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これは、まだ竜がいた頃のお話です。とある村をとり囲む拓けていない森を抜けると、清らかな湖がありました。日が沈むほど大きな湖です。村のいじめられっ子の少年は、羊の世話を怠ける時は、いつもここに来ていました。友達に会うためです。
ある日、村の子供達にいじめられて途方に暮れると、少年フリードリヒは森を彷徨い、湖にたどり着きました。湖の浅瀬を見ると、人の頭ほどの大きさはある大きな卵がいくつもひび割れていました。猛禽に食べられた卵もあるようです。孵化に成功した卵はそのうちの一つだけでした。一つの卵から四足の足跡が続いています。フリードリヒは息を潜め、追いかけます。
足跡の先の茂みの中で、黒く、光沢のある鱗を持つ獣が、狐に突かれているのが見えました。硬い鱗を持つその獣に狐の牙は通りません。
(あれは、竜だ…)
フリードリヒは、すぐに分かりました。フリードリヒの父ゲオルクは名の知れた龍退治の勇士です。人を喰らう竜を殺した英雄として、村では誰からも尊敬されています。フリードリヒは、そんな父親から恐ろしい竜の話を聞かされていました。強靭な鱗で覆われた肉体、いとも簡単に人を噛み砕く牙、人肉を喰らう獰猛な気性。そう聞かされてはフリードリヒは見たこともない竜に怯えていました。しかし、目の前にいる竜は、小賢しく弱々しい狐に怯える、いたいけな小動物でした。フリードリヒは生まれたての竜をいじめる狡賢い狐に怒りを感じ、狐を脅して、竜の子供を助け出しました。
助けた竜の子供は、はじめは怯えていたものの、フリードリヒが優しく撫でれば、体をすり寄せてきました。フリードリヒは、この竜に悪意がないことを感じ、何年も竜のいる湖へと通い続けました。人間の友達がいないフリードリヒにとっては、この竜は唯一の友達でした。
フリードリヒは家に帰れば、いつも俺が若い頃はこうだったとか、お前は腑抜けだ、とか父親の説教を聞かされて育ってうんざりしていました。外に出れば村の子供達からいじめられて、家に帰ればそんな不甲斐なさを罵られる。そんな日々の癒しは、言葉こそ伝わらないけれど、心の通うあの竜だけでした。そんな生活を何年も続けていると、いつしか竜はフリードリヒを飲み込めるほどの大きさへと成長していました。フリードリヒは人間と竜の種族の違いを思い知らされました。
フリードリヒがいつものように日課の羊の世話を抜け出し、湖へとたどり着くと背後から声が聞こえました。
「つけてきて正解だったな」
いつもフリードリヒをいじめる子供たちです。
「前々からおかしいと思ってたんだけどな。まさか、こんなに珍しいものを見つけられるとは」
「竜退治の勇士の息子が、竜と馴れ合ってていいのかよ?お前の親父みたいにその竜を殺してみろよ」
フリードリヒには、たとえ、力があってもそんなことはできません。この竜は、かけがえのない親友だからです。
「お前ができないなら、俺がやるぞ」
「やめろ!ただじゃ済まないぞ!」
実際、この竜に子供たちが敵うわけありませんでした。子供たちは、護身用の短剣で竜の体に傷をつけようとしました。竜は、一切の抵抗の色を見せません。
「こいつ、硬すぎる!」
竜の鱗は、子供たちの短剣では傷ひとつつきませんでした。
「お前の親父に報告だな。湖に害獣がいるから、殺してくれと依頼してくる」
大変なことになった、とフリードリヒは思いました。ゲオルグは竜を殺すためのあらゆる武器を持っています。仲間を連れてやってくるに違いありませんでした。
「頼む!お前は、逃げてくれ!殺されてしまう」
竜は長い首を横に振りました。
「なぜ逃げないんだ!殺されてしまう!」
竜は、翼を広げて後ろ脚だけで立ち上がりました。そして、言いました。
「巣立ちの時が来たんだ。お前も、俺も…俺だけ巣立つわけには行かねぇ」
「お前、喋れたのか⁉︎」
「そうだ。村の奴らに一泡吹かせてやろう」
しばらくして、大勢の剣を持った戦士たちがやって来ました。その先頭にはゲオルグがいます。
「フリードリヒ!見損なったぞ。人間ではなく、竜と遊んでいたのだな。竜は、戦士が手柄を上げる獲物として相場がきまっている!」
フリードリヒは、竜に跨がり、言いました。
「人間の手柄のために、罪のない動物を利用するな!」
彼らは呼吸を合わせると、少年と竜は人馬一体ならぬ、人竜一体と化します。
「かかれぇい!」
ゲオルグの合図で、戦士たちが剣を構えて駆け出してきます。流石の竜の鱗も、鍛えられた剣には負けてしまい、いくつかの傷ができてしまいました。しかし、竜は尻尾で戦士たちをなぎ倒しました。
次は、もっと精強な軍勢が来るようです。竜は炎を吐き、食い止めました。幸い、戦士たちは軽い火傷で済んだようです。
そして、ゲオルグが大剣を持って竜を屠りに来ました。少年は、戦士のサーベルを拾い、構えます。竜は、助走をつけて低空飛行しました。ゲオルグは竜の翼を切り裂きました…しかし、すれ違いざまにフリードリヒはゲオルグの腹を切り裂きました。
「グッ…強くなったな。息子よ…」
ゲオルグはどこか嬉しそうに言いました。フリードリヒはそれを聞いて、巣立ちの兆しを感じました。
もう、竜と少年の猛威に誰も攻めてくる人はいませんでした。
「飛べるか?」
「飛べる」
そう言うと、竜は空高く、飛び上がりました。
「どこまで行くつもりだ?」
「世界の果てまで冒険するんだ!お前と一緒に!」
「そうは行かない。隣町で降ろす」
「え?なんで?」
「竜と人間は一緒にいない方がいい」
「だったら何で今まで一緒に…?」
「…寂しかったからだ」
「寂しいなら一緒にいようよ」
「俺には生まれた意味がある。生まれてから死ぬまで、守り通すものがある」
「なんのこと?」
「竜は守護者…俺は、いつかできる国を守るために生まれてきた。お前と会うのは必然だったんだ。お前の国を、俺は守る。だから、お前は、東の地に自分の王国を作ってくれ」
「そんなこと信じられるわけあるか!僕は友達もいなかったんだぞ!それに、お前がいなくなったら…」
「信じなくてもいい。じきにわかる日が来る。それに、旅をすれば人間の友達もできるさ」
そう言い、微笑むと、竜は少年を隣町近くの森に下ろしました。
「さよならだ」
竜は、一方的にそう告げました。少年は何も言えずに、竜が飛び立つのを眺めていました。
これは神聖ロムルス帝国建国のプロローグ。王になる少年の巣立ちの物語。少年は後に神聖ロムルス帝国を建国することになる。竜は、その陰で国を守り続けたのであった。ゆえに、人々はその皇帝をこう呼んだ。竜王フリードリヒ、と。
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