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五話 新たな夢へ!
一
嘉永六年十一月――、晴れ渡る空で鳶が一回転した。
稲穂は黄金に色づき、吹く風も日増しに冷たくなりつつある。
――わしは、夢を見ちゅうてたのかの……。
土手に寝転んだ龍馬は、そんなことを思っていた。
それはこの故郷があまりにも穏やかで、龍馬がいた頃と変わっていなかったからだろうか。土手でだらしなく伸びていても煩い上士に咎められることないし、飯も丼でたらふく食える。強くなりたいとこの地を後にしたことまでも、夢の一部だったとかなと、ついつい錯覚しがちになる。
「龍馬!」
睡魔に気持ちよく引きずり込まれかけていた龍馬は、その声に飛び起きた。
「お、乙女姉!?」
龍馬の三番目の姉・乙女は後ろ手に手を組んで、龍馬を睨み付けていた。その形相も、龍馬が子供の頃と変わりなく怖い。「坂本家のお仁王さま」はどうやら健在のようだ。
「ちくっと(ちょっと)、散歩しちゅうと云って出たまんまじゃき、なにしちゅうかと思いきや……」
「あんまに気持ちがええきに、休んじょったんたんじゃ。やっぱり、土佐はええのう? 乙女姉」
「異国船見ちゅうて、怖じ気づいたか?」
「いんや」
龍馬は袴についた草などを払いつつ、立ち上がった。
龍馬は一年の剣術修行を終えて故郷・土佐に戻っていた。
本当ならこれからこの国がどうなるのか江戸で見続けたかったが、まさかそれが理由では藩の許可は出ないだろう。
「世の中は変わっちゅう」
龍馬の言葉に、乙女は「ほうか」と返事をした。
世が変わった――、それは間違いない。
嘉永六年六月に浦賀に現れ江戸湾にまで侵入した米国の船は、一年後にまた来ると去った筈であった。しかし、米国の船は一年もせずにやって来た。
今度こそ戦になると龍馬も腹を決めていたが、幕府が築いた品川台場の砲台も、土佐藩が築いた鮫洲砲台も火を噴くことはなく、嘉永七年三月三日、米国と条約が結ばれて下田と箱館が開港、二百年以上続いた鎖国は終焉した。
「それで、おまんはどうするんじゃ? 龍馬。強くなりたいというおまんの夢、叶ったんか?」
「わしの腕などまだまだじゃ。異人の首を土産にすると、おとん(父)の文には書いちゃったが、首を討つまではなっちょらん。それにのう、乙女姉。わしには他にすることがあるような気がすっとじゃ。こん国は変わりゆう。侍も今までのようにはいかんと思うちょる」
「やはりおまんは、龍の子じゃ。地ではおとなくしちょらん」
龍の子――、乙女は今も龍馬が龍になると信じている。
「けんど……、それがなんなのか、わしにはまだ見えんがじゃ」
目の前では鏡川が陽光をうけてキラキラと輝き、とんぼが滑るように水面を飛んでいく。
土佐に戻ってきたとき、龍馬は久しぶりに岩崎弥太郎と会った。
会ったというより、出くわしたといった方が正しいだろう。いつものように背に籠を背負い、手には鍬を手にしていた。
「――メリケン相手におめおめと帰っちゅうがか」
開口一番、弥太郎は龍馬を睨んできた。
「剣術修行が一年じゃき、帰ってきたがよ」
「わしはおまんが、てっきり昔みたいに泣かされて帰ってきちゅうと思ったわ。ま、どんだけ強うなっちょったかはわしにはどうでもええが、この土佐には上士どもがいゆう。郷士は郷士、どんだけ強くなろうと出世はできん。おまんが、武市のように頭が回れば少しは上に行くかも知れんがの」
相変わらず嫌味な男だったが、弥太郎の言うことは間違ってはない。
――おまんには、夢がない。
弥太郎にそう言われた時、龍馬はハッとした。確かに子供の頃は「強くなりたい」とひたすら思ってきた。苛められ泣かされて一度も喧嘩に勝ったことがなかった。だから、剣術を覚えようと思った。強くなれば苛めてきた者は苛めて来なくなるし、馬鹿にもされなくなると。
だが弥太郎に言わせれば、それは夢でもなんでもないという。「強くなりたい」というのは夢ではなく憧れだと、ならば強くなってなにがやりたいのかと彼はいう。
やりたいもの――、はたして自分はなにをしたいのか。
「これからこん国は、騒がしゅうなるがよ。乙女姉」
開国したとはいえ、この国にはそれを良しとしないものが数多いるようだ。
確かにこのまま異人にやりたい放題されるのは困るし、言葉もわからない。そういう龍馬も自由奔放で、江戸では土佐名訛りが抜けず、言葉も通じずに困ったことがあったが、それとこれとは別である。
郷に入っては郷に従えの言葉どおり、この国に来るのならこの国の掟と文化に従ってもらわねばならぬ。
「うちには難しいことはわからんき」
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