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トマトの写真
「何を撮ろうかなあ」
優は両手の親指と人差し指で四角を作って、キョウの部屋の隅々を眺めた。
泊めてやる、と言ったキョウの家は散らかり放題だった。ひとり暮らしが長く続くとこうなってしまうのかと、逆に感心してしまう程だった。
まず、優は部屋の掃除から取りかかり、なんとか自分が寝るスペースを確保した。この家には布団が一組しか無いので、優は毛布を借りてそれを床に敷いて眠った。それが出会って一日目のことである。あれから数日が経過していた。もう雨の降る日は減り、もう梅雨明けなのかもしれない。
カメラが直ったという知らせは一向に来ないままである。仕方がないので、優は他の部屋の掃除に取りかかっていた。部屋は2LDKだが、家は平屋の一軒家だ。その広さに慢心してか、キョウは適当に物を開いている部屋に押し込んでいた。まさにその部屋が優に与えられた部屋である。
まだまだ綺麗とは言えないが、物置部屋、と思ってしまえば気にならない。優は箒を手に取り、床の埃を払いのけながら欠伸を噛み殺した。もちろんキョウの家にあった箒だ。自分の箒は大切に壁に立てかけてある。
キョウは今、用心棒の仕事に出ていて留守だ。優はといえばカメラが無い今、することと言えば部屋の掃除と料理ぐらいだ。何か被写体を探しに出かけるにも留守番を任されているので勝手に出かけることも出来ない。
がらり、と引き戸が開いてキョウが入って来た。いつも通り腰に刀をぶら下げて、手にはビニール袋を持っている。
「キョウさん、おかえりなさい!」
キョウは無愛想に「ああ」とだけ言って部屋に入って来た。別に機嫌が悪いわけでは無い。初めは怒っているのか不安だった優だが、毎日このような感じなので、これはこの男の性格なのだろう、と優は分析した。
「ほら、土産だ」
「えっ、お土産ですか?」
無造作にキョウは手にしていたビニール袋を優に手渡した。嬉しそうに優はそれを受け取る。さっそく確認してみると、それは写真のフィルムだった。
「部屋の掃除は進んでいるか?」
何の脈絡もなくキョウが聞いた。慌てて優が返す。
「はい、見てください! だいぶ片付きましたよ!」
「なら、あれは見つかったか?」
「あれ、といいますと?」
「馬鹿。あれはあれだ」
そう言うと、キョウは箪笥の上の棚の中身を一つずつ外に出し始めた。また片付け物が増えると焦った優だが、キョウはお構いなしにそれを続けた。
もう棚の中身が無くなる頃、キョウは一つの小さな箱を見つけて取り出した。
「開けてみろ」
「はい」
優は箱を受け取り、蓋を開けた。そこには、デジタル式ではない、古いカメラが入っていた。優は驚いてキョウを見る。
「これ……貸して下さるんですか?」
「ああ、ちゃんと返せよ」
カメラを手にした優は早速フィルムをセットした。その慣れた手つきに、今度はキョウが驚いた。
「慣れたものだな」
「はい。魔法界ではこのタイプのカメラが主流なんです」
優はカメラを持ち、キョウに向き直る。
「キョウさん! さっそく刀を構えてもらえませんか?」
「何故だ?」
「何故って、写真を撮るからに決まってるじゃないですか」
誇らしげに優が言った。今日は溜息を吐く。
「お侍さんは、魔法界でとても人気があるんですよ! さあ、一枚……」
「お前はそんな簡単に被写体を決めて良いのか」
キョウは呆れて優を見下ろした。優の身長は平均的な数字だ。それに比べてキョウは十五センチ程高い。どうしても優を見下ろす形になり、少々圧がかかる。
「そんな、怒らないで下さい。これでも真剣に考えたんですから」
「別に怒ってはいない」
やれやれ、と内心思いながら、キョウは鞘に収まったままの刀をすっ、と中段に構えた。
キョウが身に着けている着物はお世辞にも綺麗だとは言えない。深緑色で安物の着物で、一昨年に購入したものだ。
着物はボロだが刀は良い物を使っている。仕事道具なので手入れも怠っていないので、キョウの持ち物の中で一番綺麗だと言えるのは、この刀だけだ。
「あのう、刀の刃を見せてはいただけないでしょうか」
「馬鹿。危ないだろう」
「でも、そういう感じではなくて、もっとこう、闘っています、みたいな画を皆、欲しがるんですよ」
「駄目なものは駄目だ。刀は簡単に抜くものではない」
そう言ってキョウは構えを解いて刀を床に置いた。優は不満そうに息を吐く。
その時、玄関の引き戸が威勢よく開いた。
「よっ! 写真のほうは進んでるかい?」
「シマさん! いいところに!」
優が飛んで出迎える。シマはいつもの恰好で、十手を身に着けていた。
「シマさん! ちょっとその十手を構えてもらえませんか?」
「は? どういうことでい?」
「シマさんに写真のモデルになってもらいたいんです!」
「モデル……! よし、任せろってんだ!」
モデル、という言葉にすっかり気を良くしたシマは、十手を手に取り様々なポーズをきめて見せた。十手を目の前で構えたり、両手で敵を薙ぎ払うように動いたり、右手から左手に素早く持ち替えたり……。しかし、カメラのシャッターは一度も切られることは無かった。
「うーん。何か違うなあ……」
「な、何が違うって言うんでい!」
「画にならないって言うか、シマさんは写真より動画の方が面白いと思います」
「ああ、言えてる」
「旦那までそんな! いや、まてよ。ならそっちの方向で一丁やってみっか」
「馬鹿はやめとけ」
「うむむ……二人とも駄目となると、いったい何を撮ればいいのでしょう……」
考え込んで優は黙った。そんな優にキョウが言ってやる。
「別に人物じゃなくてもいいんだろ? だったら外に出てみろ」
「……外にですか」
「何か身近なものから探してみるってのも良いんじゃないか?」
「身近なものですか」
三人は外に出た。ふと、優の目にキョウの畑が飛び込んできた。
「僕……ここに落ちて来たんですね……」
優は感慨深げに畑を眺めた。そして、トマトの苗に実が成っているのに気が付いた。
「キョウさん! 見てください! トマトが出来ています!」
「ああ。まだ食えんがな」
トマトの実は、まだ真っ赤とは言えない。しかし、優の目にはとても暖かな色に見えた。
「キョウさん、このトマトの写真を撮っても良いですか?」
「ああ」
「へへっ。良いものが見つかって良かったな!」
「はい!」
優は服が汚れるのにも構わず、地面に寝転んでカメラをトマトに向けた。そうかと思えば立ち上がり、ぐい、とトマトに近付いたり離れたりと忙しく動いた。そして、ようやく良い場所を決めたのか、カシャリ、とシャッターを切った。
「撮れました! これが初めての一枚です!」
「良かったな」
「はい!」
嬉しそうに優は笑った。つられてシマも笑う。キョウも鼻だけで笑った。
まだ熟していないトマトが、優の初めての一枚となった。
このトマトが真っ赤になる頃、この町に本格的な夏が訪れるだろう。
トマトを見つめる三人を、生温い梅雨の風が撫でていった――。
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