誰も買わないその花は(2)

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誰も買わないその花は(2)

「大方、この町でそれ(・・)が売れると聞いて仕入れたんだろう?」  ノアが話だけならと了承するとイーライはこう切り出した。 「前の前の町で、ね。騙されるとは思いませんでしたが」  仕入れに失敗したのは店に陳列されている大量の白い花。  どれも美しく咲き頃を迎えている。鉢に植えられているもの、花束にされているもの各々あるがどれも同じ花で、同じ白色だった。 「確かに」イーライが言った。「――この町では確かに、その花は売れる。それも他の町よりはるかに高く、な」  ノアが眉根を寄せる。 「ならなぜ、誰も買ってくれないのです?」  言いながら質のいい銅貨を三枚差し出した。  商人の情報交換には対価が必要だ。  イーライはそれを固辞した。 「敵に塩を送るような真似はしたくはないが。同業の先輩としてひとつ、教えてやろう。……それはな、色だ」 「色、ですか?」 「白はダメなんだ」  ノアは辺りを見渡した。白い服を着た買い物客の婦人。レンガ造りの白く染められた店の壁。市場の入れ口にかかっている麻製の垂れ幕も、白。  どうやら文化や宗教的な理由ではないらしい。 「……降参です」  イーライは小さく口角を吊り上げた。 「花言葉って知っているか?」 「…………ああ。そういうこと、ですか」  ノアはわざと大きく首を横に振り、それを見ていたシャロは首をひねった。 「この町では、白いその花は【厄災】とか【不幸の前触れ】という意味の花言葉がある。だから普通は買わない。逆にほかの色は大抵いい意味がある。それらは高く売れる」 「……花言葉、ね。僕に売った人はこの町では価値のないこれを処分したかった」 「そいつにとってあんたは渡りに船だったわけだ」 「一杯食わされましたよ」 「知らなければ仕方がない。別にあんたの落ち度じゃない」 「とは言ってもですね、この量は――」 「なんで」  不意にシャロが言った。消え入るような声。 「……どうした? シャロ?」  シャロの先ほどまでの無表情が嘘のように歪んでいた。なにかを憎むような、そんな顔。 「…………なんで。そんなの、人間が勝手に決めただけじゃないですか。……お花は……だって、お花は、こんなに綺麗なのに…………」 「シャロ……?」  イーライがシャロに近づき、ひざを曲げる。 「お嬢ちゃん、言いたいことはわかるが、俺たち商人はモノに価値をつけるのが仕事だ。なにかに価値をつけるのは、なにかに価値をつけない、ということでもあるんだよ。それがたまたまこの白い花だったという訳さ。わかるかい?」  シャロの碧の目が、イーライを射抜く。  それは冷たく鋭く切り立っていた。 「――ま、まあ、とにかく、あれだ。それよりも商売の話だ」  イーライがノアに向き直して言った。 「……どんな話です?」 「同業のよしみで、なんとかしてやってもいい。これでもこの町の商工所の長なんだ。顔は方々に効く」 「売れないのではなかったですか?」 「そんな顔をしないでくれ。ウラがあるかと思われるのも仕方ないがな。まあ、簡単に言うと技術があるんだ」 「……続けてください」 「この花自体はいい出来だ。あんたの目に狂いはなかった。問題は色だけなんだ。花の色を変える化学技術が、この町にはある。……どうだ、あんたが仕入れた金額のうち、全額は無理だが、そうだな――六割でどうだ? 懐事情は知らんが、たとえ全財産投げうっていたとしても、六割戻れば次の町までの生活は出来るだろう?」  ――六割。花の量とその額を、ノアは瞬時に頭のなかで計算した。  そして、次の町までの距離と、この花を仕入れた前の前の町までの距離。そこまでの道中にかかる金額。 「なるほど、そういうことか……」ノアは髭のないあごを左手で触った。 「ん? なにか言ったか?」 「いえ、こちらの話です。お話ありがとうございます。ですが、六割は厳しいです。七割にしてください」  イーライの眉がピクリと跳ねた。 「七割? おいおい、そいつは無理だ。いいか? あんたひとりじゃその花の価値はゼロだ。ゼロ。俺がいないとどうしようもない。交渉なんて無理な話だ。こっちも慈善事業じゃない。それとも、この大量の花を次の町まで持っていくか?」  次の町までは早馬を使っても二、三日で着く距離ではない。  花は枯れてしまえば価値がない。 「では六割五分でどうでしょう? 僕の立場で無理な要求をしているのは理解できます。ですがどうか頼みます。こちらも事情があるんです」  と、ノアはシャロのほうをみた。 「……兄妹でもなさそうなのにどういう理由で一緒にいるか、詮索はしないが――、訳あり商人なんて腐るほどいる。そいつら全員に構っていたらこっちの生活ができんよ」  イーライは大げさに両肩を上げた。  交渉に応じる理由がイーライにはこれっぽっちもない。  それはもっともで、シャロはイーライを上目遣いに睨みながら黙ってみていた。 「七割なら」ノアは言った。「――七割なら、僕たちは前の前の町まで戻れます。しかし、六割五分ならそうはいかないでしょう。だから、六割五分にして頂けませんか?(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)」 「なんだ? ……どうしてあんたが戻る話をして――、っておい、あんたまさか気がついて…………」  ノアは首を傾げて笑った。 「――わ、わかった。あんたを信頼して七割でいい」 「ありがとうございます。三割は勉強代ということで諦めますよ。おっと、それとですね」 「……ま、まだなにか?」 「この花、少しだけ手元に残して置きたいのです」 「……どういうことだ?」 「これもこっちの事情ということで」 「……‥まあいい。ノアさん、だったか。覚えておくよ」 「こちらこそ、次に会ったときもお願いしますね」  イーライは脂汗をたっぷりを浮かべて無理やり笑った。
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