7人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
見たところ、少女はアマデウスを発症したばかりのようだ。
目鼻立ちの整った顔の、利発そうな額に浮かぶ「i」字の痣は、まだ薄かった。
「次の駅で降りよう。駅員さんに頼んで、救急車を呼んでもらわないと」
「ありがとう。でも自分で、……出来ますから」
助け起こそうとした彼の手に、熱い吐息がかかる。
マスク越しでも伝わるということは、体温はもう、40度近くまで上昇しているのだろう。
「無理しちゃだめだ。早く診てもらえば、それだけ治る可能性が高くなる」
私立女子校の制服を着た少女は、「そうね」と呟き、ほほを緩めた。
アマデウスウィルスは昨年、パンデミック寸前まで行った新種のウィルスだ。
他の症状は体のだるさぐらいだが、体温が40度を超える状態が延々と続く。
致死率も高く、50歳未満でも30%近い数字が出ている。
人類が直面した中でも、最も恐ろしいウィルスのひとつだ。
ワクチンは未だ、開発されていない。
盲目的な恐怖に怯える人がいるのも、仕方のないことではあった。
ゲンが小学校に入学する年のこと、10年ほど前のコロナウィルス・パンデミックを思い出す。
詳細は覚えていないが、大人達がたいそう騒いでいた印象が胸に刻まれている。
日本では「無印コロナ」と呼ばれるCOVIDー19(19年型コロナ)の影響はそれほど大きかった。
この10年、毎年のように変異したコロナウィルスが誕生している。
ワクチン投与の効果が薄く、あやうく感染爆発という事態を人類は何度も体験してきた。
そのせいで外出時のマスク着用や咳エチケット、社会的距離などはすっかり定着している。
列車が駅のホームへと入っていく。
ゲンは少女をダッフルコートごと抱え込んで立たせた。
「私は猿渡(さわたり)エリ。あなたは?」
少女は熱に浮かされているようだった。
「瓜生(うりゅう)ゲン。無理にしゃべらなくていいよ」
「今じゃないと、お礼すら言えないかも。だから……ありがとう」
なんと返事をしていいか分からず、彼はただ頷いた。
ドアが開く。
ゲンは、「急患です、道を空けてください」と、声を張り上げた。
最初のコメントを投稿しよう!