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究極の目標⑤
「――では国に戻りますかね」ロクが言った。
二人は城壁を超えてひとりぼっちの国を出た。
あとは緩やかな坂の一本道を道なりに行けば、自分たちの国に戻れる。
「そのことですが……、私は戻りません」
リリリカは氷柱から落ちる水滴のようにゆっくりと冷たく言った。
「…………なぜです?」
「さっき言ったでしょう? 私に人生の目標があるとすれば生きることです。だから、戻りません」
「頭の悪い僕には意味が分かりませんね」
ロクは馬上で首をひねった。
「…………どうして私達のような下っ端軍人が、国防にとって最重要とも言えるデータの奪取を任されたのだと思いますか? それもたったの二人で」
「そりゃあ、大人数で攻め込んでも戦利品で揉めるからじゃないですか? 五つのチーズを三人で割れません」
「……五つのチーズは二人でも余りますけどね」
「こりゃ失敬。つまりは、リリリカさんはこう言いたいんですか? ――僕たちが国に帰ってデータを上納した途端に尻尾を切られる、と」
「そういうことです。秘密を知っているのは少ない方がいい。尻尾を切るならなるべく下の方がいい……いえ、仮にその場では切られなかったとしても、もしも私達の国が戦争で負けて殺人電波の存在が明らかになったとき、それを入手したのが私達二人だと世間に知れたら……どうなりますか」
「……次の朝日は拝めないかもしれませんね」
「その日の夕食すら食べられないかもしれませんよ。――だから私はこうします」
リリリカは研究結果のデータをまるで公園のごみ箱に空き缶を投げ捨てるような気軽さで馬の前へと投げ、馬にそれを潰させた。
「……あーあ…………。研究データなんてありませんでした、って嘘をつく選択肢だってあったのに」
「そんなのはいずれバレます」
「それにあの博士の嘘八百でバックアップがあったらどうするんですか……。うちの軍がそれを入手したら僕ら電波で殺されちゃいますよ? ビリビリビリビリってね」
「そのときはそのときです。そんな可能性を心配をするよりも逃げた方が賢明ですよ。世界は私達が思っているより広いですし、それに……あのデータがなければ今後の死者も減るでしょう」
「やる気のない軍人ですね」ロクはシニカルに笑った。
「言ったでしょう。私は生きるために産まれてきたんです。――それに軍人がやる気を失くした方が平和になっていいでしょう? ああでもロクの場合は国に戻って私に責任をなすりつけるという手もありますね」
「というか本当にリリリカさんのせいなんですけど……。ま、僕も戻りませんよ。お供します」
「あら、それはなぜですか? 広大な世界を前にして男心がくすぐられましたか?」
「いいえ、天秤にかけたんですよ」
「天秤? なにと、なにをですか?」
「軍の恐ろしさと、リリリカさんの恐ろしさを、ですよ」
リリリカは子どもがそうするようにえくぼを作って、
「――まあ一人よりは二人の方が、生存率は上がるでしょう。でも自分の命くらいは自分で守ってくださいね、ロク」
「もちろんですよ、リリリカさん。では早いところ遠くへ行きましょうか。人生はたいてい緊急時らしいですからね」
「そうですね。少なくとも」
「少なくとも?」
「――電波の届かないくらい遠くの場所へ、ね」
ロクはそうですねと笑いながら進むべき方へと向き直した。
リリリカは手綱を引き、ロクの前に出る。
そして二人の馬はその主人たちとともに、全然複雑さのない素朴で簡素な道を何の目標もなく、ともすれば生きるだけという動物的で明々白々な目標のみをもって軽やかに駆け出していく。
すぐに消えてしまうであろう馬蹄の跡が、土の上に刻まれていった。
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