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真人と黒瀬
「呼び出したりしてすまないな。忙しかったんじゃないか」
「いいえ。忙しいのは一樹さんの方じゃないですか」
黒瀬は穏やかに微笑んで、軽く首を横に振った。向かいに座った真人は、コーヒーのカップを持ち上げた。
「それで、どうなさったんですか、僕に・・・頼みとは」
黒瀬は自分の前に置かれたコーヒーには手を付けず、低く、話し出した。
黙って聞いていた真人の顔が、次第に色を失っていった。
「・・・それは・・・避けられないんですか・・・」
「今のところ、確率は50%だ。だから念のため頼みたい」
「理人がそれを承諾するとは思えませんが・・・」
「私もそう思うが、君の言うことなら少しは聞くんじゃないかと思ってね」
「・・・僕は、理人を傷つけるだけで、助けてやることはできないと思います。今の理人に必要なのは、僕じゃなくてあなたかと」
真人は言葉を切って、黒瀬を見た。そのまっすぐな視線に黒瀬は一瞬怯んだ。
「同じ顔で言われると・・・なかなかくるな」
真人は哀しげに微笑んだ。その表情がさらに理人とみまごう。
「一樹さんの思いは分かりました。ただこの話は、最悪の状況になった場合にだけ、思い出すことにします」
「・・・ありがとう。よろしく頼む」
黒瀬はゆっくりと椅子から立ち上がった。
が、不意に手を額に当てたと思うと、よろめいて椅子を倒して床に膝を落とした。周りの客が騒めいた。
「一樹さん!」
真人は黒瀬を助け起こしたときに、彼の手の冷たさに気づいた。
顔面蒼白だった。真人は黒瀬の手を強く握った。
「学会の準備でここのところ寝不足なんだ。発作じゃないから、心配ない」
「・・・嘘ついても無駄ですよ」
「理人みたいなことを言わんでくれ」
「無理しないでください、お願いですから」
「そうだな・・・もう少し楽しみたいこともある」
黒瀬が不敵な笑みを浮かべたことで、真人もやっと笑った。それから真人は黒瀬の身体に気づかれないように手を添えて、店を出た。
黒瀬の車が見えなくなって、真人は呆然と、夜空を見上げた。
その晩遅くに、真人の携帯の液晶に、萩野 慧の文字が浮かんだ。
逡巡したが、真人は通話ボタンをタップした。真人が言葉を発する前に、おずおずと慧が話し始めた。
『もしもし・・・慧、です』
「・・・どうしたの、電話なんて」
『謝りたくて・・・・』
真人は一呼吸置いてから、言った。
「・・・理人の代わりだったてことに気づいて、本格的に謝ろうと思った?」
『・・・・・』
「いや・・・ごめん。大人気ないな。せっかく電話をくれたのに・・・」
『いいんです、自業自得なんです。俺は・・・真人さんに、酷いことをしました』
「・・・俺の方こそ、ちゃんと話も聞かずに・・・理人が・・・弟が関わると、昔から冷静になれないんだ」
慧は、穏やかな真人の声にほっとして、言った。
『真人さん・・・会えませんか』
「・・・そうだね、直接会って話そう。慧には・・・理人のことも話しておきたいと思っていたから・・・」
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