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矛盾世界 005 回想その弐
「……あなたは」
少々つよい握力で握られた腕を見ると、赤どころか紫色になっていた。
不安な気持ちを抑えつつ辺りを見渡すと、そこは公園だった。
遊具がほとんどない、公園。確か、この辺の公園は、他の市町村とは全く別の対策をとったのだった。『ボールが飛ぶと危ないから、ボール遊び禁止』ではなくて、『遊具があるからボールが不規則に飛んでいくのだ。だから、遊具を無くせ』の方向だったそうだ。
詳しくは、残念ながらその世代の友人がいないので分からないが、とにかくこの辺はそういう遊具が少なくなっている。
だから、見た目はもはや空き地だといってもいい。
そこにあるベンチに、彼は座っていた。
「こんにちは」
ガタイの良い彼は、少しだけ微笑んで声をかけた。私は、それに応じる。
「こんにちは」
この際、こんにちはだろうがこんばんはだろうがどっちだってかまわなかった。
それくらいに訳の分からない状態だったのだ。
「連れてきちゃいました」
舌を出す彼女はやはり可愛かったけれど、それすらも脇に措いておきたい案件だ。
……いや、やっぱりかわいい。
「これから、あなたの世界を鎮めたいと思います」
……私の、世界?
「あ、あの」
状況がつかめない私をよそに、彼らは何やら儀式めいたものの準備を始めた。
「いや、だから」
目の前には、ブルーシートが引かれていた。しかも、使いまわされているのか、若干汚れている。暗いからよく分からないけれど、ただの液体ではないような気がした。
なぜなら、広がり方が、あるところを中心にして円状に広がっているから。
まるで、そこに誰かが座るかのような陣形。
「そこに、座ってください」
彼女は、怖がる私をそっと抱きしめた。
……いやいや、だから。
何ですか、これは。
嬉しすぎて言葉にならない。高まる胸の鳴りを抑えることができない。
ふわふわしたまま、私は指示通り座る。
何が起こるのか、どういうことなのか。
彼女は、私の腕を抱きしめる。
小さな声で、「大丈夫、大丈夫」と私をなだめる。
嬉しくて、でも、怖くて。
目の前のベンチに大きな態度で座る彼を睨む。
「何をするんですか」
「儀式です」
「だから、それは何かって」
「では、始めます」
私の言葉は、全く彼に伝わらなかった。
頑としてそこに座る彼に、イラついた。
「あなたの初恋は、幼稚園の時。相手は、その時の先生ですよね?」
「……どうして、それを」
「その先生、無事に結婚なさって、今は子供2人授かったそうです。苗字も変わって、今は田倉だったと思います」
「……」
私の中で、何かが渦巻く。それがまだ分からない。
ただ一つだけ、嫌なものということだけは、確信が持てた。
人間が持って当たり前だけれど、見せたくない本性。
「続いての恋は、小学校1年生。あなたって、結構恋多き乙女ですよね。まあ、そのどれも『告白』まで至っていないようですけれど」
彼の言葉が、深く刺さる。
……だって、言えるわけがない。
「その時は、6年生の子で、結構なお嬢様だったみたいですね。確かに同じ町の中でしたけど、お嬢様学校に転入したとか。現在彼氏さんはいないようですけど、許嫁がいるようですよ」
渦巻く何かは、深い色に染まる。
赤よりも赤く、青よりも青い。
「まだありますね。3年の時。これは、音楽の先生ですね。手取り足取り、懇切丁寧に優しくされたら、誰だって好きになりますよね」
うるさい、それ以上言わないで。
「まあ、その人も無事、結婚されたそうですけれど」
どうして、今まで好きになった人の結末を言われなければならいないのだろうか。
「そして、6年生。今度は、初めての年下ですか」
やめて、それ以上は。
「同じ図書委員で、真面目な子で、良いですよね。僕も好きです」
うるさい、黙って。
「でも、この子今じゃ、誰とでも交えられるほどの子に成長したようです」
どれだけ、私の心をえぐれば。
「そして、中学2年。これは、頑張りましたよね。デートまでして、楽しく行けたのでしょう」
もう、やめてよ。やめて、ください。
これ以上、ほじくらないで。
