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美人とスイカ
「暑いですう~」
優はべたり、と床に張り付いた。
キョウの家には扇風機とクーラーがあるが、節約の為二十八度を超えるまではつけないことになっている。土壁なので他の洋風の家と比べたらまだ涼しい方だ。それでも、国外から来た優にとってこの国の暑さは地獄に近かった。暑さのうえに湿気もある気候に、優は苦戦していた。庭のトマトはすっかり赤く熟し、食べ頃になっている。
「キョウさん……クーラー……」
「駄目だ。暇なら外で写真でも撮ってこい」
汗ひとつかかないでキョウが言った。
「暇じゃないです。行動する原動力が足りないんですよ」
「その原動力とは?」
「冷気です」
「馬鹿。暑さくらいでぴーぴー言ってる奴が、立派なカメラマンになれると思ってんのか」
「うう。この暑さは異常ですよ。文化の違いって困るなあ……」
優は、ゆるり、と床から起き上がる。このまま此処に居ても暑いだけだ。外に出て、どこか涼しい場所を探そう――シマの職場はどうだろうかと考えたからだ。
その時、玄関の引き戸が三回ノックされた。二人は同時に目をやる。
ぐい、と顎で合図され、しぶしぶ優は立ち上がった。居候の身である以上、雑用をこなすことは仕方がない。
優は引き戸を開いた。
「はい。何か御用ですか?」
「こんにちは。あら、あなたが噂の留学生さん?」
現れたのは女だった。それを見た優は思わず固まってしまった。
女は涼しげな淡い水色の着物を身にまとい、長い髪を首の後ろで一つにまとめていた。肌の色はとても白く、この茹だるような暑さなど吹き飛んでしまうような美しさだった。
「なんだ、ソラネか」
どうやらキョウの知り合いらしい。ソラネという女は、それを聞いて怒ったような口調で言った。
「なんだとは何よ」
「用心棒なら受けんぞ」
「誰もそんなこと頼みに来ていません」
そう言うと、ソラネは笑顔で優を見た。
「ねえ、あなたが留学生さんでしょう? 何歳? どこから来たの? この町ではあなたの噂でいっぱいなのよ?」
「え、ええっと……」
優はキョウに助けを求める。キョウは面倒臭そうに息を吐き頭を掻いた。
「そいつはアマ国から来たんだよ」
「あまくに……? 聞いたことがないわ」
「地図にも載ってない地味な国だ」
まさか空から落ちてきたから天=アマ、なのだろうかと、優は内心ひやひやしながら思った。
「それで年齢は……お前、何歳だ?」
「えっ」
「やだ、一緒に生活しててそんなことも知らないの?」
呆れたようにソラネが言った。
「ええっと、年齢は十八歳です……今年で十九になります」
「へえ。ならちょうど私たちと十違うのね」
「私たち?」
「そう。私とキョウは幼馴染みだから」
「へえ……ええ!? キョウさん、まだ二十八歳なんですか?」
優は驚いた。シマが「旦那!」と呼ぶものだから、もっと年齢が上だと思っていたのだ。老けて見えると言っては失礼だが、キョウは年の割に落ち着いて見える。
「まだって何? ふふ、キョウって昔から見かけと中身が一致しないって言われてたわね」
「余計なお世話だ。ソラネ、もう用が済んだならさっさと帰れ」
「相変わらずな性格ね。それじゃ、留学生さん……ええっと」
「優です。漢字で優しいと書いて優です」
「そう、優さんっていうのね。良い名前」
「ありがとうございます!」
「元気も良いのね。じゃあ、また来るわね。あと、キョウ! この部屋暑いんだからクーラーくらいつけなさいよ。それから庭のトマト早く収穫しなさいよ。カラスが狙ってるから」
「分かったから、早く帰れ」
ソラネが帰ってから、キョウは今までで一番深い溜息を吐いた。
優は興奮した様子で言う。
「ソラネさん、すごく綺麗な方ですね! 写真のモデルになってもらおうかなあ……」
「それはお前の勝手だが俺を巻き込むなよ」
「さっきからキョウさん態度が悪いですよ! ソラネさんに失礼です」
「俺はあいつが苦手だ」
口うるさいところがな、と言いながら、キョウはクーラーのリモコンを指で押した。もう正午近くになり、気温は二十九度まで上がっていた。
それから、キョウは思い出したように言った。
「あいつをモデルにするなら、旦那の許可を取ってからにしろよ」
「旦那? 誰です?」
「ソラネの旦那だよ。あいつああ見えて既婚者だぞ」
「え、ええっ!?」
驚いた優の悲鳴が、室内に響き渡った。
***
翌日の午後。 ソラネは大きな風呂敷を提げてキョウの家を訪ねた。今日は淡い桃色の着物を着ている。
「優ちゃん、居る?」
「はい! なんでしょうか?」
畑の隙間から優がひょこっ、と顔を出した。優の畑仕事を手伝っていたらしい。両手に真っ赤なトマトが輝いている。
「うふふ。今日も可愛いわねえ」
「か、可愛いだなんてそんな……」
優は照れた。この世界に来て、容姿のことを褒められたのは初めてのことだった。
「あら、よく言われない……? その髪は染めているの? 絹のようでとても綺麗だわ」
「地毛です……ありがとうございます」
「瞳も宝石みたいで素敵な色……」
「え、えっと……」
「照れなくてもいいのに」
「おい。そいつで遊ぶな」
呆れたようにキョウが言った。彼も畑をいじっていたらしい。今日は刀ではなく片手に鎌を持っていた。両手には軍手がはめられ、傍らには刈られた雑草が大量に積まれている。
「あれ、別に遊んでなんかいないわ。可愛い優ちゃんとお話ししていただけじゃない。ねえ?」
