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不審な出来事
「すみません!ここ受付ですよね?」
と、男は屈託なく笑った。
これは……元夫、理一郎……いや、そうは断言できない。
目の前の男は、まるで私に初めて会ったかのように話しかけている。
髪型が違うのを除けば、どこをどう見ても本人にしか見えないけど、別人だという可能性も無くはない。
実は双子の兄弟がいた?
世界にそっくりな人は三人いると言うけど、その内の一人?
いろんな可能性を考えたけど……まるでわからない。
わかるのは、私の体から血の気が引いていくことだけだった。
「あの?」
男は無邪気に首を傾げる。
「……は、い。受付です、が……」
何がどうなっているのかわからないけど、取りあえず仕事をしよう……。
そう思い言葉を絞り出す。
「良かった!あの、この本を返して来るように頼まれたんですが……」
男は難しい医学書を差し出しながら、自動ドアの向こうを指差した。
視線を向けると、そこには高いヒールを履いた綺麗な女性が立っている。
如何にも高学歴で頭の良さそうな感じであるが、官僚や弁護士とかそういう類いではない。
医学書を借りていたことから推測すると、医療関係者……たぶん医者だと思う。
私は視線を本に戻し、返却処理をした。
そして、男の顔を見ずに「御利用ありがとうございます」と呟く。
「こちらこそ」
男は爽やかに言うと、踵を返し、外で待つ女性の元へ駆け寄った。
私はその様子を凝視した。
女性が何かを男に囁くと、男は腕を組み首を捻る。
それを見て、女性は困ったような表情を浮かべたが、すぐに軽く微笑むと男の肩をポンと叩いた。
その一連の流れを見ていた私に、突然女性が視線を向ける。
咄嗟に目を逸らそうとしたけど、そうするのも不審な気がして、私はペコリと頭を下げた。
すると、女性も微笑んで頭を下げ、やがて男と共に車に乗り込み消えた。
一体、今……何が起こった?
数分前、目の前で起こった出来事が理解出来ず私は呆然とした。
あれは誰だったのか。
私のことを知らない風だったから、やはり良く似た他人かもしれない。
でも、実は本人で、逃げられた腹いせに、付きまといを始めた、という可能性も捨てきれない。
一応、何かあった時のために、実家の両親にはこの件を話しておこう、と私はスマホを取り出した。
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