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誰も買わないその花は(4)
「そうです。どうせなら全部買い取ってもらえばよかったのに。まだ売る気なんですか?」シャロが言った。
「ああ、この市場での販売権も買ってしまったし」
販売権は結構高かったんだぞとノアが加えた。
「売れないのでは仕方ないじゃないですか」
「僕は商人だよ、シャロ。商人は商品を売る人のことを言うんだ」
どの口が言うんだか、とシャロが口を尖らせた。
「――そう、僕は商人で、お金が好きだし、ついでに売ったモノがお客さんに喜ばれるともっと嬉しい」
「? だからなんです?」
「シャロは自分の白い髪は好きか?」
「うーん、汚れが目立つこと以外は気に入っていますね。もともと白は好きな色ですし」
「この花はどう?」
「それはさっきも言いましたよ? あれで売れないなんて、人間も見る目がないですね」
「そう、つまりだ」
そしてノアは大きな声で、通りによく聞こえる――そう、向かいの細い路地にもよく通るような大きな声で――こう言った。
「――この女の子は、白くて美しい花が好きなんだってー!」
通りにいる、全員が振り向いた。
市場がざわめく。
「ちょっと、なになになになに! 恥ずかしいじゃないですか! どうしたのですか! 嵌められて失敗してその上残りの花も売れなくて! 頭おかしくなっちゃったんですか!?」
シャロがノアの裾を乱暴に引っ張って抗議した。
そして、ノアだけは見ていた。
向かいの細い路地から小さい影が現れるのを。
それは通りに出て日光に照らされながら、ノアの店にゆっくりと向かってくる。
「ほら、シャロ。店番はお前の約束だろう?」
真っ赤な顔でノアを叩いていたシャロは見上げて、「店番もなにも、お客さんなんていない――」とまで言って気がついた。「へ? お客さん?」
店の前には、小さな男の子が立っていた。少年だ。シャロと同じくらいの年齢だろうか。しかしその少年は店の前で固まってなにも喋らない。
シャロが向きなおし男の子に尋ねた。
「えっと、あの、お客さん……ですよね?」
「……………………はい」少年は俯きながら小さく言う。
「お客さん第一号……! ええと、愛想よく……。い、いらっしゃいませ! どれをご用意いたしますか?」
「あの……」
「はい、なんでしょう?」
「あのっ! キ、キミなら、どっちがいいと思う?」
鉢植えの方か、花束の方か、ということらしかった。
「……どちらも素敵だけど、そうですね、花束の方がいい……ですかね。鉢は重くて旅商人のお供には適しませんので。なんて、わたしの話をしても仕方ないんですけれど」
少年は旅商人のお供という言葉を聞いてなんだか悲しい顔をしたが、
「じゃあ、それで」と言って、花束を指さした。
「え。いいんですか? 花束で? 本当に?」
「うん、それがいい……です」
「あ、ありがとうございます! ではこれ、どうぞ――」
シャロは少年の汗で濡れたボロボロの銅貨を受け取り、代わりに花束を渡すと、
「はい、これ……」とそのまま花束を突き返された。
ノアが囃し立てるように高く口笛を鳴らす。
「え? 返品……ですか?」
「ちがう。プレゼント……。キミに……。受け取ってくれると嬉しい」
「わたしに? プレゼント? でもこれって、この町じゃ――」
シャロの肩に、後ろからノアの手が伸びた。ノアが無言で首を横に振る。
「だってキミ……白くて綺麗な花が好きなんでしょ? これ、とっても綺麗だから。だから……、キミに」
「……ありがとう。わたし、シャロ」
少年は顔を上げてぱあっと明るくする。
「ぼくはレオ」
「…‥レオ。ありがとう。とっても嬉しい。わたし好きなの。綺麗なお花も。この、白も。――本当にありがとう」
シャロはそう言って花束を見つめた。
その花は売れ残るにはやはり美しすぎた。
「――じゃ、じゃあ、ぼくはもう行くから!」
「あ、ちょっと――」
少年は小走りで喧噪の中に消えていった。
シャロはしばらくもらった花束を見つめたあと、「ノア……、あの男の子はなぜわたしにこのお花を――この町で嫌われているこのお花をくれたのでしょうか? ……ハッ。まさか……いやがらせ?」
ノアはそっとシャロの頭に、大きな左手をのせてこう言った。
「さっきシャロが言ったことと同じだと、僕は思うよ」
「わたしの言ったこと?」
「うん。――あの男の子にとっては同じだったんだ。ほかの美しい花と、この白い花。花言葉なんて関係ない。自分が美しいと思ったこの白い花をシャロにあげたかったんだよ。ただそれだけじゃないかな」
「自分の思った通りにしただけ――」
「うん、だからあの少年はずっとシャロのことを見ていたんだね」
シャロはそれを聞いてもう一度きれいな花束を見つめた。
――そして気がついた。
「え? ずっと、ですか?」
「うん、ずっと」
「いつから?」
「んーと、イーライが店に来る少し前、かな」
ノアがこの売れないはずの花をあえて残した理由。
「……あ、ノアが言っていた買ってくれそうな人って」
「――さあて、どうでしょう?」
「…………ノアはたまに意地悪です。――あ。でも、ですよノア」
「どうした?」
「この残りの花を売らないと次の町まで行けないですよ?」
「…………しまった、ひとつだけにしておけばよかった。いや、ひとつだけだと見栄えが悪いと思ってさ」
「ノアは商人です」
シャロはひとつ指をたてて言った。
「……だから?」
「商人は商品を売る人のことを言うと聞きました」
「はいはい、わかったよ。どうにかして売りますよ……」
「ふふ、頼りにしていますよ、ノア」
「はいはい……」
ノアは頼りなさそうにその金髪を掻いた。
――今日も。
ノアは商売をしている。
その隣には白くて綺麗な長い髪を持つ少女がひとり、笑っている。
市場はまだまだ騒がしく、店先にはひとつ減った白く美しい花が、背筋を伸ばして咲いていた。
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