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事件後私は神楽さんから『国際防衛戦略研究所』で一緒に働かないかという誘いがあったが、どうも気持ちが乗らず丁重にお断りした。
姉が天国に旅立ってから私は姉に代わって何かできることはないだろうかと考えたが、平凡な1人の会社員である私ができることは限られていた。
でも何かを世の中に訴えたいと考えた私は、今回の姉の事件のことをノンフィクションとして記事にして出版しようと考えた。
このことは、お墓に行って姉に報告した。
それからの日々、私は会社を辞めて本の執筆に集中した。
私はこの本の中で、日本が長崎と広島に投下された原子爆弾で多くの犠牲者が出たことをはじめ、今回の姉の事件を取り上げて姉が果たそうとしたことを真摯に率直に執筆した。
長崎と広島の原子爆弾の投下に関しては、長崎と広島で実際に原子爆弾を体験した人への取材や当時のアメリカの要人への取材、現代の日本人とアメリカ人が原子爆弾のことをどう考えているのかを3年余りの歳月をかけて取材した。
そして嘘偽りなく丁寧に原稿をまとめた私は出版社に作成した原稿を提出して出版してくれるようにお願いしたが、なかなか取り上げてもらうことができなかった。
それでもあきらめずにいくつもの出版社を訪問していると、ある出版社の『水篠(みずしの)』さんという編集長の目に留まった。
「この原稿は、真実に真正面から向き合った内容ですね!
本として出版して売れるかどうかはわかりませんが、採算を度外視してでも出版するべき意義のある原稿だと感じました。」
この水篠さんが私の原稿を企画書としてまとめ、出版社の上層部にプレゼンして説得してくれたようで、私の原稿は正式に本として出版されることになった。
本のタイトルを私は『核の脅威』としたけれど、水篠さんと出版社の担当の方と協議してタイトルを『真実の平和』とし、サブタイトルを『核の現実』とすることで決まった。
ライターとして知名度の低い私の本は、出版当初は売れ行きは芳しくなかったが、この本はある地域で少しずつ売れ行きが伸びていった。
その地域というのは広島で、当初広島市長の目にとまり広島市長がSNSで本を紹介してくれ、その後広島県知事の目にもとまり広島県知事もSNSで本を紹介してくれた。
このことがきっかけで、私の本は少しずつ全国の書店で売れ行きが伸びていった。
また、この本のことが日本在住のアメリカ人記者に絶賛され、英語に翻訳された本が米国でも出版されると当時核廃絶を訴えていたアメリカ大統領の目にとまった。
私は日本の外務省から連絡を受けて、アメリカのホワイトハウスを訪問し大統領と面会することになった。
ホワイトハウスを訪問しアメリカ大統領と対談した際、私が核に対する思いを訴えるとアメリカ大統領は私の訴えを真摯に受け止めてくれたようで、
「私も核のない世界を実現させたいと考えています。
今まで以上に精力的に核のない世界を実現するために、最大限の努力をすることを約束します。」
と私の思いを受け止めてくれた。
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