平凡で平穏ないつもの朝を

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 私が死んでから3ヵ月。毎日この家で夫とマナを見守ってきた。  私がいなくなって、突然一手に引き受けることになった育児に途方に暮れる夫の姿も、私の死を理解できずに、いつ帰ってくるのかと夫に何度も問いただすマナの姿も。ずっと側で見てきた。  そんな彼らの姿を見るのはあまりに辛かった。  望んでこの世に留まったけれど、あまりに苦しくてさっさと成仏してしまいたいとすら思った。  でも、目をそらさずに彼らが立ち直っていくのを見届けることが、突然勝手に死んでしまった私のせめてもの償いだ。  マナは、私が死んだ当初、あまり泣かなかった。  どこか諦めたようなぼんやりとした表情を浮かべ、泣かない代わりに笑顔を見せることもなくなった。そうかと思えば、急にきょろきょろと辺りを見回してママと叫ぶ。マナはしばらくの間、ずっと心を閉じていた。まるで、私が帰ってくるまでストライキを起こしているかのように。  夫も、そんなマナの前では明るく振舞っていたが、本当は一番誰かに辛いと言いたかったはずだ。マナを育てるためにこれまで通り仕事をしなければならない。育児もしなければならない。弱音を吐いている暇もない。お互いの両親の手を借りてはいても、心身ともに限界だったはずだ。そんな彼に労いの言葉もお礼の言葉も伝えられないのは残念だ。  でも、時間薬の効果は確実にある。  時は、悲しみを忘れさせることはできないけれど、薄くすることはできる。  二人は、時を重ねることで確実に日常を取り戻していった。  少しずつ私のいない生活に慣れ、二人で笑い合うことも増えた。  そしてようやく最近、マナは私の仏壇に向かい合うことができるようになった。  いつまでというゴールは決めていなかったけれど、私が見届けるべきはここまでのような気がする。  そりゃ、心配なことはまだまだある。  マナは女の子だ。夫はやっと彼女の最低限の身支度を助けられるようになったけれど、細かいとこにはまだ気が回らない。  もう少ししたら、髪の毛も結べるようになってほしい。3ヵ月間ずっとマナがボサボサ頭で登園しているのを我慢して見ていたけど、そろそろかわいそう。子供はすぐに大きくなってしまうから、洋服も靴もサイズをよく確認して、新しいのを買ってあげてほしい。それから、来年はもう小学校にあがるから、きっと新しい環境でストレスが溜まるはずだ。時間を取って話を聞くことが大事になる。それから……。  え? あ、もうそろそろ?  何だ、ふんぎりがついたらお迎えが来るシステムになっていたようだ。  私は自分の仏壇の前に移動する。  遺影は、桜の時期に花見に行った時の写真が使われている。満開の桜の木の下で、全開の笑顔を見せている私。自分でもお気に入りだった。これを選んでくれた夫にホッとしている。彼の写真選びのセンスをちょっと疑っていた。  えっと、明日からは私、この中から2人を見守ることができるのだろうか?  それとも、空の上から?  いや、成仏しちゃったらもう私としての意識はなくなってしまうのか?  とても寂しいけれど、夫とマナが今後も幸せに暮らしてくれるなら、まぁそれでいいか。もう未練はない。  本当は仕事ももっと頑張りたかったし、やりたかったこともあった。でも、それがどうでも良くなってしまうくらい、家族が大事だったということだ。死んでから気付くことって、案外あるのね。  それじゃ、そろそろ行こうかな。    日差しが眩しい夏の朝。  私の朝は今日で終わるけれど、  私の存在など気にも留めないくらい、平凡で平穏な毎日をどうか過ごしてほしい。                            
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