「ああ、はい……」
「まぁ、うるさいキョウは放っておいて……はい、これ優ちゃんにお土産!」
「お土産? ありがとうございます!」
優は目を輝かせた。それを見たソラネは満足そうに微笑む。
「開けてみて。良いのが手に入ったから持って来たの」
優は早速、風呂敷を解いた。現れたのは大きなスイカだった。
「うわあ、スイカだ!」
「食べたことはある?」
「何度か……けど、この国に来てからは一度もないです!」
「そう……キョウ! このスイカ切ってちょうだい!」
「自分でやれ」
「馬鹿! なんのために普段から刃物ぶら下げてんのよ!」
うるせえな、と面倒臭そうにキョウは立ち上がった。
「あの、僕、自分で切れます」
「危ないから駄目よ! キョウ早く!」
「分かったから騒ぐな」
キョウは軍手を脱ぎ捨て、優からスイカを受け取った。
「あの、切ってるところを写真に撮ってもいいですか?」
「あら? 優ちゃん写真が好きなの?」
ソラネが首を傾げて聞いた。優は返す。
「はい! 僕はカメラマンで、ええっと……」
「見習いのカメラマンなんだよ。だから留学して腕を上げるんだと」
キョウが助け舟を出した。
ソラネは納得して頷く。
「なら、こんなむさ苦しいのより、私を撮って欲しいわ。駄目かしら?」
その言葉に優は驚いた。
「でも、旦那さんに許可を取らないといけないのでは……?」
「まあ、キョウったらそんなこと言ったの? 気にしないで良いのよ。旦那より私の方が偉いんだから」
「言えてる」
小さな声で言ったキョウをソラネが睨んだ。逃げるようにキョウはスイカを抱え、家の中に消えて行く。
「あの、僕もお手伝いしてきます」
「まあ……偉いのね。それじゃ、頑張って」
そう言うと、ソラネはゆっくりと縁側に腰掛けた。その動作まで洗練されていて、思わず優は見とれてしまった。
「おい! 優!」
キョウが室内から優を呼んだ。何ごとかと、慌てて優が家の中に入る。
「どうかしましたか!?」
焦る優にキョウは言った。
「このスイカ、まったく冷えてねえ。食うにはまだ早いって言って、あいつを追い返してくれ」
「ええっ!? 別に冷えてなくても良いじゃないですか」
「冷やした方が美味いんだよ」
「……よし、僕に任せて下さい!」
そう言うと、優はスイカにふっ、と息を吹きかけた。すると、今まで生温かったスイカは、つい先程まで冷蔵庫に入っていたかのように冷たくなった。
「これで、食べられますね!」
「……ああ」
嬉しそうに優が言う。まるで雪女のようだとキョウは思った。
ソラネを追い返す理由が作れなかったことにキョウはがっかりしたが、優の魔法を見て、やはりこいつは本物の魔法使いなのだな、と改めて感心する。
「ちょっと、大丈夫?」
外からソラネの呼ぶ声がする。
「大丈夫です! よく冷えて美味しそうですよ!」
それに、優が元気に返した。
「こんなに美味しく冷えてたかしら……?」
キョウが切り分けたスイカを齧りながら、ソラネが不思議そうに言った。慌てて優が答える。
「はい! とってもいい具合に冷えていましたよ!」
「そう……? 確かに此処に来る前に少しは冷やしておいたけど……」
「そんなことより、写真を撮るんだろ」
「そんなことって……まあ良いわ。優ちゃん、お願いね」
「任せて下さい!」
優はカメラを手に、ソラネの写真を何枚も撮っていく。ソラネはスイカに唇を寄せたり、髪を掻き揚げる動作をしたりと、モデル気分を十二分に味わっているようだった。
「そうだ、優ちゃん一緒に写りましょうよ。キョウ、カメラお願いね」
「えっ、良いんですか?」
「まったく……面倒だな」
頭を掻きながら、キョウがカメラを受け取った。そして、ふたりに向かってレンズを向けて言う。
「面白くねえ構図だな。二人ともスイカでも食えよ」
「言われなくったってそうするわよ、ねぇ優ちゃん。食べてみて、美味しいわよ」
「ありがとうございます。では……いただきます!」
優は思いっきりスイカにかぶりついた。その瞬間、キョウはシャッターを切った。
「ええっ!? 今撮るタイミングでしたか!?」
「そうよ、こっちには準備ってものがあるんだから!」
不満を言う二人にキョウは返した。
「良いだろ。俺に頼んだお前らが悪い」
「もう一度撮りなおしてよ!」
「駄目だ。フィルムの無駄になる。それより冷えてる間に食っちまおうぜ」
キョウはカメラを縁側に置くと、自分もどっかり、と腰を下ろした。そしてスイカを手に取ると勢いよく齧った。
「水分の塊だな」
「文句を言うなら食べないで。これは優ちゃんにもってきたものなんだから」
ソラネは口を尖らせる。
「さあ、優ちゃん。あんなの放っておいて私たちも食べましょう」
「そうですね……」
二人もスイカを齧った。少々冷えすぎたそれは、優の頭の奥をじんわりと痛くさせた。
「あら、大丈夫?」
「いっ……大丈夫です。これが夏の味かあ……」
「ふふ。面白いことを言うのね」
そう笑ったソラネの顔はとても魅力的で思わずシャッターを切りたくなった。しかし、今の優の両手にはおおざっぱに切られたスイカが陣取っている。
残念に思った優だったが、今は色気より食い気だった。もう一口齧ると、スイカの甘みと水分が一気に押し寄せてくる。
美味しそうにひたすらスイカを食べる優に、大人二人はこっそりと笑った。
冬ならもう日が暮れ始める時間。
三人の夕涼みは、もう少し続きそうだった――。
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