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冬の冷たさ
外に出れば吐く息は白く、羽織無しで外に出れば刺さるような寒さに襲われる季節になった。優は厚手のコート――ソラネにプレゼントされたものだ――を身にまとい、雪かき用の大きなシャベルを手に悪戦苦闘していた。
「進んでいるか?」
用心棒の仕事から帰ってきたキョウが、優に声をかけた。着物用の羽織を着ているが、優のコートに比べればかなり薄い。寒くはないのだろうか。
「キョウさん、お帰りなさい! 家の前はだいたい終わりました」
「ああ。庭なんかは放っておけばいい。そのうち溶ける」
キョウの家はぽつん、と建っているので、周りに家が無い。ソラネの家から歩いても十分はかかる距離だ。なので、家の前と大通りに通じる道さえ雪かきをしてしまえば問題はない。まだ大通りへ続く道は雪で覆われているため、キョウの着物は雪にまみれて濡れていた。
キョウは、懐から紙包みを取り出し優に投げた。
「ほら、土産だ」
「うわあ、なんですか?」
それは手袋だった。雪に濡れても良いように防水加工がしてある。さっそく優はそれをはめてみた。サイズはぴったりで、優は目を輝かせる。
「ありがとうございます!」
「ああ、今日中にこの雪をどうにかせんといかんからな。それをはめて頑張れよ」
「はい!」
キョウは一度家に入り、濡れた着物を着替えた。その姿はなんと洋服だったので優は驚いて目を丸くした。
「キョウさんも洋服着るんですね」
「今は刀を持たなくて良いからな。それにここまで寒いとさすがに俺だってセーターを着る」
くたびれたコートのボタンをはめながらキョウが言った。その下はやはりくたびれたジーンズで、足元だけはまだマシな長靴だった。畑仕事の時によく履いているものだ。優も同じメーカーのサイズ違いの長靴を履いている。これはキョウが買ってくれたものだ。
「さあ、さっさと片付けるぞ」
自分用のシャベルを手にキョウが言った。手には手袋をはめているが、軍手のような素材のものだった。優は何だか申し訳なく思ったが、厚意に甘えて黙っておくことにした。
「でも、どんどん降ってきますね……。僕、雪ってもっとロマンチックなものだと思ってたんですけど、全然違うや」
「何だ? もしかして雪を見るのが初めてだったのか?」
「はい。よく映画とかでは見ましたよ……お祝いごとの日に雪が降ったら素敵だとか、恋人同士で見る雪は綺麗だとか……でもそんなの幻想ですね。こんなに積もったら、そんなの関係ありませんもん」
シャベルで雪を掬いながら優が言った。
画面の中で人々は幸せそうだった。しかし、目の前に広がる光景は地獄だ。銀世界なんて綺麗な言葉で片付けてしまえば響きはいいが、優はそんな世界はまっぴらごめんだと思った。
「まあ、そう言うな。雪の日には雪の日の楽しみ方がある」
そう言うキョウに優は尋ねた。
「たとえば、どんなです?」
「まず、酒が美味い」
「お酒ですか……」
「それから、鍋も美味いな。具材は何でもいい。寒いから温かいものなら何でも美味く感じる」
「そういうものですか」
「そういうものだ」
具材は何でもいいと言われると、鍋に失礼な気もするが、確かにその通りかもしれないと優は思った。こんなに寒い思いをして家に帰って、夕飯が温かい鍋だったら幸せな気持ちになるだろう。今日の晩御飯は鍋にしよう、そう優は決断した。
「旦那~! それに優の坊ちゃん!」
シマだ。今日はいつもの服の上に、透明な分厚いカッパを着ている。フードで顔が隠れているので、一瞬誰か分らなかった。右手には十手ではなく、大きなシャベルを持っている。
「シマさん! どうしたんですかこんな雪の日に」
「馬鹿言っちゃいけねえ! こんな雪の日だからこそパトロールはかかせねえんでい!」
言いながら、シマはシャベルを勢いよく雪に突き刺して、道の雪をさらった。どうやら手伝ってくれるらしい。シマは張り切って雪をどんどん道端に積んでいった。
「なんでい。浮かない顔しちまって」
雪にうんざりする優に向かってシマが言った。代わりにキョウが答える。
「初めて見る雪に絶望しちまってんだよ」
「何? 雪を見るのが初めてだって?」
「はい……本物を見るのは初めてです」
「なら、雪遊びもしたことが無いってのか?」
「雪遊び……?」
「旦那~! せっかく初めての雪だってのに、雪かきだけで終わらしちまうのは勿体ないぜ」
そう言うと、シマはシャベルを放り投げた。そうして、足元の雪を両手で掬うと、それを丸くなるように固めていく。小さな玉が出来たと思ったら、また雪を掬ってそれを玉にくっつけて大きくしていく。
「あの、シマさん。何をしているんですか?」
「何ってお前、雪だるまをつくるんでい」
