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空から来た少年
「旦那! 空から男の子が!!」
「何だって!?」
キョウは畑を耕す手を止めて、咄嗟に空を見上げた。
五月晴れの空の下、久しぶりに畑仕事でもと思っていた矢先の出来事だ。
雲一つなく真っ青な空の上を、一筋の白い線が走っていた。その端には少年が居た。しかも箒に跨ったままという謎の恰好だ。その少年が、今まさに恐ろしい勢いで空から――この畑に向かって落下している。
「旦那! 危ないぜ!」
「お、おう」
二人は急いで、とりあえずキョウの家の中に避難した。
「なんなんだありゃ!? 物の怪の類か!?」
興奮した様子でシマが言った。シマはこの町の小さな奉行所の岡っ引きだ。あまりにも事件がおきないど田舎なので、こうして毎日町中を手持無沙汰にうろうろ回っている。暇だなあ、とおもむろに空を見上げたら少年を見つけたというわけだ。
「うわあああ!!止まれえええ!!!」
外から大声が聞こえたので、キョウは少しだけ引き戸の隙間から外を見た。シマもそれに続く。
「喋ったな! 物の怪って喋るのか!?」
「知らねえよそんなこと」
ところが、それっきり声は止み、畑は穏やかなまま変化がない。あの速さで落ちてきたなら、もうとっくに畑に落ちてきているはずだ。キョウは心穏やかではなかった。畑には夏に向けてトマトの苗が植えてあるのだ。そんな所に落ちて来られたらたまったものじゃない。
「おい、もうそろそろ落ちてきてもいいんじゃないか」
「そうだな……旦那、確認してくれ」
「馬鹿。そういうのは岡っ引きの仕事だろ」
「勘弁して下せえよ。物の怪は専門外でさあ」
仕方なく、キョウは引き戸を全て開けて外に出た。畑は無事だった。
しかし、そこには少年が箒に跨ったまま――トマトの苗のぎりぎりの所で浮いていた。まるで時が止まっているようだ。
少年の髪は真っ白で、瞳は今日の空よりも青い。こんな綺麗な色をキョウは見た事が無かった。
服は洋服で上下ともに真っ黒だ。その姿は軍の関係者を思わせた。
「旦那、これはいったい……」
おそるおそる後から出て来たシマが驚いた様子で言った。シマもまた、奇抜な少年の姿を見てますます目を丸くした。
「あれ……生きてる」
少年はそう呟くと、ぴょんと蛙のように跳ねて箒から降りた。そしてキョウとシマを交互に見て、微笑んだ。
「良かった……助かったんだ……」
そう言うと少年は、膝からぐらりと崩れ落ちた。咄嗟にキョウがそれを受け止めた。死んだ、そうキョウは思ったが、聞こえてきたのは穏やかな寝息だった。
「どうするんです旦那。こんな物の怪放っておきましょうよ」
「そういう訳にもいかんだろ。生きているんだから」
キョウとシマは、とりあえず家の中に少年を運び入れた。少年はすやすやと眠ったままだ。
キョウは万年床と成り果てているそこに少年を横たわらせた。お世辞にも綺麗だとは言えないが、布団は一組しかないので仕方がない。
「おっかねえ……あんな空から落ちてきて死なねえなんて。いったい何の物の怪なんですかね」
「まだ物の怪と決めつけるのは早いだろ。新しい空を飛ぶ実験か何かかもしれん」
「そりゃあそうかもしれやせんが……箒なんかで空を飛ぶ実験なんてしますかね?」
分らないのでキョウは黙っておいた。確かに箒で空を飛ぼうとするなんて時代錯誤だ。
数十年前、この国は異国からの影響を大きく受けた。それによって、科学、医療――人々の暮らしは大きく変化を遂げた。
キョウたちが生まれる前はあったという身分制度とやらもなくなり、人々は好きな仕事就くことが出来るようになった。人々は好きな服を着て、好きなように生きている。それが今の世の中だ。
大まかな移動手段は電車、バス、車――そして飛行機がある。今や空を飛んで移動をすることは珍しいことでもなんでもない。しかし、何故、箒なのだろう……。それではまるで――。
「うっ……」
「旦那! 気が付いたようですぜ!」
少年が呻いた。
キョウとシマは布団に駆け寄り、その顔を覗いた。
「あれ……ここは……」
「ここは桃遊町だ。気が付いたか」
「とうゆうちょう……」
少年はぼんやりと天井を眺めていたが、やがてがばり、と起き上がった。その勢いで部屋の埃がふわりと舞った。
「僕、生きてる!」
「やい物の怪! お前の正体はいったい何なんでい!!」
シマが十手を手に握り言った。
それを見た少年は可笑しそうに笑った。
「な、何が可笑しい!」
「いや、時代劇みたいだなあって……」
そう言うと、少年は布団の上で正座をして二人に頭を下げた。
「助けていただいてありがとうございました。僕は優と言います。漢字で優しいって書く優です。訳あってこの国に派遣されたんですが、雲の中で上手く飛べなくなってしまって……」
少年――優は悔しそうに眉を歪めた。そして、思い出したように立ち上がる。
「あの、僕の箒知りませんか!?」
