1. Amadeus

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見たところ、少女はアマデウスを発症したばかりのようだ。 目鼻立ちの整った顔の、利発そうな額に浮かぶ「i」字の痣は、まだ薄かった。 「次の駅で降りよう。駅員さんに頼んで、救急車を呼んでもらわないと」 「ありがとう。でも自分で、……出来ますから」 助け起こそうとした彼の手に、熱い吐息がかかる。 マスク越しでも伝わるということは、体温はもう、40度近くまで上昇しているのだろう。 「無理しちゃだめだ。早く診てもらえば、それだけ治る可能性が高くなる」 私立女子校の制服を着た少女は、「そうね」と呟き、ほほを緩めた。 アマデウスウィルスは昨年、パンデミック寸前まで行った新種のウィルスだ。 他の症状は体のだるさぐらいだが、体温が40度を超える状態が延々と続く。 致死率も高く、50歳未満でも30%近い数字が出ている。 人類が直面した中でも、最も恐ろしいウィルスのひとつだ。 ワクチンは未だ、開発されていない。 盲目的な恐怖に怯える人がいるのも、仕方のないことではあった。 ゲンが小学校に入学する年のこと、10年ほど前のコロナウィルス・パンデミックを思い出す。 詳細は覚えていないが、大人達がたいそう騒いでいた印象が胸に刻まれている。 日本では「無印コロナ」と呼ばれるCOVIDー19(19年型コロナ)の影響はそれほど大きかった。 この10年、毎年のように変異したコロナウィルスが誕生している。 ワクチン投与の効果が薄く、あやうく感染爆発という事態を人類は何度も体験してきた。 そのせいで外出時のマスク着用や咳エチケット、社会的距離などはすっかり定着している。 列車が駅のホームへと入っていく。 ゲンは少女をダッフルコートごと抱え込んで立たせた。 「私は猿渡(さわたり)エリ。あなたは?」 少女は熱に浮かされているようだった。 「瓜生(うりゅう)ゲン。無理にしゃべらなくていいよ」 「今じゃないと、お礼すら言えないかも。だから……ありがとう」 なんと返事をしていいか分からず、彼はただ頷いた。 ドアが開く。 ゲンは、「急患です、道を空けてください」と、声を張り上げた。
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