一、強くなりたい!

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 品川宿は江戸・日本橋を発ち、京の玄関口・三条大橋までを結ぶ東海道一番目の宿場である。 中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで江戸四宿と呼ばれているそうで、西国へ通じる陸海両路の江戸の玄関口として賑わい、旅籠の数や参勤交代の大名通過数において他の江戸四宿と比べ数多いという。 高輪台地の最南端は御殿山(ごてんやま)と呼ばれ、徳川将軍家の鷹狩りの休息場として、以前は品川御殿と呼ばれる城があったという。  しかし元禄十五年に四ッ谷太宗寺付近で出火し、火は青山から麻布御殿へ至り品川宿でようやく鎮火、品川御殿は焼失してしまったという。以後桜の名勝地として、春は賑わうらしい。 「敵は案外、しぶといのう」  品川湊(しながわみなと)の沖には、確かに異国船が停泊していた。  浦賀に現れた米国の異国船は、浦賀奉行相手では埒があかないと思ったのか江戸湾に侵入、この国に開国を迫るつもりらしいが、二百年近く続けてきた鎖国を「はいそうですか」と変えるほどこの国は愚かではない。   一戦交える覚悟で、土佐藩陣営にも戦国武者並みに胴丸姿の藩士が大砲の近くに陣取っている。  そもそも江戸湾防衛は、寛政四年にロシア使節が根室に渡来し、通商を求めたことに始まるらしい。  江戸回航を主張したというロシア使節に対し時の老中松平定信は、長崎以外に海防体制のない欠陥を痛感し、みずから伊豆・相模を巡検して江戸湾防備体制の構築を練ったという。以後、川越藩・忍藩(おしはん)の二藩に加え、会津藩・白河藩の四藩が江戸湾防備にあたっていたようだ。  龍馬が頭を描きながら歩いていると、築地屋敷で同部屋であった佐々木鞍之新を見かけた。 「おんしも、ここの警備に借り出されちょったかえ? 佐々木さん」  龍馬が声をかけた佐々木鞍之新は、ここでも本の虫だった。適度な岩場に腰を下ろし、刀を抱いて難しそうな書を開いている。 「一時でも無駄に出来んのでな」  佐々木は龍馬を一瞥すると、そう答えて視線を書に戻した。確かに警備といってもことが起きなければ、ただ待つしかない。しかも龍馬たち下士たちは、白兵戦でもならない限り活躍の場はない。 「異国は公方さまに会わせろち、言うちょってるそうじゃ。こん国は神国じゃ。異人を上陸させる訳にはいかんちゃ」 「おんしの言う通りじゃ! ここは大砲ぶっ放してこの国の意地を通すがじゃ!」  品川沿岸の防備を固める陣営の中、熱を帯びた土左訛りが龍馬の耳に届いた。 (穏やかではないのう……)  龍馬たちは額に鉢巻きを締めただけの軽装であったが、龍馬にも異人と刃を交える気はあった。  天下泰平の世にあって、これまでの武士は滅多に刀を抜くことはなかった。おそらく一生のうちに、一度あるかないかだろう。命を賭けるほどの実戦の機会はなくなったが、国の一大事に立たないようでは虎の威を借る狐である。  しかし――。 「暇じゃのう……」  龍馬はくわっと欠伸をしぼやいた。沿岸警備に借り出されたのはいいが、異国船は江戸湾に停泊したまま動かず、威嚇射撃するにも射程範囲外である。 「坂本どの、上に睨まれちょりますぞ」  共に沿岸警備に借り出された男に咎めら、龍馬は頭をガリガリと掻いた。 「睨み合いを初めてもう二日じゃ。わしゃこうじっとしちゅうがは苦手がじゃ」  日頃の鍛錬を生かす機会も、敵が動かないのでは話にならない。この間にも幕府は、立ち去るよう交渉しているという。  そろそろ土佐の海にも、黒い怪物が姿を見せる頃だろう。  龍馬はまだ実物を見たことはないが、その怪物は頭の先を海面に少しだけ出して、潮を吹き上げるのだという。  その怪物は鯨という生き物で、土佐は捕鯨の国でもあった。  温暖な土佐は南に黒潮洗う太平洋、北に山々が連なる四国山地、青い海と山の緑と豊かな自然に恵まれたところである。 (乙女姉、元気にしちょるかのう……)  晴れ渡る空を見上げながら、龍馬は土佐にいる姉・乙女を思い出すのだった。                             ◇◆◇
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