1.汽車は春の丘を越えて

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 昨日の朝、自宅で切ってもらった髪も軽い。 「貴方は、貴方のしたいようにしたらいいのだから」  切り落とされたばかりのハツキの長い黒髪を揃えながら母親は言った。その髪は、今度の秋の大祭のための(かもじ)にされる予定だった。 「心置きなく楽しんでらっしゃい」  きっと、母こそが一番それを望んでくれている。  そのことを解っているからこそ、そう言って自分を抱き締めてくれた母親の腕の中でハツキは黙って頷いて返したのだ。  そして昨夕、出発の前に寄ったカザハヤの屋敷で会った曾祖母も、髪の短くなったハツキの頭を撫でながら出立を言祝いでくれた。  ハツキも王都ヴィレドコーリでの新しい生活に不安はある。それでもそれを上回る期待も持っていた。  ほんの些細なことでいい。  何か楽しいことがあってもいいだろうという希望もある。  いつしか葡萄畑が広がっていた景色から目を離し、ハツキは座席の背に凭れて腕で両目を押さえた。  周囲にどんな思惑があろうとも、最終的に今回の進学を決めたのは自分自身だ。そのことに後悔など一切ない。  けれど抗いきれないものがあることもまた、ハツキにははっきりと解っていた。
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