「それならあそこだ」
キョウは壁に立てかけてある箒を指差して言った。それを確認した優は嬉しそうに笑った。
「良かった……あれが無いと僕、移動が出来ないから」
「優、と言ったな。お前は一体何者なんだ」
「えっ?」
「どうして箒で飛んでいた。そして派遣されたと言ったな。何の目的でこの町に来た」
そう言ったキョウは腰にぶら下げている刀を軽く握った。それを見た優は目を丸くする。キョウの職業は――サムライだ。この国で唯一刀を持つことが許されている職業である。サムライと言ってもたくさんの種類があり、シマの上司の同心もサムライ、隠密もまたサムライと分類される。キョウのように、町の用心棒としてサムライを行っている者も少なくない。
優は驚いたように言った。
「すごい、お兄さんはお侍さんなんですか?」
「質問に答えろ。何故、箒で空を飛んでいた」
「そんなの決まってるじゃないですか。僕は魔法使いだからですよ」
それを聞いたキョウとシマは固まった。この国に魔法使いという職業は無い。そもそも魔法使いというもの自体が存在しない。それは架空の人物として物語の中にあるだけの存在だ。
シマは首を傾げる。
「旦那……こいつやっぱり落ちたんですよ。その拍子に頭をぶつけちまったんだ」
「失礼ですね! ちゃんと魔法使いです! 魔法も使えます!」
「魔法って言っても坊ちゃんや。そんなものこの世に存在しないじゃないか。そんなお伽噺を信じろって言うのが間違ってら。正直に本当のことを吐いちまえよ」
「……分りました。では今からお見せします」
優は右手の人差し指でシマを指差した。そのままそれをすっ、と上に移動させる。すると、今まで床に足を付けていたはずのシマの身体がふわり、と空中に浮いた。シマは悲鳴を上げる。
「うわあああ!! 物の怪め!! やめろおおお!!」
「あなたの言う物の怪だって架空のものじゃないですか」
そういって優は指をまたすっ、と動かす。すると、浮いていたはずのシマの身体がどさりと床の上に落ちた。シマは尻餅をつきながら優から離れる。
それを見ながら優は笑ってみせた。
「ね、魔法って存在するでしょう?」
***
優は自分のことを正直に話し始めた。
「僕は今言った通り、魔法使いなんです。この国に派遣された目的は、この国の景色をフォトグラフに残すことです」
「ふぉと……写真のことか」
「そうです!! その文化もこの国にはあるんですね」
「当たり前だ」
「……写真なんか撮ってどうするつもりでい」
すっかり小さくなってしまったシマが聞いた。それを聞いた優は誇らしげに言う。
「僕、駆け出しのカメラマンなんです! 今は新聞社の専属なんですけど、いつかは独立したいなって思ってます」
「……派遣されたと言ったな。それは何故だ」
「それは、僕の腕があまりにも下手だからです!」
そこは誇らしげに言うなと、キョウは心の中で思った。
優は続ける。
「あまりにも下手すぎて、魔法の無い国で一から勉強して来いと言われました。だからこの国を選んだんです。いろんな文化があって面白そうで……!」
「話がよく分らんが、それは派遣ではなく研修ではないのか」
「違います! これは断じて派遣です!」
優はムキになって言った。
キョウは溜息を吐く。「魔法」というものはついさっき目の当りにしたので信じるしかない。しかし、そもそもこの少年は何処から来たというのだ。
「今、僕が何処から来たのかって考えたでしょう?」
「……何故そう思う」
「カメラマンの勘ですよ!」
飛び跳ねそうな勢いで優が言った。
「良いですか? この空はいったい何処に繋がっているかご存知ですか?」
「そりゃあ、宇宙だろ」
「残念。それも正解なんですけど、少し違うんです。空には小さな隙間が空いていて、そこが僕らの国……魔法界とでも言っておきましょうか。とにかく、そこに繋がっている場所から僕は箒で来たわけです」
キョウもシマも首を捻るばかりだった。
そんな話を信じろと言うことが間違っている。
空の向こうは別の世界に繋がっている、と考えたことが無かったと言えば嘘になる。しかし、ロケットが宇宙に飛び立つ今、そんなお伽噺のような話は到底信じられなかった。しかし、魔法は存在している――キョウは目の前の少年の目を見た。それは嘘を吐いている目ではなかった。
ふっ、とキョウは笑った。シマは驚いてキョウを見る。
「旦那、まさかこいつの言うことを信じるんじゃ……」
「信じるしかないだろう。現にお前が浮いたのを見たんだ。それが一番の証拠になるだろ」
それを聞いたシマは頭を掻く。それは信じようとする自分と闘っているようだった。
「信じて下さるんですね! ありがとうございます! では、さっそく記念に写真を一枚……」
そういって優はポケットに手を突っ込んで小さなカメラを取り出した。
「二人とも、笑ってくださいね……はい、チーズ!」
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