親父の一番短い日

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 そんなクソ親父が、70歳で癌になった。  手術と入院を繰り返し、この10月の入院が最後通牒だろう。親父は現実をわかっていて、でも現生への執着も捨て難いようでイライラしていた。母と2人暮らしの家は常に殺伐とし、それがさらに母の心身を苛んだ。  とは言え、このまま逝ってくれるのならそれはそれで良かった。病弱な母が先に逝くものと覚悟していたが、その場合、残った親父の面倒を俺が見ることには耐えられそうになかったからだ。  …だがしかし。奴はやっぱり最後まできっちりとクソ親父だった。  人生最後の10年で、数百万円もの借金を作っていやがったんだ。  トドメに、担保は退職金の一部で買った念願のマイホーム。それを寝たきりになるまでひた隠しにしていた。入院で返済が滞ったことで実家に不審電話が来るようになり、ついには督促状が届いて発覚したのだ。  晴天の霹靂。母はさらに心を病んだ。俺は憤怒した。  新卒から定年まで勤めた会社では部長だったし、退職金は俺ら世代じゃありえない額をもらった。なのに何故こんなにケチなんだ?とは常々思っていたが、氷解したよ。月に15万円もの返済をしてれば、そりゃあ余裕なんてなくなるよな。  そうそう。湧水の名所に、2人で水汲みに行った時のことだ。昼間は混むからと朝5時に起こされた俺は、渋々同行。道すがら自販機の前に車を止めた父は、非常に珍しくも俺に缶コーヒーを買ってくれると言う。 「お前、何がいい?」 「い、いいの?じゃ微糖で」  120円のショート缶。それでさえ何年ぶりかに親父が奢ってくれたものだ。言えば30リットルの水汲みの手間賃が120円なんだが、俺は何だか嬉しくて、今もその味を覚えているんだ。
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