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1日目
思い出すように目を覚ます。薄いベールのような視界が鮮明になっていくにつれ、先ほどまで見ていた天井のシミが無いことに気が付いた。
上半身を跳ねさせるように飛び起きると、ここが普段住んでいる部屋よりも狭い、独房のような部屋であることを知った。くすんだグレー、コンクリートむき出しの壁は氷のように冷えている。軋むパイプベッドの上で渡邉は戸惑いを隠せずにいた。ここは一体どこなんだろうか、もしかしたら随分とリアルな夢なのだろうか。
服装は先ほどと同じだ。部屋の隅にある洗面器の前に行き、鏡を見た。控えめな目にぷっくりとした涙袋、主張しすぎない鼻筋に薄い唇は、幸薄そうな表情を描いている。いつもと変わらない、自分の顔だ。鎖骨までかかった黒髪の毛先を指に絡め、渡邉は辺りを見回した。やたらと重そうな扉が部屋を塞いでおり、牢屋のような雰囲気を漂わせている。長時間ここにいると冷たい金属の重圧に負けて死んでしまいそうだった。
「目が覚めたか。外に出ろ。」
厚そうなドアの向こうから聞き覚えのない声がした。あまりにも一瞬で、だからこそびくんと肩を跳ねてしまう。今は会話の内容に集中しなくてはならない。
どこかに監視カメラがあるのだろう。そうでなければ自分が起きたかどうかを察知するのは難しい。自分が部屋で自慰行為をした後に誰かが拉致?いや、鍵は確実に閉めていた。実家から離れる際に母が口うるさく言っていたためだ。だとしたらこの状況は何だろうか。そもそも連れ去ったとして、ここまで目を覚まさないなんてことは有り得るのだろうか。
「おい、早くしろ。」
語気こそ強まったが、それ以上に驚いたのは鉄の扉を強く蹴る音だった。本能的に扉の前にいる者には逆らってはいけない、そう判断した。
小さな取っ手に手をかけ、力を込めて扉を右に引く。やけに重く、全開になるまで少々時間がかかった。部屋の中と同じコンクリートの壁がずらっと並ぶ廊下には音が無く、何故か扉を蹴ったであろう人物もいない。
風が渡邉の耳元で空間を裂くように流れていく。恐る恐る進んでいくと、誘導されているような感覚を味わった。何故だかこちらに進めばいいと、脳が勝手に判断している感覚だ。
何度か角を曲がって進んでいくと、今度は大きな扉があった。かつては白い扉だったのだろう、経年劣化からか全体的に錆が目立っている。中央にある取っ手を持って勢いよく扉を押した。
「何、これ…?」
思わず口にしてしまったのは、目の前の異様な光景が故だった。教室ほどの広さがある部屋の真ん中に、これでもかと大きな檻がある。深い鼠色のパイプが等間隔で並ぶ。その奥に、9人の女性がいるのだ。
渡邉の前には檻から出入りするための扉があった。一見複雑な構造をしている。これは何だ、夢じゃないのか。そのあやふやな疑問は、首筋に当たる冷たい感触で現実のものとなった。
「中に入れ。」
顔だけ少し動かし、ずらした目線でそれが拳銃だと分かった。もちろん意味は分からない、ただ今は従わないといけないのだろう。恐る恐るグレーのドアノブに手をかけ、扉を開けた。
中に入って振り返ると、そこにいたのはスーツ姿の人間だった。男か女かは分からない。革の手袋だけでなく、真っ黒な布で隠された顔。首元の膨らみはボイスチェンジャーだ。機械音声ではあるが口調からして男なのだろう、だとしても不確定要素が多すぎる。
状況がいまいち把握できず、渡邉は檻の中を見た。
自分と同じような大学生、制服姿の高校生から、中学生のような幼い子までいる。皆が皆怯えた表情を隠せず、その場に立ち尽くしていた。
「さて、10人揃ったな。」
檻の奥でスーツは近くにあったパイプ椅子を引きずって扉の前に置き、重そうに腰掛けた。何の柄もない布のためより不気味に見えるそいつはおそらく自分たちを見ているのだろう。
「仮の名前は教えておこう。田中と呼べ。ここにいるお前らは全員、条件を満たさなければ出すことはない。」
立ち上がって拳銃を椅子の上に置き、田中はスーツのファスナーに手をかけた。じーっと下ろし、あろうことか田中はペニスを露わにした。
数人の女性から小さな悲鳴が聞こえる。男性器を見たことのない中学生と高校生だろう、渡邉は振り返ることなく、田中の布を睨みつけていた。
「俺を射精させてみろ。それがここを出る条件だ。」
