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005 推理
僕もそのまま寝てしまおうかと思ったけれど、目の前の惨状を目の当たりにすると、やはりそういうわけにもいかなかった。
瓶の片づけ。つまみの整理。佐渡島まどかの移送。
どれからやろうかと悩んでいると、こんな夜に似つかわしくない、荒れた音が響いた。音のする方を向くと、それは今にも壊れそうなドアを目の前にして、ああでもないこうでもないと試行錯誤している音だった。
音の主が分からない以上、迂闊に開けるわけにもいかない。
か弱い女性がいる以上、迂闊に開けるわけにはいかない。
彼女が飲んだ瓶を持ちながら、ドアに近づく。
すると、ドアの向こうから声がした。
その声の主は、紛れもなくまごうことなきうてなだった。
「あ、私ですー。開けてくだせえ」
「……」
どうして彼女―外村うてなは、鍵を持っていないのだろうか。
どこかで落としてしまったのなら、それはもう庇いきれないほどの大惨事なのだが。
「あ、鍵ありましたー」
どうやら、酔っぱらいよりも考えずに生活しているやつがいたようだ。もしかして、ソファで惰眠を貪る彼女よりも本能で動いていないだろうか。
「ただいまでーす」
機嫌よさげに帰ってきたと思ったら、手に持っていたのは大量の石だった。
「いやあ、大漁大漁。まさか、この町にこんな埋まっていたとはね」
二人がいなかったのは、この為だったのか。世界に関する悪だくみというのは、日に何個もあるわけではないのだが、今日はたまたま重なって起きたようで、彼女は玄関先で突っ伏した。
「ここで寝るなよ」
「じゃあ、運んでー」
ここには、もっと無防備じゃない女性がいないのか。
「信頼してるんだよ」
そんな信頼だったら、無い方がましだ。
ある程度の距離感というのは、人間関係にとって最も必要な物であり、その距離感を間違っては社会では生きていけない。慎重に見極めて、しっかりとした距離を「はいはい、分かりました、分かりました。ちゃんと歩いていきますよーだ。もう、うるさいなあ。ちょっと甘えただけじゃない。だいたい、考えすぎなんだよ、君は。別に気にしてないよ、誰も。むしろ、気にしているんだって引くよ、一般人は」
彼女は、僕の思考を遮って説教を始めた。
あれ、僕の方が怒られてねえか、これ。
「さっとやってくれれば、惚れたのにな」
彼女はすっと立ち上がり、むすっと不機嫌なまま、広間まですたすた歩いていった。その後ろ姿からは、全力の「ばーか」が聞こえてくる。しかし、それがどんな理由でそうなっているのか僕にはわからなかった。僕はそれほどまでに、馬鹿で阿呆なのだ。
「はぁ」
何も言えない自分に対する嫌悪が、にじみ出る。ゆっくりと彼女の後ろを追って広間へと戻った。
「くさっ!」
悲鳴を上げたのは、うてなだった。
「相変わらずだよね、まどかさんは」
うてなと僕で、片づけを完了させた。いくら汚れ切った部屋とはいえ、たかがタバコと瓶ビールくらいで、時間もそんなにとられまいと思ったが、それは全くの見当外れだった。
まさか、30分かかるとは。
そして、片づけを終えた僕らはとある一室の前で対立していた。
「一緒に入ろってば。お湯勿体ないじゃん」
「だから、いくら何でもそれは一線を越えてる」
僕らの家の浴室は、典型的なユニットバスだった。
「もしかして、私に見られたくないの? 思春期?」
「見られたくないんじゃない。見たくないんだ」
ずっと握っていた手首を、ようやく彼女は離した。
手を見ると、青白くなっていた。彼女の握力に、青ざめた。
「割とショック」
え、そうなの?
「カーテン、引くから。それでいい?」
「どうしてそんなに一緒に入りたがるんだ。欲情してんのか」
「違うし。君の悩みを聞いてやろうと思ったんだし」
……僕って、そんなにわかりやすい?
自分の癖は自分では分からないとはよく言ったもので、僕がそんなにも悩んでますとアピールしている人だとは思ってもいなかったけれど、こんな連続して当てられてしまうと、認めるしかなかった。
「いやまあ、勘なんだけど」
彼女の勘ほど正確なものは無い。
「だったら、勘で全部言い当てみろよ。全部合ってたら、一緒に入ってやる」
すると、彼女は途端にやる気を出した。笑顔が可愛い彼女だが、真面目に思考する彼女もまた、一見の価値ありなのだ。
彼女の居間の状態を見て思い出したが、僕は最近とある性癖が目覚めつつある。性癖という言葉は、本来、性に限定された言葉ではないという言い訳はさておくとして、僕には新たな性癖が産まれた。眼鏡に次ぐ、2つ目の嗜好。
それは、思考中少女だ。もちろん、思考中女性でも構わない。
とにかく、何かに関して一生懸命考えている姿が、僕にはとても魅力的に見えるのだ。これは、扇情的な方ではなく、単純な魅力として存在している。
こうしている間も、彼女はまだ思考中であり、僕の心は踊らされるばかりなのだ。
「一つだけ質問してもいい?」
彼女は、真剣な瞳で、僕に尋ねる。
「いいけど」
動揺を隠しつつ、僕はぎこちなく応答する。
「それは、先輩と関係していますか?」
先輩とは、猪口未桜先輩で間違いないだろう。どうして彼女の名前が出たのか定かではないが、それ以上のヒントを与えてしまっては勝負の結果は火を見るよりも明らかになってしまう。
ここは、事実だけを伝えるのだ。
「いいえ」
「なら、分かりました」
右手をピンと張って、彼女は気持ちよさそうに、スッキリ爽快に、手を挙げた。
「いやあでも、そんなこともあるんですねぇ」
「何のことだよ」
「その結末ですよ。まあ、まだ勘ですけど」
「聞こうじゃないか」
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