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003 牛飼トオル
「君は、明奈ちゃんの友達なんだっけ」
コーヒーに砂糖をいれながら、彼は切り出した。
あの後。
僕らは、彼の家に当然入れるわけもなかったので、近くの喫茶店に入ることにした。彼は、何の荷物を持たぬまま外に出たので、『おごりなのだろうか』と若干心配したが、それは杞憂だったようで、彼はズボンのポケットの中に、唯一千円札だけ入っていた。
「なんかあった時の為にね」
その言い訳を、彼はたばこにも用いた。
街を歩くと、彼への視線が無くなることは無かった。身なりがなっていないといわれてしまえば確かにそうなのかもしれない服装だったし、それ以外にも整っていないところが多々あるからだろう。あるいは、彼が有名人だからかもしれない。
住民の視線をかいくぐり喫茶店に入った。
レトロな雰囲気の店で、個人経営なのかこぢんまりとしているが、その分だけ
コーヒーが美味しいと噂の店だった。
商品はすべて黒板に記されているところからも、その雰囲気は存分に味わえた。
「すみません、ここは禁煙なので」
店員さんにそう言われたときは、残念そうな表情を浮かべたのだが、「そうですか、分かりました」と笑みを浮かべるあたり、良識のある方らしい。
ここで、僕はしてはいけないことをした、と気付いた。
僕は、見た目から、常識がない人と思い込んでしまったのだ。芸術家への偏見も加味されて、僕は彼をそんな風に見てしまった。
「まあ、こんな仕事をしていたらそんな風にみられることも多いから。あんまり気にしてないし、気にしないで」
彼は、コーヒーをすすりながら、まるで僕の心を読むようにそうった。僕は、なにも返せずにいた。
「でー、君は明奈ちゃんの友達なんだっけ」
彼は、純粋な笑顔を見せてくれた。僕は、それに乗じる形で、「はい」と答えた。
「子村さんとは、同じクラスでして」
「そうなんだ。仲良くしてやってくれな」
「もちろんです」
店内は僕らしかおらず、喫茶店の雰囲気に合った02GMが静かに流れているだけだった。
「あの、少し気になったのですが」
「僕は既婚者だよ」
「いえ、そういうことじゃ……へ?」
驚きつつ、僕は彼の左手を見る。
「ああ、指輪は普段外しているんだ。仕事においては、ちょっとだけ邪魔だからね」
彼の苦笑いで、それが本当だということが分かった。
「僕は、子村さんとの関係を知りたかったのですが……」
正直言って、これは大きな収穫だったのかもしれない。彼が既婚者であることから考えて、彼が作り上げた世界ではない可能性が、ほんの少し生まれたからだ。
「ああ、明奈ちゃんとはおじさん・姪っ子の関係だよ。僕の妹の娘ってことかな」
なるほど。どうりで苗字が違うわけだ。
国の数だけ法律があるように、結婚時の苗字に関して、多種多様森羅万象ありとあらゆる法律があるようだけれど、僕らの国は基本的に男性の苗字に合わせる。もちろん、女性の苗字に合わせることも許されているし、現にしている人だっている。ただ、一般的に男性の方が多いということだ。それについて深く掘り下げようとすると、それはもう歴史的な話になってしまうので割愛するが、とりあえずは基本、男性の姓に合わせる。
だから、苗字が違ったのだ。
多分、子村さん――子村明奈さんのお母さんの旧姓は牛飼だったのだろう。
「そうなんですね」
状況がはっきりしたところで、僕は熟考する。
「それにしても、大変だね」
彼は、唐突に嘆息を漏らした。
「どうしたんですか?」
「君のことだよ。僕なんかと関わっちゃって。しかも、こんな問題を押し付けられちゃって。君は、何か探偵みたいなことをしているのかい? 学校とかで」
「いえ、そういうことではなく」
世界の説明をしようか、僕は少しだけ迷った。
答えは、最期まで取っておくべきなのかもしれないが、しかしながらこれは答えではなく前提条件だ。
よし。
「長くなってもいいですか?」
「どうぞ、お構いなく」
彼の快諾を受け、僕は一通りの説明責任を果たす。
個人世界。それは、自分が生きていく世界であり、自分に生きやすいように作られた世界。
誰かにある程度干渉されながらも、それぞれの世界は確固たるもので、世界を持たない人はいない。
「なるほどねぇ。僕は、つまりその世界を作り上げてしまったのかもしれないってことなのか。だから、永遠に成長し続けるのか。自分が強く望んだからってことか」
彼は、すぐさま納得してくれた。
それどころか、僕がなるべく話さないようにしていたことまで、バレてしまった。
「明奈ちゃんは、それでお世話になったんだね」
「……」
勘が鋭いというのは、仕事と関係するのだろうか。周りを見る力。すべてを描く力。想像力、創造力。
「まあ、こんなところで考えていてもらちが明かないだろうし。なんかあったらここに連絡して」
外を見ると、もう暗闇に呑まれていた。
「もうそんな時間でしたか」「高校生なんでしょ? ちゃんとまっすぐ帰りなよ」「もちろんです」「じゃ、お先に」
そんな会話の後、彼と別れた。
僕は真っ直ぐ家に帰る。
熟考しながら、長考しながら。
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