過去に付き合った男性のペニスを頭の中に思い浮かべて、おそらく奴の性器はかなり大きいと感じた。奴は続ける。
「手段は与える。俺を興奮させて、射精させてみせろ。できなければ、外には出られない。簡単な話だ。」
ペニスを露わにしたまま、田中は置いたままの拳銃を再び手に取った。
「逆らうなんて妙な真似はするな。俺もなるべく人は殺したくない。」
そう言って拳銃の上をスライドさせ、田中は拳銃を天井に向けた。その瞬間、五臓六腑を破裂させたような刹那の爆発が冷たい室内に轟いた。何故聞いたことのない銃声を疑うことなく信じてしまうのだろうか。今回ばかりは渡邉も他の女性も全員が同じタイミングで悲鳴をあげた。全員がどこかであれが偽物であると信じていたのだろう。その期待が虚しく散ったのだ。
「食事や飲み物に関してはまた通告する。その前に、お前らの名前をそれぞれ言っておこう。お互い俺のためにこれから働くわけだ、同業者のことは知っておいて損はない。」
ペニスを仕舞うことなく、田中はポケットから紙切れを抜いた。鞄の底で形を保てずに何十時間も放置されてしまうような紙に目を通し、拳銃を檻の中に向けて、奴は言った。
「名前を呼ばれた順に右から並べ。従わないなら太ももから撃つ。板垣久美。」
檻の奥から制服に身を包んだ女性が前に出た。丸顔で少しふくよかな女子高校生はゆっくりと前に出る。下がった目尻をぷっくりとした涙袋が支え、少し大きめな下唇が赤く照っていた。頸までの短い黒髪には若さ故の艶がある。白いセーラー服にはシワがなく、膝裏を隠すスカートはカーテンのように黒い。
「次、内海奈央と長田夏輝。」
ブレザーの制服を着た女性が先に反応した。控えめな小さい瞳に薄い鼻筋と唇は少し幸が薄そうに見える。肩まで下がった黒髪の毛先は少々多方向に散っていた。
一方の長田と呼ばれた女性は自分と同い年だろうか、胸元まで伸びる茶髪に映えた表情はハーフを思わせるほど顔立ちがはっきりしていた。パッチリとした目尻が尖っており、鼻筋が高い。ぴったりとしたジーンズに黒のTシャツを着ていた。茶髪の毛先から垣間見えるバラの刺繍がワンポイントで輝いている。
「佐野有紗、鈴本恵美。」
肩までかかった畝る毛先を揺らし、先に反応した女性が前に出る。控えめな目元にぷっくりとした鼻。吸盤のような口元は淡い桃色。白のレースシャツに花柄の薄いロングカーディガン、ショートパンツからはすらっとした白い足が伸びていた。
鈴本は丸顔で大きな目が印象的だった。長い鼻筋の下で上唇がぷっくりとしていた。白いノースリーブに水縹色のジーンズが檻の中で精一杯輝いているように見える。
「羽鳥樹里、本田絢子。」
グレーのシャツが肌にぴったりと張り付き、大きな乳房のシルエットを映し出している。黒いレースのロングスカートの裾が揺れていた。少々角ばった骨格に大きな唇、控えめな鼻筋に吊り上がった目元はぱっちりとしている。腰まで伸びた艶のある黒髪が尾のように動いている。
本田は地味な印象を受けた。小さめな目に主張していない鼻筋、薄い唇。それでもどこか色気を感じたのは、怯えて濡れた瞳のせいだろうか。格子柄のワンピースはシャツのようにくしゃっとしていた。
「最後。宮野真美、守下遙、渡邉菫。」
渡邉は一番最後に呼ばれたため、残り2人を見てから前に出た。
ビー玉のように大きな瞳に尖った唇が赤い宮野は首筋で黒髪の毛先を丸まらせている。丸顔だがシュッとした輪郭だった。真っ白なポロシャツに張り付くジーンズは浅い青色だ。
渡邉が最も気にかけていたのは守下という名前の女子だった。小麦色の肌は中学生なりに汚れなど無さそうな色を放っている。細い目を涙袋が支え、小さめな鼻に薄い唇。おそらく化粧を知らないのだろう。眉上にかかった黒髪、後ろで結んでいる束が渡邉の前で揺れていた。
10人が檻の前に立つ。田中は品定めでもするように、ペニスを垂らしながら歩いていた。水族館の水槽で縦横無尽に泳ぎ回る魚群はこんな感情なんだろうか。
「それでは、30分後にまた来る。それが最初のミッションだ。」
何の抑揚もない機械音声だけを残し、田中は出て行った。重たい金属の扉が幾重にも反響し、10人の女性たちが檻の中で立ち尽くす。コンクリートからの冷気が彼女たちの肌を刺し、喉を潰してしまったかのような静けさが鼓膜を満たした。
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