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《前編》
「そういえば俺、結婚することになったから」
情事を終えてその余韻に浸っている俺の耳に入ってきたのは俺の思考をほんの数秒停止させるのには十分な一言だった。
「・・・誰と?」
「会社の同期」
へえ、なんてなんともないふりをして相槌をうっても内心は混乱していた。
いつかこんな日がくることは分かっていた。そして受け入れる覚悟もできていた。けれどそれはあまりに突然すぎた。
中学の頃興味本位で体を重ねてから、今日に至るまでの10年以上、俺高梨 龍也と新垣 雅人のこの不毛な関係は続いている。
俺と雅人はいわゆるセフレの関係。当時から女をとっかえひっかえの雅人は時折気が向いたときに俺を誘う。
それは彼女が途切れたタイミングなのか、それとも単純に「変わり種」が時には恋しくなるのか、詳しくは分からない。聞きたくもない。そこに「雅人が俺を必要としている」という事実が存在すればそれだけで十分だった。
ただ雅人との関係を切りたくはなかった。それがどんな関係であろうとかまわなかった。
自分が男であり、この関係に生産性がないことは分かっている。子が産めるわけでもなく、結婚できるわけでもない。世間一般の幸せとやらがここにはない。法律はこの関係を保証してはくれない。だからこの関係を持続させるには雅人の彼女たちとは違う何か《メリット》がなければならない。
女性と同じ土俵に立つことは敵わない。だからせめて、他の誰よりも手軽で、あと腐れがない「楽な相手」でいようと願う。決して雅人が相手をする女達と比べられないように、女みたいなことは絶対に言わない。女みたいに媚びるような真似は死んでもしない。
俺とこいつはただのセフレ。俺もお前もただ互いの快楽のために存在すればそれでいい。
毎日そう自分に言い聞かせる。雅人に捨てられないために、この関係を終わらせないために。
「そっか、おめでとう」
決して動揺を悟らせぬよう努める。わざと何でもないふりをする。そっけない態度をとる。
俺の声音は自分でも驚くほどに落ち着いていた。きっと雅人と関係を持ち始めて何十、何百と自分の感情を偽るうちにいつしか体が慣れてしまったのだろう。
そのことがうれしくもあり、虚しくもあった。
「ってことは俺たちの関係も今日で最後か」
できる限り軽口で、なんてことないような口調で確認する。自分の今後の立ち位置と、雅人との関係を。
結婚してもなお俺はこの男の傍にいることは許されるのだろうか。
「結婚してもお前との関係はやめねえよ。相性良いし、お前は特別」
――特別。
その言葉に雅人には悟らせぬようにほっと胸をなでおろす。
「でもまあ、結婚するまでは忙しくて会えそうにねえや。結婚してからもしばらくは落ち着かねえだろうし・・・。ま、落ち着いたらこっちからまた連絡する」
そう言って雅人は服を着て帰り支度を始める。その背中を俺は目に焼き付けるように見つめていた。
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