耳とナイフと怪物と

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 レミルは低く腰を構え、呼吸を整えて意識を集中させると、こちらを見下ろす異形の上級魔獣と対峙する。その姿、その佇まいには、レミルでさえ簡単には踏み込めない程に隙がない。自分と相手との距離、そして予測される間合い、初動の前兆や風向きなど、自身を取り巻く全てに注意を払いながらも、レミルは血走った瞳から目を逸らさなかった。  対するフンババは、レミルがマテルナの前に立ち塞がり、自分の目的を阻みにかかろうとしている事を察知すると、いよいよ我慢が出来ないとでも言いたげに頭を振りかぶる。そして悶えるように天を仰ぐと、一度大きく体を痙攣させた。 「っ!」  刹那、フンババが怒涛の踏み込みをかける。瞬く間にレミルとの間合いを縮めると、形振り構わず両手の爪を薙ぎ払い、脆弱な細身を寸断しにかかった。無論、レミルは即座に相手の動作に反応し、背面に飛び退いて魔獣の一撃を見事にかわす。しかし、彼が思わず息を漏らしたのは、その後の顛末が予想していたものとはかなり異なっていたからだ。  レミルは縦横に木と枝が生え茂る森の中では、フンババの持つ長い爪はデメリットになるだろうと予測していた。立ち位置を計算すれば、木の幹や枝の網に小回りの効かない爪が遮られ、敵の動きを制限してくれるだろうと思ったのだ。まともに貰えばただでは済まないが、このフィールドで無闇にそれを振り回すこと自体がフンババを拘束する鎖になってくれるだろう、と。 「ブルルルッ!」  だが、彼の目論見は外れる事となる。恐ろしい膂力を持った上級魔獣は、周囲の木々のことなど意に介さずに長爪を振るうと、いとも簡単にそれを遮る障害物を打ち払い、切り裂きながらレミルの残像を引き裂いたのだ。  その光景を見て、レミルは変な笑いが込み上げてくるのを感じる。 「へへ、筋肉バカ。フィールドトラップなんてお構い無しかよ」  あの爪が自分に直撃した時のことはあまり考えたくないな、とレミルは思った。それから改めて、頭の中で段取りを立てる。  そんなレミルを逃すまいと、フンババの追撃が追い縋った。
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