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秋の味覚
秋になった。
夏の暑さが嘘のように肌寒い日が続いている。
優とキョウは例の修理屋を訪れていた。
「それで、直るのはいつ頃になりそうですか……?」
「焦るな小僧」
修理屋はゆったりとパイプから煙を吐き出しながら言った。
「珍しい形の部品だったからな。取り寄せは不可能だった」
「そ、それで……?」
「一から作るしかないだろう。ほら、これがそうだ」
修理屋は、銀色の小さな歯車のような部品を優に見せた。優は目を丸くしてそれを見た。キョウも横から覗きこみ、その細かさに驚いた。
「よくこんな物が作れるな」
「はっ。何年修理でメシ食ってると思ってるんだ若造が」
「あの、お世話になりありがとうございます」
優が頭を下げた。修理屋は満足そうに頷くと優に言った。
「そうだな……春までには完成する」
「春、といいますと」
「冬の次だ。雪がとけた頃にまた来ると良い。それまではこいつの所でゆっくりするんだな」
***
「春、か」
修理屋を出て優が呟いた。その声は少し沈んでいたが、カメラが直る日が近いことを知って少し希望を持った顔をしていた。
「キョウさん、春までお世話になります」
「ああ、その分しっかり働けよ」
「はい! あっ。スーパーに寄って帰っても良いですか? 夕飯のおかずを買って帰りたくて……」
「分かった」
二人は近くの行きつけのスーパーまで足を運ぶことにした。初めてスーパーに行ったとき、優はその品ぞろえの良さに驚くばかりだった。優の国にもスーパーはあるが、ここまでいろいろな国の食材は揃っていない。加工品もどれも魅力的で、どれを買おうか長い時間迷ってキョウに怒られたものだ。
「サンマがいいな」
「サンマ? 魚のですか」
「他に何があるっていうんだよ」
キョウは鮮魚売り場を目指して歩き出す。慌てて優もそれを追った。
「僕、生魚は苦手です」
「馬鹿。焼くに決まってるだろ」
「生臭くありませんか?」
「大丈夫だ。なら、今日は俺が調理しよう」
自信ありげにキョウが言った。だが、優が来てからというものキョウが台所に立ったことは両手の指で数えても少ない程だったので優は内心、心配した。
だが、そのことを言うと怒られてしまいそうな気がして、優はキョウがサンマの入ったパックを買い物カゴに入れるのを、黙って見守っていた。
家に帰ると、キョウはいそいそと台所に立った。それを優は横で見ている。キョウは、フライパンにアルミホイルを敷いた。そしてその上に豪快に軽く洗ったサンマを乗せて、そのまま火にかけた。優は驚く。
「あの、大丈夫なんですか?」
「何がだ?」
「アルミホイルなんかひいて……燃えたりしませんか?」
「これは魚を焼く用のアルミホイルなんだよ。気を付けていれば大丈夫だ」
「そういうものがあるんですね」
「ああ。あ、塩忘れた。取ってくれ」
キョウは優から塩を受け取ると、適当にぱらぱら、とまぶした。これで本当に魚が焼けるのだろうかと、優は心配で仕方がなかった。
しばらくして、キョウがサンマをひっくり返すと、それは程良く焦げて優の食欲をそそった。
「うわあ……美味しそうですね!」
「ふん。これでお前の食わず嫌いが治ると良いが」
「うっ」
キョウの家に居候して以来、家事全般は優が行っていた。けれども、食卓に魚が並ぶことは一度も無かった。なぜなら、優は魚が苦手だからだ。魚は骨が多いし、なんとも言えないにおいがする。なので、優は魚料理をことごとく避け続けてきたのだ。
「き、今日は頑張ってたべます!」
「ああ、残したらタダじゃおかないからな」
なにせ、俺が焼いたサンマなんだからな、とキョウは自信ありげに鼻で笑った。
キョウがサンマを焼いている間、優は炊飯器に米をセットしたり、優に言われた通りに大根おろしを作ったりと大忙しだった。大根をすっている間は、目に染みて涙が出そうになった。それでもなんとかすり終わった頃、炊飯器の呼び鈴が鳴った。キョウもサンマが焼き終わったと言って、皿にサンマを乗せていた。
「ここに大根おろしを……って、なんでまたこんなにすったんだ」
山盛りの大根おろしを見て、キョウは目を丸くした。
「だって、これをすれって言ったじゃないですか」
「言ったが……大根一本丸々使うやつがあるか」
「……すみません」
仕方ねえな、と言いながらキョウは山盛りの大根おろしを箸で一つまみ掬った。それを皿のサンマに乗せる。優もそれを真似てみた。この国に来てから、優の箸使いはまだぎこちなくはあるが、一応は形になるものになっている。キョウは初め、スプーンとフォークを勧めたが「まずは国の文化を知ることからです!」と言って優はそれを断った。以来、少しずつ練習を重ねて、今の状況に至る。正直、カメラの腕よりこちらの方が上達しているのではないか、とキョウは思っている。
「あとは、醤油だ」
「はい」
ぴっ、とキョウはサンマと大根おろしに醤油をかけた。優もそれに続く。そして、急いで炊き立てのご飯を底から混ぜて茶碗によそった。
「では、いただきます!」
「いただきます」
優はサンマをひとくち食べる。
「すごく美味しいです!」
優は目を輝かせて言った。少し油っぽくてやはり魚のにおいがするが、大根おろしを加えることにより、ちょうど良い具合になっている。香ばしいにおいも抜群に食欲をそそった。ぎこちなく箸を使って身をほぐしながら、優は美味しそうにサンマを次々と口に運んでいく。
「どうだ? 食わず嫌いは治りそうか?」
「はい! サンマなら食べられそうです。また焼いて下さいね」
「馬鹿。次はお前が覚えて焼くんだよ」
そんな会話をしながら二人は箸を進める。すると、思い出したように優が言った。
「そうだ! サンマの写真を撮っておきましょう!」
「食事中だぞ」
「お願いです! 一枚だけ……僕の写真を見れば、魚嫌いの人だって絶対このサンマが食べたくなりますから!」
そう言って優はカメラを取り出した。そして、カシャリ、と食べかけのサンマをカメラに収めた。すると、キョウが口を歪ませて笑って言った。
「大根おろしも撮れよ」
「はい。一緒に写ってます」
「違う。お前がおろしすぎたあれだ」
そう言って、キョウは山盛りの大根おろしを指差した。優は慌てる。
「あれは……今回はいいです」
「戒めに残しておけ。後始末はそれから考える」
「……はい」
続けて優はシャッターを切った。
山盛りのそれを眺めていると、やっぱり涙が出そうになる。
結局、余った大根おろしはラップをかけて冷蔵庫で保管されることになった。しばらくは魚料理が食卓に並びそうだ。そんな予感を思わせた――。
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