番外編SS 冬の朝、暖炉のそばで

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 外は小雪が舞っているが、石と木でつくられた隠れ家の中は暖かく、裸でも寒さを感じない。腰布一枚のアピアンは濡髪を拭いながら暖炉の前を通りすぎる。広いが簡素な寝台の端に、やはり腰布一枚の男が座っていた。アピアンは男の膝にあるものに顔をしかめる。 「セルダン、そいつは何だ? ここに書類をもちこむとは無粋な男だな」  セルダン・レムニスケート、王国の防備を支えるレムニスケート一族の嗣子で、アピアン王子の専属武官でもある男は、顔をあげてにやりと笑った。 「まさか。ただの楽しみです」 「楽しみ? 私の目を盗んで何を楽しむつもりだ?」  目の前に立った王子に膝の冊子を奪われても、セルダンの唇はかすかにあがっただけだ。他人の目がある場所では真面目な武官の顔しかみせないのに、ふたりしかいない部屋ではさまざまな表情があらわれる。アピアンは冊子を目の高さにもちあげ、題名を読みあげた。 「アピアン王子の捕物帳――ああ、最新号だな」 「もうご存知でしたか」 「いや。学院の試験も終わったし、そろそろ出るころだと思っていた」  友人が驚いたように目を見開いたのをみてアピアンは満足した。市井の出来事にくわしいことで評判の王子とはいえ、警備隊から情報を得るセルダンを出し抜くのは簡単ではない。 「アピアン王子の捕物帳」は二年前、アピアンがとある事件を解決したあと市中に出回るようになった物語である。最初は一枚紙の続きものとして瓦版と共に売られていたが、人気が出た結果まとめた冊子が出回るようになり、今回で三冊目である。アピアン王子の名を冠しているとはいえ王族の名誉を汚すものではないので、市中の屋台で勝手に売られている王族の絵姿と同様、王宮は黙認している。 「まさか作者をご存知なんですか?」 「おそらく王立学院の学生だろう。十中八九、回路魔術の専攻だ。師団の塔の印刷機を使っているからな。私に知られるのも気まずいだろうから特定はしていない」  アピアンは冊子の最終ページをめくり、綴じ部分に浮かぶ小さな星型の凹みをさした。 「塔の機械で製本するとこうなる。先日訪問したときに気づいた」 「印刷機は覚えていますよ。俺もそこにいましたから。しかしよく……」 「細かいところまで見ているって?」  アピアンは腕をのばし、小卓の方へ冊子を放った。無事着地したのを見届けてセルダンに向きなおる。騎士の厚い胸に手のひらをのせて囁く。 「むかし審判の塔で仕込まれたからな。細部の観察が重要なのだ。もう読んだのか?」 「いいえ」セルダンの腕がアピアンの背中にまわり、裸の胸と胸がぶつかった。おたがいの吐息があごをかすめる。 「あなたを待っていました」  唇が一度重なり、すぐに離れた。アピアンは鼻先でセルダンの頬をなぞる。 「先に読んでもかまわないが、結末を明かさないでくれ」 「もちろん」腰にまわったセルダンの手に力がこもった。「物語のあなたよりも本物のほうがいい」  今度は王宮でけっしてかわされることのない、長い口づけになった。セルダンの口が獰猛な獣のように襲ってくるのをアピアンは進んで受け入れる。舌がからまり、強く吸われて、腰を抱き寄せられたと思うと寝台にどさりと倒された。  アピアンは負けじとのしかかる騎士の首に腕をまわして口づけを続ける。こぼれた唾液で濡れたあごをセルダンの指がなぞり、アピアンの胸におりて、片方の尖りをつまんだ。唇からずれた舌が耳をなぶり、背筋にぞくりとふるえが走る。腰を覆っていた布はいつのまにか取り去られて、ふるふると立ち上がったアピアンの雄をセルダンの指がかすめる。 「あなたはいつも素晴らしい」 「……っ……おまえは……出し惜しみするな」  不意打ちに腰がびくりとはねた。対抗するようにアピアンは上にいる男の腰布をひきはがす。あらわになった怒張をみつめたとたん、欲望に尻の中がきゅっと締まった。  アピアンの両手を寝台に縫いとめて、セルダンの指と舌が両胸の尖りを愛撫する。堅くなった乳首をこねるように弄ばれて、しらないうちに声が漏れた。それ自体が生き物のようにうごめく舌が胸から腹へ下がってくると、アピアンの腰は期待に揺れてしまう。先端を咥えられる快感に呻いたのもつかのま、さらにくだった指に尻の割れ目をさぐられると、内側の繊細な襞が物欲しげにひくりとうずいた。  セルダン・レムニスケートはアピアンの私室に招かれる数少ない人間のひとりだが、こうして素肌を重ねられるのはレムニスケートの山荘を訪れたときだけだ。騎士はアピアンを寸前まで追い上げて、意地の悪い執拗な愛撫をくりかえす。潤滑油で濡れた指が一本ずつ、ゆっくりとアピアンの中をひらき、快楽の場所をみつけだして責めたてるのだ。 「ああっ……セルダン、セルダン……」  いつのまにかアピアンはうつぶせになり、獣のように騎士に尻を突き出している。ゆるゆると中を探る指が出て行ったとたん、ねだるように腰を揺らして、背後の男の欲情を煽り立てる。うなじのあたりで息をのむ気配がして、背中が熱い肌に覆われる。執拗な指で焦らされた体は騎士の太い肉棒をなんなくのみこんだが、心はさらに満たされることを望んでいる。