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医者
翌日、私はごく普通に出勤した。
あんなことがあったにも拘わらず、普段通りでいられるのにはわけがある。
あの出来事の後、すぐ実家の両親に相談した。
だけど返ってきたのは「気にするな」の一言だけ。
離婚時、鬼のように怒っていた父親がそんな態度だったので、拍子抜けしたのだ。
可愛い娘がどうなってもいいの!?と、怒りも込み上げたが、一晩寝るとそれも消えた。
単純過ぎる理由ではあるけど、私自身、昨日の男の態度や様子に悪意の欠片も感じられなかったのだ。
それに何かあれば、躊躇せず警察を呼べばいい。
と、腹を括ったのだ。
いつもと同じように受付をして、図書を返却する。
事務処理をし、電話を受け、1日が終わる。
昨日の出来事なんて、まるで夢だったかのように時間は過ぎ、私は帰り支度を済ませ図書館を出た。
「あの、すみません。奈緒美さん?友浦奈緒美さんですか?」
図書館前でそう声をかけて来たのは、昨日男と一緒にいた女性だった。
「はい……そ、そうですが……」
冷静に答えながら、どうしてまた来たの!?と心で叫ぶ。
しかし、その疑問の答えこそが、昨日の男が理一郎さんだったということになりはしないか!?
私は自身の推測を打ち消しながら、女性と向き合った。
「突然すみません。私、K大学病院脳神経外科の堀川と申します。少しお話をしたいのですが……」
「大学病院……脳神経外科……」
まさか本当に医者だとは。
自分の分析力に驚きつつ、訝しむ。
脳神経外科の医者がどうして私に話があるのだろう。
「奈緒美さん」
「はい」
「昨日ここに来た男性、あなたのこと、わかりませんでしたよね?」
「ええ……あれは……日向理一郎でしょうか……」
「……そうです」
途端に頭が真っ白になった。
本人だったことよりも、何故、私がわからなかったのか。
そのことが気になっていた。
堀川さんは、わけがわからなくなっている私の肩を抱き、図書館前の公園のベンチに誘った。
その時、支えられていた私は堀川さんから仄かに薫る匂いに気付く。
この匂いはどこかで……どこだったか。
それを思い出せないまま、私はベンチに腰掛けた。
二人でしばらく風に揺れるブランコを眺めていると、ほどなくして、堀川さんが静かに話を切り出した。
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