002 問題提起

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002 問題提起

「じゃあ、お疲れ」 相も変らぬ担任の、スピーディーなホームルームを終え、僕は帰り支度を始めていた。来週行われる定期考査で勉強する科目を選定していると、唐突に後方から声が聞こえた。その声は、最近聞いた声なので、簡単に判別することができる。この、少しだけ扇情的な声色は、僕の心を癒す。 「ねえ、ちょっといい?」 指を添えるようにして呼び止めるあたり、彼女の優しさが窺えた。あるいは、僕への好感度がうかがい知れた。 「何でしょうか?」 周りの人々は、僕らを見ていない。 まあ、それはさすがに自意識過剰なのだろう。たかがクラスメイトの会話である。それがたとえ、はじっこ勢同士で、しかも異性だからと言って、はやし立てるほど幼稚でもない。 『もしかして、付き合ってるのかな?』 『あのゴリラと? ありえないっしょ』 『マジかよ。クラス1位の美女なのに』 『おまえ、先生推しだったじゃねえかよ』 そうでもないらしい。 周りの声はさておくとして、僕に何か用があるというのは、つまりは相当重大な用であることを意味する。なぜなら、僕に声をかける意味が、それ以外にあり得ないからだ。 「フリースペースまで」 彼女は、そう言うとすぐに去っていった。 僕もまた、少しだけうるさくなった教室を後にした。 廊下に出ると、いつもより明らかに静かだった。 静寂というより、沈黙の方が近い。 何故ならそこには人っ子一人いなかったからである。 「先輩」 「未桜でいい」 「未桜先輩」 僕の予想通り、先輩の仕業らしい。 面倒なことに巻き込まれたなと思いつつも、振り返る。 すると、彼女はいつもとは違う雰囲気を醸し出していた。銀色に近い髪の毛が、結われている。しかも、二本。ただ、それはツインテールというわけではなく、おさげだった。 おさげと言っても、それは首からぴょこんと顔を出す程度の長さだった。 「どう……かな」 もっと大切なところを描写していないことに気づいたのは、僕が先輩と話し始めて少し経ってからだった。 「可愛いと思います」 「どの辺が?」 厳しい追及にも、「全部です」と躱す。 「全部ってどこ?」 躱し切れていなかった。まあ、先輩のことを褒めるのが嫌なわけがない。むしろ、させて頂いて感謝したいところだ。 「今までの可愛さに、更にその新しい髪型がマッチして、めっちゃ可愛いです」 「……」 照れた。可愛い。 「ありがと」 呟いた4音は、僕の耳にこびりつき、僕は本能的に離さなかった。ただ、どうして僕に店に来たのか、はなはだ疑問ではあった。 「でも、どうしたんですか?」 「実験結果を聞こうと思って」 「そっちじゃないですけど、まあいいです」 僕は、唐突なイメチェンを訊いたんだけどなぁ。 「結果として、まだ具合は悪くなっていないです」 「そう。ならいいわ」 彼女はそう言うと、制服のスカートをふわりと浮かせ、静かに去っていった。 辺りは喧騒を取り戻していた。 「今のところ、順調……かな」 手足を確認する。色合いも特に異常なし。次に、呼吸を確かめる。またしても異常なし。 「よし、行こうか」 僕はそう呟いて、待ち合わせであるフリースペースへ向かった。 「にしても、なんなんだろうな」 あれから。 あれから、僕らはほとんど会話を交わしていなかった。隣の席でも、班が同じになることもなかったので、それくらいは当たり前かなとは思っていた。 だから、正直言って忘れていたといっても過言ではない。 否、忘れていたというのは間違いだろう。なぜなら、あれほどの体験をしたにもかかわらず、それを忘れられるほど僕は薄情ではない。と、思いたい。 だから、忘れていたというより心当たりがないと言った方が良いのかもしれない。 そんな、訳の分からない、必要もない自問自答を繰り返しているうちに、僕は移動を終わらせていたらしい。 目の前にはフリースペースのドアに寄り掛かる子村さんがいた。 「5分遅刻」 「あの、時間指定はなかったと思うのですが」 「遅刻は遅刻」 「さいですか」 適当に謝りつつ、僕らはフリースペースへ足を踏み入れる。 なんと、今日もまた誰もいないのである。 フリースペースに対する僕の見解が、いよいよ怪しくなってきた。あれ、いつもだったら結構いるはずなんだけどな。掃除の時とか、よく見かけるんだけどな。 まあ、いない分には問題ない。 もしかすると、彼女からの呼び出しはそういう案件かもしれないからだ。 そういう案件。『世界管理人』としての仕事。 「お茶淹れましょうか」 僕の渾身の気遣いは「要らない」の一言で無下にされてしまった。まあ、彼女のことだ、悪気はないのだろう。 切り替え、切り替え。 切り替えて、僕は目の前に座る彼女に問いかける。 「それで、どうしたんですか?」 彼女は少しだけ間をおいて、そして僕が自分用に淹れたお茶を飲もうとしたその時、口を開いた。 