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すれ違い
慧は明らかに機嫌の悪い真人の、眉間にくっきり皺を寄せた顔を、上目遣いに見た。すみません、と呟くと、真人はテーブルを指先で叩きながら、それで、と不機嫌な声を出した。
「もう2週間。君が俺の電話を無視して、2週間だよ。そろそろ理由を教えてくれても良くないかな」
「いえ、あの、たまたま電話に出られるタイミングが・・・」
「SNSの発達した時代に何言ってるの。他にいくらでも方法あるよね。今日という今日は俺を避けてた理由、ちゃんと説明してもらうよ」
「・・・・・」
慧は、職場で理人に会う度に、真人を思いだし、罪悪感にかられた。
慧が真人を好きになればなるほど、その姿が理人に重なってしまう。
純粋に真人だけを見ることができない後ろめたさに、慧は真人からの電話に出られなくなっていた。
「何か理由があるよね。俺に言ってない理由が」
真人は、滅多に吸わない煙草を取り出した。いらいらすると吸う、と慧に明かしたのは、初めて会った時だった。慧は真人の本心をかいま見て、緊張が増した。
「・・・言えません」
真人は煙草の煙を横に向いて吐き出した。真顔で、慧に言った。
「別れ話しようと思って、ここに来たの?」
「ち・・・違います!」
「そもそも、慧は・・・俺が好きなの?」
「好きですよ!言ったじゃないですか、この間・・・」
「ベッドの上でそう言われたっきり2週間放置されるなんて、思いも寄らなかったけどね。信じられなくなると思うけど、普通」
「好きなんですよ・・・好きだから・・・こんなことに・・・」
慧は煙草をくわえる真人の整った顔をまっすぐ見た。理不尽な態度を取られても、こうやって会いに来て理由を聞きにくる真人の誠実さに、慧はさらに気持ちを捕まれていた。
エレベーターの中で、冷たい態度で慧を突き放し、黒瀬との関係を匂わせてきた理人とは対照的だった。
(嫌われてもいい・・・本心を言わないと、もう・・・だめだ)
「真人さん、俺は・・・最低なんです」
「・・・何が?」
何が、と言った声のトーンが、理人と全く同じで慧は心臓を捕まれた気がした。
「長谷川理人さんは・・・真人さんのご家族ですよね」
真人が煙草の灰を灰皿に落とした姿勢のまま、慧の瞳を見つめた。
「理人を・・・知ってるのか」
「・・・職場の先輩です」
「職場・・・」
「T大付属病院の薬剤部です」
真人の表情が次第に険しくなる。慧は声が震えそうになるのを必死に抑えて言った。
「真人さんに初めて会ったとき・・・理人さんにあまりにも似ていて・・・」
「それで俺を見てた?」
「・・・はい」
「慧は・・・理人が好きなの」
「・・・っさ、最初は、好きっていうか、一目惚れで・・・っ、でも今は違って・・・俺は真人さんのことが・・・っ」
真人は焦る慧を、無表情で見ていた。煙草をゆっくり口元に運び、煙を吸い込んだ。吐き出した煙は、二人の間でゆらゆらといつまでも漂っていた。
「理人は・・・双子の弟で」
いつもよりずっと低い声で、真人は話し出した。
「訳あって15の時に離れてから、今まで全く消息も知らなかった。まさか慧の同僚だったなんて、ひどい偶然だな・・・何で言ってくれなかったのかって思うけど・・・まあ、慧としては言いづらいよね」
「・・・・・・」
「慧」
「・・・っはい」
「正直に言って欲しいんだけど」
「はい・・・」
「俺は・・・理人の代わり?」
慧の目に移った真人は、今までの険しさはどこかへ隠れ、悲しそうな瞳をしていた。慧は胸が締め付けられた。
「違いますっ・・・!」
「でも、俺を避けてた理由が理人なら・・・どこかで俺と理人を重ねて見てたんじゃないの?」
「・・・正直、最初は重なりました・・・だけど、俺は今、真人さんのことだけが・・・」
好きです、といいかけた慧は、窓の外に視線を向けた真人に釘付けになった。窓ガラスに移る真人の顔が反転し、向こう側の誰かと向かい合っているように見えた。その横顔はまるで、理人と向かい合わせで話しているようだった。真人の瞳は、目の前に座った慧のことすら忘れていると思えるほど、遠くを見ていた。
ふと、慧に向き直った真人は、いつもの穏やかな表情に戻って言った。
「別れようか」
「真人さん!」
「・・・そもそも、つき合ってると思っていたのは、俺だけだったみたいだけど」
「ち、違いま・・・」
「悪かったね。誘ったりして・・・」
真人は静かに立ち上がった。慧を見下ろした真人は、この状況に不似合いな微笑みを浮かべていた。
「・・・さよなら、慧」
「真人さん!」
追いかけようとした慧の身体は硬直していた。真人が店を出ていったドアの音を聞いて、慧はテーブルの上に顔を伏せた。
「はい、黒瀬」
『・・・一樹さん、ですか』
「そうだが・・・」
『お久しぶりです。・・・真人です』
「ま・・ひと・・・?」
『すみません、ずっと連絡しなくて』
「お前・・・今どこに・・・」
『日本です。電話番号が変わってなくて良かった』
「・・・変えられなかった。お前がかけて来るかもしれないからな」
『・・・すみません』
「いや・・・それでどうしたんだ、急に・・・」
『理人が・・・そちらの病院に勤めていると聞いたもので』
「!!」
『本当なんですね』
「・・・ああ・・・」
『理人はちゃんと・・・生きていますか』
「もちろんだ。いい仕事をする」
『そうですか・・・ごめんなさい、それが聞きたくて電話しました。一樹さんは・・・お元気ですか』
「ああ、おかげさまで元気だ。・・・まあ、ついででも気にかけてくれて嬉しいよ」
『・・・すみません。失礼ですよね』
「いや、いいんだ。お前が元気そうで良かった。じゃあ、これから会議でね。話せて良かった・・・真人」
『こちらこそ・・・ありがとうございます。また・・・』
「ああ・・・また・・・」
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