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不意に、強い風が僕たちにぶつかってきた。
桜の木がまた、花を散らす。
まるで、場の空気を読むようなタイミングで。
「病気だったんです。生まれた時から、ずっと」
「…………そう」
彼女が相槌を打った。態度を変えないのは、気遣ってくれているからだろう。
「なんか、すみません。暗い話で」
「暗くなんかないわよ」
「え?」
「笑顔を絶やさず、病気と闘って生き抜いたんでしょう? その人生を、自分で暗いと切り捨てるべきではないわ」
「……そう、思ってくれるんですか?」
「だってあんた、ずっと笑顔だもの」
桜の花びらが、彼女の前に落ちてくる。彼女が手を開き、花びらを受け止めた。
再び吹いた風が、手のひらの花びらを攫っていく。花びらを名残惜しむことなく、彼女はそっと手を閉じた。
「あんた、知らない世界に来たんでしょう? 分かっていたとはいえ、いつの間にか死んでいて、しかも別の人間になっていたなんて……」
「まぁ、正直、めっちゃ混乱してますけどね」
「だけど、それでもずっと笑顔だもの。そんなことは、笑顔を常に絶やさないからこそできるのよ。私には、とても真似できないわ」
「…………」
僕は、少し後ろめたいような気持ちになった。だって、笑顔を忘れないようにはしてきたけど、闘ってきたわけじゃない。
むしろ、ずっと逃げてきた。
家族や周囲の人たちが、自分が死んだ後も生き続けるという事実から。誰よりも先に死んでしまうという、残酷な事実から。
みんなに心配されたくない。心配されて、可哀想なんて思われたくない。
だから、僕は笑顔を絶やさなかった。
笑顔で誤魔化して、ずっと目を背けてきた。
「まぁ、あくまで私の主観でしかないけど」
「……作り笑顔でも、そう思いますか?」
「えぇ。作っていようがいまいが、生きるための手段でしかないもの。自分を見失わずに生き続けるためのね」
「手段……」
「あんたが生きていく上で、必要なものだったんでしょう?」
「…………」
僕は、自分の笑顔が嫌いだった。心からの笑顔じゃなかったから。笑顔で誤魔化さないと、自分を保てなかったから。
そんな弱くてズルい自分が、ずっと嫌いだった……はずだった。
(あぁ、なんだ……)
弱くもズルくもない。僕の作り笑いは、生きるための手段でしかなかったのか。
そうだ。誤魔化しても、逃げ続けても、絶望することなく生き続けた。
僕の笑顔は、虚しいものじゃなかったんだ。
「……ありがとうございます」
「礼ならさっき聞いたわ」
「いえ。その……今も」
「そう? まぁ、どういたしまして」
彼女が何を思って言ったのかは分からない。僕の心情なんて知る由もないだろうから、それほど深く考えた言葉ではないかもしれない。
でも、その何気ない言葉で全てが報われた。
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