはずだ。
それが、どうしたんだろうか、なぜかならべた雑誌の棚の奥のガラス越しに、表紙を飾るスター俳優と同じ顔が見える。
うん……?
僕は思ったよりも疲れていたんだろうか、ついに幻まで見るようになるなんて。
こんな深夜のコンビニなんてところに、人気俳優様があらわれるわけがないだろうに、何度まばたきをしてもその幻は消えてくれなかった。
それどころか、僕と目が合ったと思った瞬間、めちゃくちゃ笑顔になって、全力でブンブンと手を振ってくる。
おい、マジか。
どうなってんだよ、なんでここにいるんだ??
あわてて店内の時計を見ても深夜1時、幽霊が出るには若干早い時刻だ。
店内を見回しても人影はまばらで、幸いにしてアイツに気づいたお客さんはいないみたいだったけれど、もしバレたらどうする気なんだろうか?
ゴミ袋の入れ替えを兼ねて店外に出たとたん、まるでしっぽを振る大型犬のように駆け寄ってきたのは、やはりどこからどう見ても東城湊斗その人だった。
「なんで、ここに──……」
思わず信じられない気持ちで見上げれば、くちびるがニッと笑いのかたちに弧を描き、笑いかけられた。
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