それを感じとったようにセルダンが動いたとたん、真っ白い快楽がアピアンのひたいで弾けた。 「あっ、あああっ、セルダン、あっ、あ、あ――」  アピアンはうつぶせのまま、甘い快感に嬌声をあげる。耳朶を這うセルダンの舌が淫靡な水音を立てて、アピアンの頭から思考をうばう。心と体のすべてを明け渡すような長い絶頂を通りすぎ、気がつくと騎士の胸に顔をうずめてしまっていた。 「アピアン……大丈夫ですか?」  そっと髪を撫でる手を感じ、顔をあげると、おのれの唾液でセルダンの肌が濡れている。両足も腰も甘い余韻にふるえ、力が入らない。 「……ああ。ひさしぶりだったな」  冬祭りが終わり、新年を迎えて二日目の今日は、アピアンにとってひさしぶりの休暇でもあった。この一年は世継ぎの王弟アンダース殿下の体調が思わしくなく、政務の補佐で忙しかったのだ。  秋には王立学院の図書室で不審な火事が起き、学生に死傷者が出たこともあった。この事件をきっかけに、学院のアダマール師からは危険な魔術書の管理を厳重にすべきという提言が出され、学院の図書室と審判の塔の地下書庫に禁書の区域が設けられることになった。  良いこともあった。第二王子のメストリンは妻をめとり、無事男児が誕生したのだ。父王と妃はもちろん喜んだが、甥の誕生はアピアンにとってもほっとさせられる出来事だった。 「あなたは去年忙しすぎた。王立学院の方はどうですか?」  セルダンが毛布をひっぱりあげ、アピアンと自分を包むように広げた。心地よいぬくもりに覆われると自然にまぶたが重くなってくる。 「負傷した学生が回復するのには時間がかかるそうだ。話ができるようになったら騎士団と審判の塔から誰か派遣して、調査することになるだろう。アダマール師が采配される……」  ひたいを撫でられて、いつのまにか閉じていた目をあける。セルダンがけしからんといいたげに眉をひそめているので、なぜか微笑んでしまった。 「今はお休みください。あなたに何かあれば王国の未来は暗くなる」 「大げさだな、レムニスケート。アンダース殿下の容体は心配だが、メストリンもいるし、子も生まれた。それに私にはおまえがいる……」  話しているあいだにも柔らかな眠気がとばりのように意識を覆う。自分をみつめるセルダンの眸の色をアピアンはみなかった。  目覚めると窓覆いの下から明るい光が射しこんでいた。朝の時間はとっくにすぎて、隣で眠っていたはずの男もいない。もったいないことをした、と思いながらアピアンは体を起こした。枕の横には清潔な肌着が置かれ、横の小卓には水差しがあった。  暖炉は昨夜と同じように心地よい音を立て、すぐ近くで紙をめくる音がした。炉の前でセルダンが長椅子に座っている。膝の上に昨日と同じ冊子があった。 「なぜ起こさない?」  友人の肩越しにかけた声は自分でも意外なほど恨めしい響きをともなっていた。セルダンはパッと紙を閉じた。 「よくお眠りでしたから」 「おまえと過ごす時間を無駄にしたぞ」 「私はあなたの専属武官ですよ」 「二人だけでいられる時間だ――今回はどうだった?」  アピアンは肌着一枚で友人の隣に腰をおろし、冊子をとりあげた。『アピアン王子の捕物帳』である。セルダンは上から下まできちんと服を着ていた。肩に藁屑がくっついている。馬の様子を見に行ったにちがいない。 「殿下は城下に散りばめられた謎を解き、人々を騒がせた悪党を捕らえ、王都の平和を守りました。一件落着です」 「捕物帳の私は相当な切れ者らしいな」 「本物の方がいいといったでしょう」 「雪は?」 「ほとんど降らなかったようです。戻りの道も心配ありません」 「そうか……」  しりすぼみになったアピアンの言葉を引き取るようにセルダンがいった。「残念ですが」  アピアンは友人の腕をひき、自分の方を向かせた。 「何が残念なんだ?」 「道の悪さを口実にすればあなたともう一日、ここですごせる」 「そんなことをいうくらいなら――」アピアンは顔をしかめた。 「私をおいてさっさと起きたくせに、何をいってる」 「俺をおいて眠っていたくせに、何をいわれます?」  二人は顔をみあわせ、同時に笑い出した。しまいに黙ったまま肩をよせあって、炉で燃える炎をみつめる。黄色い火が樹皮をなめ、真っ赤になった熾がパチッとはじけたとき、どちらかの腹が鳴る音が響いた。セルダンが首をめぐらせて戸口の方を見た。 「そういえば食事が届いていますよ。そこの籠です」 「まさか、空腹で私を待っていたのか?」アピアンは呆れていった。 「おまえはいつもそうだ。待たなくていいのに」 「二人だけの時間は無駄にできませんからね」  セルダンはすました顔で答え、アピアンは吹き出しそうになった。 「それなら食事にしよう。私はこのまま、おまえは服を脱ぐ。王都に戻るのはそれからだ」 「ご命令ならいくらでも」 「もちろんだ。レムニスケート」  アピアンは隣の男に肩をぶつけ、伸びてきた手をにぎった。暖炉では薪が軽快な音を立てて燃えている。じゃれるような口づけは、最初は短く、二度目は昨夜と同じくらい長くなる。
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