354人が本棚に入れています
本棚に追加
真人
仕事を終えた慧は、ちらりとまだデスクに残っている理人を見た。
居酒屋で置き去りにされてから、どんな顔をして接していいのかわからなかった。怒っているのか、気にしていないのか、理人の様子は変わらない。
病院を出ると、すぐに携帯の呼び出し音が慧の鞄の中で鳴り響いた。
「はい、萩野です」
『もしもし、慧?悠介だけど』
「おー、久しぶり!どしたの」
『今日、POWDERでイベントあんだけど・・・一緒に行くやつ仕事で行けなくなっちゃって・・・慧、行かね?』
「あー・・・いいけど、イベントって何?」
『マッチングパーティーみたいなもんだよ。今フリーでしょ』
「まあ・・・うん」
慧は電話を切って、暗い画面を見つめてため息をついた。
フリー。
そもそも慧は、特定の相手がいたことがない。
中学生の時に男が好きだと気が付いて、高校を卒業するまで悩んでこじれて、それを振り切るように勉強し、薬剤師になった。
一晩限りの相手は数え切れないほどいたが、それだけだった。
ふと、理人の顔が浮かんだ。
一目惚れだった。
理人が「美人」だと、言い出したのも慧本人だった。
黒瀬のことを言うのは賭けだったのだが、最もまずい方向に行ってしまった。
おまけに理人は、あの夜口止めもしなかった。
ゲイだと見透かされてしまったのは、やはり同じ匂いがするのだろう。
慧は、もう一度ため息をついて歩き出した。
「慧、こっちこっち!」
「おー・・・すごい人だな」
悠介が慧に大きく手を振った。
会場にはたくさんの出会いを求める男たちがひしめきあっていた。
悠介は慧に、ビールの入ったグラスを手渡した。
「悪ぃ、急に呼んで」
「いーよ、暇だったし。よさそうなの、いた?」
「いや、それがばったり上司に会っちゃってさ、気まずいのなんの・・・」
「うわ、そりゃ気まずいな」
「そうなんだよ、ほら、あそこ・・・」
悠介が指を指した先に立っていた男は、こちらに背を向けていた。
談笑しながら、少し角度が代わり、その顔が見えた時、慧は呼吸が止まった。
「長谷川さん・・・?」
慧のつぶやいた声が小さくて、悠介は、え?と聞き返した。
振り向いた男の顔は、長谷川理人そのものだった。
違ったのは、肩に届く長髪と、日に焼けた浅黒い肌。スポーツをしていると一目でわかるバランスよく筋肉のついた身体。ジャケットの中はラフなTシャツで、ヴィンテージ風のデニムを履いている。色白で線の細い理人と同じなのは、顔の造形だけだった。
「あの人・・・」
「え、なに慧、まさか堀さんと知り合い?」
「堀さん・・・?」
慧と悠介の不躾な視線に気づいたのか、堀という男が振り向いた。
見れば見るほど理人にそっくりなその顔に、慧は見とれた。その間に、悠介が堀に近づき、何かを話している。
そして気づくと、悠介と一緒に堀がこちらに歩いてきていた。
「萩野くんだっけ」
堀と名乗ったその男は、声まで理人に似ていた。おそらく体格は理人よりも若干大きいと思われたが、ちょっとした仕草や、口調までもがよく似ていた。
「は・・はい。さっきは不躾に、すいません」
「いや・・・新手のナンパかと思って、面白かったよ」
「す・・・すみません」
慧は、自己紹介の代わりに、前にどこかで会ったことはないかと聞いてしまった。悠介が横で腹を抱えて笑い、堀は目をぱちくりさせていた。
「新手ってゆーか、古典的っすよね・・・ホントすみません」
「気にしないで。萩野くんは、相手を探しに来たの?」
「あ、や、悠介、じゃなくて藤島が、一緒に来てくれって・・・」
悠介は慧と堀が話し出した頃に、好みのタイプを見つけて二人の側を離れていた。
「あの・・・堀さんは?」
「俺も友達の付き添いでね。彼は早々にいい子を見つけたみたいで、ほら」
堀が親指で示した先で、悠介と、堀の連れらしい男がやたら近い距離で話しているのが見えた。
「あ・・悠介・・・」
「うまくいったみたいだ」
「はは・・・」
慧は乾いた笑いで返して、ソフトドリンクを飲む堀の横顔を視界の端で確認した。理人とは違う、と思っても、どうしても意識してしまう。
「あの・・堀さん」
「ん?」
「付き添いって言ってましたけど・・・大丈夫なんですか、こういう雰囲気」
「大丈夫って?」
「その・・・ここにいるの、みんなゲイですよ」
堀はまた目を見開いた。そして笑い出した。首を傾げる慧にごめんごめん、と堀は言った。
「あの・・・?」
「なるほど、そう見える?確かによく言われるよ、ノンケっぽいって」
「じゃあ・・・」
「そうじゃないと、こんなところ出入りしないよ。藤島くんは驚いてたけどね」
「悠介・・藤島の上司さんなんですよね」
「そうです。あ、これ、名刺」
堀がジャケットの胸ポケットから、黒地に白い文字の並んだ名刺を取り出した。
そこには、海外進出もしている有名ブランドの名前と、ジュエリーデザイナー、堀 真人(ほり まひと)、と書かれていた。
「堀 真人です。よろしく」
そのよく似た名前の響きに、慧は、理人を思い出さざるを得なかった。
最初のコメントを投稿しよう!