「雪だるま!?」
優は驚いた。映画で見た雪だるまは大きくて、優の身長に近い大きさだった。そんなものが作れるのだろうか。
シマは優に言う。
「よし! おいらは胴体を作るから、坊ちゃんは顔を任せたぜ!」
「は、はあ……」
優は、シマを見様見真似で小さな玉を作った。それに雪を加えて、一回り大きな玉を作った。気の遠くなるような作業に、優は溜息を吐いた。
「魔法を使えばすぐなのになあ……」
「今日は、魔法は使わないんだろ?」
「うう……はい……」
雪かきを任された時、優はキョウに「魔法で片付けても良いぞ」と言われた。しかし、その時優は「いいえ。まずは国の文化に触れることが大切なんです! 僕は今日一日魔法を使いません!」とそれを断った。男に二言は無い。なので、今の優は魔法を使うことが出来ないのだ。
仕方がないので、優は屈んで雪をかき集めて玉にくっつけていく。それを時々丸めては形を整えるのを繰り返した。
これがまた不思議なもので、集中しているうちに楽しくなってきた。雪はボンドも接着剤も必要無く、くっつけることができる。手は冷たくて痛いが、その感覚にもだんだん慣れてきた。
集中する二人を見て、キョウは呆れて言った。
「あんまり張り切りすぎるなよ。雪かきはまだ途中なんだからな」
「分ってます! シマさん、そこそこな大きさにしておきましょう」
「おう! そこそこな」
「何だよ、そこそこって」
とうとう、二人は雪玉を雪の上で転がし始めた。まるで運動会の大玉転がしだ。シマの作った胴体は大きく、優の腰の高さに近い大きさになっている。それを見たキョウが止めに入った。
「そこまでだ。優、お前はこれよりも少し小さいのを作って終わりだ」
「でも、僕もっと大きなの作れる気がします」
「馬鹿。顔が胴体より大きくてどうするんだ」
「なら、おいらのを顔にして……」
「お前は黙っていろ」
結局、優が作ったのは自分の膝程の大きさの雪玉だった。
三人はまず、雪玉をキョウの家の門口まで転がして運んだ。次に優が作ったものを転がして運び上に積み上げた。そして、二つが離れないように雪でしっかりと固定した。
「やったあ! これで完成ですね!」
「いや、まだ早い……なあ旦那!」
「……仕方ねえな」
そう言うと、キョウは一度家の中に入った。そうしてしばらくしてから、二つのミカンを手に持って戻って来た。
「ほらよ」
「これ、どうするんですか?」
不思議そうに優が首を傾げる。
シマは満足そうに頷いた。
「これは、目にするんでい!」
そう言って、顔のちょうど目にあたる部分に、シマはミカンを埋め込んだ。優は驚く。
「すごい! 本当に顔になりましたね!」
「ほら、次は鼻と口だ! 何か適当な枝を探そうぜ!」
「はい!」
優とシマは適当な大きさの木の枝を両手にたくさん見つけてきた。それを鼻になるように二つのミカンの間に埋め込んだ。口は、小枝を繋げて、にっこりと笑っているようにアーチ状にした。余った枝は、胴体の左右にさして手のように刺す。こうして、ようやく雪だるまが完成した。
「出来た! 僕、写真に撮ります!」
優は急いで部屋に戻り、まず、手袋を外した。そうして手を丁寧に拭いてからカメラを手に、また外に駆け出して行った。
「はい、チーズ!!」
優は様々な角度から雪だるまの写真を撮り、ついでに雪かきに励むキョウとシマの写真も撮った。
「勝手に撮るな」
「まあまあ、良いじゃないですか旦那、今日くらいは! ようし、これが終わったら鍋パーティだ!」
「シマさん、よく今日の献立が分かりましたね」
「おうよ! 今日みたいに寒い日は鍋ってのが決まりってもんよ!」
「分かったから、手を動かせ。優もカメラをしまって雪かきをしろ」
「は、はい!」
こうして、三人の雪かきは続いた。ようやく大通りに通じる道まで辿り着いた時には、もう雪は止み、時刻は夕方に差し掛かっていた。大通りは既に雪かきが施されており、難なく歩けるようになっていた。
「やっと終わりましたね」
「これでもう降らなきゃいいんだがな」
「さて、旦那に坊ちゃん! 早速材料を買いに行きやしょう!」
「そうですね! キョウさんも早く!」
シャベルを道端の雪にもたれさせてシマが言った。優もそれに続く。キョウは呆れたが、自分もシャベルを雪の上に並べた。
「ようし! 今日はおいらの奢りでい!」
「やったあ!!」
優は何鍋にしようか頭がいっぱいになった。シマも考えているのだろう、とても幸せそうな顔をしている。それを見たキョウは「仕方ねえな」とばかりに息を吐いた。その息は白く視界をいっぱいに染めた。
スーパーまで肩を並べる三つの影を、遠くから、作ったばかりの雪だるまが見守っていた――。
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