「そこで、君は」
私の中の『何か』が、私の体から離れていくのを感じた。遠のく意識の中で見たそれは、余りにもおぞましく、汚れた、濁りの塊だった。
真っ黒で、どす黒い。
気持ち悪くて、気色悪くて、汚らしい。
「同性愛なんて、ありえない。って言われたんだよね?」
そして、『世界』は、私を飲み込んだ。
『それは、おかしいんじゃない? まあ、漫画とかであるけれど、それって漫画の中だけでしょ?』
昔の言葉だ。
友達だと思っていたその子からのそれは、余りにも鋭く、私の心を貫いた。
『だって、普通、女の子が女の子を好きになってならないもの』
衝撃的ない一言は、いつまでも離れずにいる。
まるで、綴じきれていないホッチキスのように。
刺さりっぱなしで、抜けない。
『まあ、否定はしないけれど。色んな人がいるって聞くし。同性愛、両性愛、無性愛、非性愛。理解はするし、認識はするけど、共感はしないかな』
きっと、傍らで聞けば、割と常識的な答えだったのだろう。
知識として知るけれど、共感はしない。
割り切った彼女の立ち方に、だれが反論できようか。
それでも私の心はすでに傷ついていた。
私は、おかしいのだ。
『友達としてなら、一緒にいられるけれど、恋人としてはちょっと。ってことだけだから。嫌いってわけじゃないし、嫌うってわけじゃない。人として好きだし、尊敬もする。ただ、恋人は違うかなってだけだから』
彼女の優しいフォローも、私には届かなかった。
それが、この世界の始まり。
「それが、何だって言うんです? その子に言われたってだけで、法律で禁じられているわけじゃないんだし、別に構いませんよね?」
私は、続ける。
「別に、男性がだめってわけじゃない。ただ、女性の方が良いってだけで。可愛いなって思って、もっと知りたいって思って、もっと隣にいたい、もっと彼女の為に生きたい、もっとあなたの為に、もっとすべてをささげたい。それが私の幸せ」
それが、本心だった。
他の誰でもない、私が抱える、私だけが持つ、世界の核。
「可愛い女の子を、愛でたい」
たった、それだけのことだった。
「……しまった」
彼が呟く。それより先に私は立ち上がっていた。
もう私に意識はない。あるのは、本心のままに、本能のままに、あるがままに生きようとする、魔物に憑かれた肉体だけだった。
視線を下ろすと、彼女―うてなさんは、腹を抱えて倒れていた。
血だまりができるほどの、怪我をしていた。
それすらも無視するほどに、もう私は狂っていた。
「それなのに、それだけなのに」
私は、彼の頭をつかんだ。そのスピードは私でも驚くくらいに速かった。
「何が間違っているだ。何がおかしいだ。何が狂っているだ。ああ、嫉妬だってするさ。どうして私の恋は―愛は、認められないんだろうって。羨望のまなざしだって見せるさ。私だって、あんな風にいちゃいちゃしたいなって。怨恨だらけだよ。常識に縛られた奴を片っ端から恨んだよ。お前らのせいで、私が苦しい思いをしてるんだって。何が平和だ、何が平等だ。うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、黙りやがれ、クソ野郎ども」
私は、関係ない彼に怒鳴りつける。
それでも彼は笑っていた。
「ごめんな、僕ヒーローじゃないからさ」
彼は涙ながらにそう語る。
「募らせる前に、助けてやれなくて」
……どうして、この人は。
小学校も中学校も違う。
そんなやつが、どうして。
「なんで、お前が泣くんだよ」
私は、心の底から沸騰する何かに驚いた。
「だって、苦しい思いをしたんだろ? 泣かないわけないでしょ」
「でも、お前には」
「関係なくとも、共感はできるんだよ」
共感、共鳴、共調、共同。
「……」
「僕は、そういう世界に生きているんだ」
「……」
「いいよ、思いっきり僕で、その恨みを晴らしてくれ」
どうしてこの人は。
こんなにも優しくて、強いんだ。
私は、彼の胸でひとしきり泣いた。
縛られて、苦しくて、痛くて、苦くて。
そのすべてが、融けていくようで。
私は、全てを彼に委ねた。
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