エブリスタ作品から学びたいこと・その1 ――まず一人称小説・三人称小説を明らかに――

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エブリスタ作品から学びたいこと・その1 ――まず一人称小説・三人称小説を明らかに――

     このエッセイ全体のタイトルは『エブリスタを使い始めて思うこと』となっていますが、私は「カクヨム」の方でも、似たような『カクヨムを使い始めて思うこと』というエッセイを書いています。さらに「カクヨム」では『カクヨム作品を読み書きして思うこと』というエッセイも書いています。  もしかしたら「そちらでは、なぜ別々のエッセイを?」と思われるかもしれません。小説投稿サイトに掲載された作品を読んで思ったことというのは、広い意味ではその小説投稿サイトに対して思うことに含まれるわけですから。例えば、エブリスタで作品を読んでいて「恋愛小説が多いなあ」と感じたら、それはサイト全体の作品傾向という話になるでしょう。  でも、そうではなくて。  その『読み書きして』エッセイでは、個々の作品に対して「これは自分の作品にも取り入れよう!」とか「これは良くないから自分の作品を書く時には気をつけよう!」とか感じた、小説執筆の上での注意点みたいなものをまとめているのです。  だから、少し趣旨が違うと思って、あえて二つのエッセイに分けているのですが……。  エブリスタでは。  わざわざ『エブリスタ作品を読み書きして思うこと』という新たなエッセイを始めるのではなく、もうこのエッセイの中に内包してしまおう、と思いました。『「小説家になろう」や「カクヨム」などと比較して』という副題をつけてしまったのだから、本当は「カクヨム」の方の『使い始めて』エッセイ以上に、テーマに合わない話題になってしまうのですが……。  広い意味で「エブリスタ関連の何でもありなエッセイ」だと思って、ご容赦ください。  もしも「そういう話じゃなくて、小説投稿サイトの特徴や比較みたいな話が読みたいのに……」という方々がおられましたら、記事タイトルが「エブリスタ作品から学びたいこと」となっている回は、読み飛ばすようにしてください。よろしくお願いします。  なお、私自身が未熟な書き手であるため、私の「自分の作品にも取り入れよう!」や「自分の作品を書く時には気をつけよう!」は、大きくピント外れだったり、場合によっては真逆だったりすることもあるでしょう。あらかじめ、お断りしておきます。  その時は、どうぞ笑ったり、コメントでツッコミを入れたりしてくださいね。  以上、前置きが長くなりましたが。  今回のテーマは、小説の書き出しです。上述の『カクヨム作品を読み書きして』エッセイでも「短編では書き出しの一文って大切!」という話をしたことがあるのですが、それとは少し違う、もっと具体的な話です。  ここエブリスタで短編小説を読んでいて、何度か「最初は主人公一人称かと思ったのに、実は三人称小説だった」というケースに出くわしたのです。  といっても、一昔前のWEB小説にありがちな「作者が三人称と一人称を混在させてしまう」というのとは違うのですよ。もう一度最初から読み直してみると、あくまでも作者としては、徹頭徹尾、三人称で書いているのですね。だから責められるべきは作者ではなく、読者である私の方なのですが……。  では、なぜ、私が誤読したのか。  それは、始まってからしばらくの間、主人公の主語が省略されていたからでした。  ほら、日本語って、主語の省略を多用する言語じゃないですか。むしろ逆に、主語を全て書いてしまうと美しくない、というくらいに。  例えば、 (例文A)  私は寝坊してしまった。私は慌ててパンをくわえて、学校へ向かう。角を曲がったところで、私は見知らぬ男の子とぶつかりそうになった。 (例文B)  清美は寝坊してしまった。清美は慌ててパンをくわえて、学校へ向かう。角を曲がったところで、清美は見知らぬ男の子とぶつかりそうになった。  みたいな文章って、あまり推奨されませんよね? くどいとか、テンポが良くないとか言われますよね?  おそらく、 (例文C)  私は寝坊してしまった。慌ててパンをくわえて、学校へ向かう。角を曲がったところで、見知らぬ男の子とぶつかりそうになった。 (例文D)  清美は寝坊してしまった。慌ててパンをくわえて、学校へ向かう。角を曲がったところで、見知らぬ男の子とぶつかりそうになった。  の方が、一般的なはず。  でも、この「主語は省略しよう!」にこだわって、そこから始めてしまう作品もあるのです。 (例文E)  寝坊してしまった。慌ててパンをくわえて、学校へ向かう。角を曲がったところで、私は見知らぬ男の子とぶつかりそうになった。 (例文F)  寝坊してしまった。慌ててパンをくわえて、学校へ向かう。角を曲がったところで、清美は見知らぬ男の子とぶつかりそうになった。  これ、作者の頭の中では主人公が決まっているから最初から主語なしでも違和感なく、むしろ「無駄を省いた、キリッとした文章!」と思えるのでしょうが……。  長編の二話目とか三目ならばまだしも、特に短編小説の頭では、読者的には「誰が?」となってしまいませんか? まあ「おそらく主人公なのだろう」くらいは自然に思い浮かぶでしょうが、でも「その『主人公』って誰なのだろう?」と混乱するのではないか、と思います。もちろん、そこを狙いとした技巧的な小説もあるのでしょうが、そういうのは例外です。  また、これは例文なので「三文目に初めて主語が出てくる」という形にしましたが、確か私が遭遇した作品では「初めて主語が出てくる」のは、もっと遅かったはず。  さて、そこで問題。  新しく読み始めた作品で、いきなり主語が省略されていた時。省略された主語として、あなたの頭に浮かぶのは、一人称ですか? 三人称ですか?  人それぞれだと思いますが、私は三人称ではなく一人称を想定してしまうのですよ。だから、先ほどの二つの例のうち、(例文E)のパターンならば問題ないのですが、(例文F)パターンだと途中で「おや?」と違和感を覚えてしまう。  先ほども書いたように、作者自身は、最初から頭の中で主人公を想定しているはず。いや読者の方でも「小説は基本的に三人称だから省略された主語も三人称」と思う人もいるかもしれません。  でも私のように、何も書いていなければ省略されているのは一人称だと考えてしまう人間……。きっと他にもいますよねえ?  こういうことを考えていくと。  小説の冒頭部では、迂闊に主語を省略せずに、まず「これは一人称小説か三人称小説か」というのを明確に示すべき、と思ったのでした。  なお。  別の意味でも冒頭部が気になる作品があったのですが……。  それに関しては、次回、書いてみたいと思います。    
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