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一、強くなりたい!
嘉永六年、六月――。
五日も降り続いた雨は月が変わって三日目に晴れて、この日も青い空が広がっていた。
品川の土佐藩邸を一歩外に出た坂本龍馬は、軽く頭を左右交互に傾けたあと、自身の肩を揉みほぐした。
龍馬はどうもいまいち、藩邸暮らしは慣れそうもなかった。まだ旅籠に逗留した方が身が楽だが、遊学中は藩邸に住まうのが習いだそうだ。しかも最初に身を置いた築地屋敷(※土佐藩中屋敷)にでさえまだ慣れていないというのに、品川に向かえとの藩命である。
なんでも米国から来たという異国船が江戸湾に侵入してきたため、警備せよというらしい。
「ええ天気じゃのう」
見上げた空には雲がいくつか浮かんでいたが、再び雨になるというものでない。しばらく晴れの日が続くだろう。
ここ数日雨籠もりを強いられて、さすがの龍馬も気がおかしくなる一歩手前だった。
ならば出かければいいのだが出かけるにも雨となれば浮いた腰は沈み、囲碁や将棋、書で空いた暇を埋めねばならない。 困ったことに龍馬は身体を動かしていたい方で、一カ所に一刻以上も座っていることができない質である。
もちろん感心があることにだけは大人しく座ってもいられるが、熱中できることが剣術一本となると、室内でできることは昼寝ぐらいしかない。
藩邸という場所は上級武士も多く、滞在していれば下級武士である龍馬であっても、彼らと顔を合わせる機会も多い。下手に逆らわなければ問題はないが、一度ボサボサ頭で厠に行こうとして、上役と鉢合わせしたことがある。それまで龍馬は何をしていたのかといえば、部屋で大の字になって寝ていて、寝起きのままだったから顔も寝ぼけ眼であったであろう。しかも頬に畳の跡がついていたらしく、龍馬はそのあと懇々と説教をされる羽目になった。
同部屋となった佐々木鞍之新という男も気難しい男で、江戸には学問を学びに来ているという。朝から晩まで書にかじりつき、厠に立つ時ぐらいしか動かぬ男であったが、龍馬が失態をやらかしたその日は、外出中であった。行く所もすることなく、昼寝もゆっくり出来ず、仏頂面の上役と同じ屋根の下というのは龍馬にとっては拷問に等しい。
そんな龍馬が生まれ故郷・土佐を離れたのは、江戸での剣術修行が目的であった。郷士という下士の身分であったが、剣術修行の許可はすぐに藩から下りた。藩邸暮らしさえ除けば江戸での日々は有意義なものになる筈だったが、とんだ邪魔者が海の向こうからやって来た。
嘉永六年六月三日――相模国・浦賀沖に、米国の異国船が来航した。世にいう、黒船来航である。
龍馬がその報せを聞いたのは修行先の町道場であったが、それからまもなく「異国船襲来に備え、品川台場でことに当たれ」という藩命である。
龍馬のような遊学中の郷士にまで藩命が下りたということは、事件の大きさを物語っていた。かくして龍馬は、品川警備に駆り出されたのであった。
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