「あなたは、神を信じますか?」 唐突な質問に戸惑った。 どれくらい戸惑ったのかというと、飲んでいたお茶を噴くほどに戸惑った。辺りがお茶まみれになる。幸いにも、子村さんにはかかっていないようで、僕は彼女の、僕に対する憐みの視線を浴びながら机を拭いた。 「ごめんなさい、こんな突拍子もない話で」 「いえいえ、こちらこそ。汚いものを見せてしまってすみません。……それで、具体的に、神とはどういうことなのですか?」 彼女は少しだけ考える。そして、ああでもない、こうでもないと考えを巡らせながらも、今ある情報を必死に伝えようととぎれとぎれの回答をしてみせた。 「何と言いますか……。圧倒的で、絶対的な才能を持っているというか。誰も抜くことができないというか。事件や事故、自然災害すらその人を止めることができない。自分ですら、自分の才能の、本当の力を知らないというか。だから……テストや、コンクールに出場している最中に成長するというか。絶え間なく伸びていく才能の持ち主と言いますか……」 彼女の言葉の端々には、皮肉が混じっているような気もした。 「つまり、天才を超えた存在ということですか」 「ええ。人間の範囲を大きく外れているといっていいと思います」 そんな存在が、はたして存在しうるのだろうか。 個人世界(パーソナルワールド)は、自分の思う通りに動かすことができる。しかしそれは、他の世界からの阻害を受けないときだけである。だから、何でもかんでも叶うわけがない。 「でも、その人は、自分では何もしていないのです。だから、その、つまり、」 詰まらせながら紡いだ言葉は、想像を逸した。 「本人でも分からないのです」 人は、自分の想像をはるかに超えるものを、神と例える。 例えば、自分では到底出来そうにない、スポーツのスーパープレイ。例えば、やろうとしてもなかなか勇気の要る慈善活動、あるいは他人への態度。例えば、自然災害の中の奇跡。 そして、世界の創造。 そして、その神と崇められている側は、自分のことを神とは思っていないこともある。 人間として当たり前。努力したらできる。 そんな風に考えるのだ。 個人世界の大きさというのは―つまり、影響度はどれくらいの関連性があるのかは定かではない。たぶん、それは思いの強さということなのだろうと僕らは結論付けているが、それにしても何の数字的データもなければ、根拠となる証拠はほとんどない。 過去の事例を見て、傾向としてそうなっている。 それくらいのものなのである。 帰路に就いた僕は、彼女から渡された紙切れを読みながら、ずっとこんなことを考えていた。 これは、掛け算なのかもしれないと。 人間として当たり前、努力したらできる、という思考の持ち主が、誰よりも上手になりたいと強く願うことによって生まれた世界。 だから、彼にとっては普通のことで……。 普通で、普遍で、並のこと……ではない。 「彼を、助けてください」 紙切れの裏には、そんなことが書いてあった。 紙切れに書いてある内容は、彼の住所らしい。 意外と近いということもあって、僕は一度帰らずにその家に立ち寄った。彼の家は、蔦が囲うアパートの角部屋らしい。 幽霊に出くわすのではないかという心配をしながら、僕はアパートの敷地に入っていく。 どうして幽霊に出くわすのかと言えば、それは今が、逢魔が時だからである。 というか、古典のテスト範囲に、そんな話があったのだ。 「改修でもすればいいのに」 これほどまでに、時代に取り残されたアパートは、もう取り壊す以外の道は無いのだろうか。 そんな憂う気持ちを持ちつつ、僕はチャイムを鳴らした。 「……どちら様ですか」 ドアが開いた。少しだけ開いたその隙間から見える景色は、とんでもなくアバンギャルドで、それでいてクラシックな、もう自分でも分からなくなるくらいに美しかった。 何かを、何かを、代価を、支払わなくては。 「あ、あの、子村さんの、友人の」 見れば見るほど魅せられる世界。僕の眼はいつの間にか焦点を失った。代価だけでは足りない。もっと、もっと納めなければ。奉納を、上納を。 「瀬川、瀬川十哉といいます。あ、あの」 僕の命で足りるだろうか。 いや、そんなものではいくらあっても納めきれない。 「やっぱりか」 すると、部屋の住人はすぐさま外に出てきて、ドアを閉めた。 僕は、なんとかして正気に戻ることができたようだ。 しかしながらどうだろう。2階に位置するこの部屋と壁との位置は法律的に大丈夫なのかというくらい狭く、そして勢いよく飛び出した彼はそのまま僕を抱きしめる格好になってしまった。 そこで、初めて彼の容姿がはっきりする。 190㎝はありそうな、細く長い体型。若干生やしている髭。普段から煙草を吸うのか、服や息はヤニ臭いが、それこそが彼の格好良さを際立たせている。だらんとした服装。ビーチサンダル。 かれこそが、今回の案件の中心人物。 牛飼トオルだった。
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