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失くした記憶
「手術は成功しました……仕事にも復帰し働いています。ですが……日向さんを見てわかったと思いますが……記憶が飛んでいます」
「記憶が飛ぶ?」
堀川さんは一度姿勢を整えると、今度は医者の顔になって私と向き合う。
「腫瘍は取り除けましたが、腫瘍により圧迫されていた部分があって、その影響で一部記憶がないのです。調べてみると、あなたとの結婚生活の辺りがポッカリ抜けていました」
「……私のことと、結婚生活を……覚えてない……」
私はポツリと呟いた。
確かに理一郎さんは、私を見て何の反応も示さなかった。
彼にとっては、他人も同然だったのだ。
「……本来なら、記憶の一部が無くても術後の経過も良好なので、これは成功なのです。ですが、私は日向さんの無くした記憶の一部がどれだけ大事なものかを知っていた……知っていたから、お節介とは思いましたが、放っておけなかったのです」
「だから、ここに?私がいる所に連れてきて……会わせようと?」
「はい。ご家族の了解を得て、あなたの居場所を聞き出し、日向さんに本を返して来るようにと……」
なるほど。
と、私は全てを理解した。
実家の両親は、理一郎さんの現況、病気を堀川先生に聞いていたのだ。
相談しても素っ気なかったのは、私の判断に任せようと、そう思ったのだろう。
「あなたに会って、何かしらの反応があるかと期待しました。でも、日向さんに変化はありません」
堀川さんは傍目にも見てわかるほど、肩を落とした。
それを見て私もため息を付く。
理一郎さんは綺麗サッパリ忘れてしまっている。
しかも、忘れても全く困っていない風で笑っていた。
これは、少し前の自分だ。
そう思い私はやるせなくなった。
「私に出来るのは、日向さんと奈緒美さんをもう一度会わせることくらいでした。記憶は無理をしても戻らない。医者が言うのもなんですが、奇跡を待つしか……」
奇跡……。
心の中でその言葉を繰り返した。
奇跡なんて、そうそう起こるはずはない。
そんな不確実なものにすがるよりも、もっと確実な方法がある。
それを実行する熱意を、まだ私は失くしていなかった。
「堀川さん、私、日向さんにもう一度会いたいのですが?」
「え、ええ。それはもちろん、構わないですけど……」
面食らう堀川さんに、私はあることをお願いした。
すると、彼女は静かに微笑みその場を去った。
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