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10年の月日が流れ、彼は社長になった。いや、それだけではない。彼は人類にとっての英雄となったのだ。
彼はあの事件以来、鼻水をどうにかしたい、という思いを抱き続けていた。しかし、どうもいい案が浮かばない。それは彼が少しアホなせいでもあるが、そもそも常人は、鼻水からなにかを生成しようとは思わないだろう。彼の常人でないという点、それが今度はいい方に働いたといっても過言ではない。そして、彼の頭にはとんでもない考えが浮かんだ。―『鼻水』から『エネルギー』を造り出す、それが彼の一世一代の大プロジェクトの始まりだった。
彼にとって幸運だったのは、彼が資産家の息子だったということだ。彼には十分な資金があった。それ故に、彼の能天気な性格が出来上がったといっても過言ではないだろう。働かなくて良い、その余裕が今の彼を作り出したのだ。勿論親の金だが、それは彼の金であることに代わりはない。いずれは彼が継承する金だ。
つまり、彼は金の心配をしなくてよかった。が、それを上回る欠陥が彼にはあった。それは、何度もいうように、彼の頭が足りないことだった。どうも勉強ができない。まるで宝の持ち腐れを具現化したような男。このままではプロジェクトは失敗だ。そこで彼は賭けにでた。研究者を雇うことにしたのだ。彼は不安に思った。自分に賛同し、この徒労に終わる可能性が大いにある研究を行ってくれる研究者がいるのだろうか……。
彼はとりあえず、大学の友人、華宵院夏樹に相談することにした。結果的に、この華宵院に相談したのが彼の最大の成功だった。
「面白いね、それ!僕がやろう!」
華宵院は大いに乗り気だった。しかし、彼は戸惑った。別に相談にのってもらうだけで、正直、この研究者でも成功するかも分からない研究を、いくら友人といえども、一介の大学生に任せる気は無かったからだ。
が、そんな彼の思いとは裏腹に、華宵院は勝手に研究を始め、どんどん成果をあげた。初めの頃はどう断ろうか考えていた彼も、段々と華宵院に任せてみようか…という気になり、華宵院の研究の資金援助、環境整備を彼なりに精一杯やった。
華宵院の懸命な姿を見ているうちに、彼は少しずつ変わり始めた。自分で働き、華宵院の研究を援助したい、という思いが湧いたからだ。それから彼は親の遺産をあてにしていたとは思えないほどになった。始めたバイトに精をだし、落としそうだった大学の単位もしっかり取得した。大学卒業後も大手の企業に勤め、貯金をするようにもなった。勿論、それは日々の華宵院の研究費の残金で、大きな額ではないが、彼の努力は無駄ではなかった。そして、華宵院の努力も。
卒業から20年が経った。長い研究の間には、多くの困難と挫折があった。が、華宵院はそれらの障害を乗り越え、遂にそれをやり遂げた。華宵院からその報告を受けたとき、彼は大きな声で泣いた。長かった。余りに長かった。が、ようやく彼は、いや彼らはここにたどり着いたのだ。
華宵院の研究論文は認められ、新時代を担うエネルギーとして、科学の世界をどよめかせた。このエネルギーの完成は、人類の成功として後の世で華宵院を『エネルギー創造の父』と呼ばせる原因となる。彼はすぐさま華宵院と共同名義で会社を立ち上げ、社長の座に就いた。
汚染物質も温室効果ガスも出さない、地球にも人間にも優しい鼻水エネルギーは、多くのものに活用された。世界のエネルギー問題、それに伴う環境問題は、どんどん解決していった。融和によってもたらされた心の平穏は世界の平和に繋がっていったのだ。平和な世の中。人々の永遠の願いを、鼻水エネルギーは実現させた。
彼はある雑誌のインタビューでこう答えている。
「成功の理由ですか?んー…、難しいな…ハハッ、強いていうなら良い友人を持ったこと、そして鼻水を恨んだこと、ですかね?」
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