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誰も買わないその花は(3)
花の受け渡しと清算を済ませると、すぐにイーライは去っていった。ノアたちのもとには少量の花が残った。
「さあて、早く売れないかな…‥」
ノアがそう言ったところで、裾が引かれた。
「ん? どうしたシャロ?」
シャロは不思議そうにノアを見上る。
「……どうしてあの汚いおじさんはノアに七割の金額を払ったのですか?」
「汚いおじさんときたか……。間違ってはいないな。いろんな意味で。――えーと……、それはね、脅したからさ」
「脅した? だれが、だれをです?」シャロが小首を傾げた。
「僕が、イーライさんを、だな」
言いつつ向かいの店と店の間にある細い路地に視線だけを這わせた。
そこには、小さい影。
「――ノアがイーライを?」
「そう。つまりだな――、この話にはウラがあった」
「それってノアが騙されたことですか?」
と、シャロがちょっと意地悪に言い、ノアが肩を竦めた。
「さらにウラがあったんだ。あいつら――前の前の町で僕に花を売った商人と、イーライはグルだったんだよ」
「グルって?」シャロが狭い額に細い人差し指をあてた。
「グルっていうのは、そうだな【悪いことをする仲間】みたいな意味かな」
「イーライも悪いことをしていたのでしょうか?」
ノアは向かいの路地を窺うが変化はない。
「そう。前の前の町でカモ――まあ、不本意ながら僕のことだけれど――に花を売る。そしてイーライがカモから六割程度で買い取る。素知らぬふりでね。彼らはタダで四割程度の利益が得られる」
「? でもそれって――」
「その通り。イーライが僕のことを放っておけば全額彼らのものだね。ではなぜ放っておかないのか? 理由はふたつある」
ノアは左手の指を二つだけ伸ばした。
「ふたつ?」
「そう、ひとつは買いたかった。もうひとつは買いたくなかった」
「もう。わかるように教えてください」
シャロがへそを曲げた。
「――ひとつは化学技術が本当で、あの花には再利用する価値がある。色の加工代を差し引いてまた利益が生まれる。つまり僕からあの花を買いたかった」
「なるほど……。もうひとつはなんでしょう?」
「恨みを買わないため、かな」
「恨みを買わない?」
「心理的な問題だよ。お金を失った商人が町を戻って報復をするかもしれない。けれど六割程度戻ってくれば、こんな失敗もあるかと前へ進もうとするものなんだ。だから僕はそれを匂わせた」
シャロは納得がいっていないようだ。
「それにね」ノアは付け加える。「――たいていの人間は、自分の失敗を認めたがらない。前の町に戻ることはそれを認めるようなものだからね」
「……ノアもそう?」
「そうだね、僕は――人間だからね」
それを聞いたシャロは眉尻を下げた。その碧の目は哀しそうにくすんだ。
「人間だから……。……にん、げん…………」
「――シャロ?」
シャロは地面を見た。そして小さな両の手を固く握った。
「わたし……やっぱりわからないです。さっきも思いました。どうして人間は同じ花なのに色が違うだけで嫌うのですか? 花言葉ってなんですか。こんなに綺麗じゃないですか。同じじゃないですか。なのに、なんで? 教えてよノア。人間じゃないわたしにはわからないのです! なんで……。どうして!! わたしだって……形は人間と同じなのに……。なんでわからないの? どうして人間とちがうの……?」
「シャロ……」
静かに震えている華奢な肩が抱きしめられた。
「――ごめん。シャロがあの花に機械人形の自分を浮かべるのは無理もないのに、全然気がつきもしなかった。……本当にごめん」
シャロは――同じ形でも色が違うだけで価値のない花と機械人形である自身を並べた。
外見も内面もほぼ同じである人間と機械人形の価値の相違は、果たしてどこにあるというのだろう?
白く美しい髪を優しい風がそっと梳いた。
「……ごめんなさい。…………ごめんなさい、ノア。こんなことをノアに言っても困りますよね。わかってる。これはわたしの問題です。……うん、これはわたしだけの……。この話はこれでおしまい。おしまいです!」
シャロはノアを自分から引き離すと、強張った笑顔でそう言った。
「シャロ……、シャロは…………強いな」
「…………そうでも……ないですよ。強くなんかない。弱いことに慣れているだけです」
「いつか」ノアは誓う。「――いつか、シャロを認めてくれる世界を僕が見つけるから」
「うん。待っていますよ。…………ねえ、ノア。ノアはこれからどうするのですか?」
「…………そうだな。前の前の町まで戻って彼らを吊るしあげたところで往復するお金が勿体ないし、何もしないことで彼らにひとつ恩を売った形になる。これはなにかの役に立つかもしれない」
「でも役に立たないかもしれないでしょう?」
「そうかもしれない。でも貸しと信頼を積み上げていくのが、商人だよ」
「カッコイイこと言っているふうですけど、もともとはノアの失敗が原因だから、実は結構ダサかったりしますね」
シャロが真っ赤な舌をべっと出した。
「はは……、それを言われると、痛いな……」
「あ、それと」シャロはポンと手をたたきながら言った。「――もうひとつ、わからないことがあります」
「ああ、この残った花のことだろう?」
ノアがにやりと笑った。
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