挨拶式

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テラスへの横幅一㍍ほどの狭い道は、テラスから船内へ行く人々が我先にと押し合い、前へ、テラスの方へ行こうとする私達は押しのけられ、なかなか前へ進めなかった。波のように船の中へなだれ込む人々の表情は恐怖に満ちていた。 「もうおしまいだ…」 「なんでよりによって今日ここに…」 「家に女房と子供がいるってのに!」 ウォン ウォン ウォン ウォン ウォン サイレンが鳴り響く。 これは、この船の動力である魔石に何らかの異常があったことを知らせるサイレンだ。 怯える人々に、異常を来した動力。 この二つを繋げるのは、おそらく。 ゼルク兄様が人波をかきわけて柱の陰に移動した。 「シュルト!ダンク!」 少し離れていたところで同じように人波にのまれていたシュルト兄様とダンク兄様が、ゼルク兄様の声に気づいてこっちに来る。 「何か気づいたのか、ゼルク兄?」 ダンク兄様とシュルト兄様も、何とか私達がいた柱の陰までたどりついた。 元々運動するタイプではないシュルト兄様は、もう少し息がはずんでいる。 ふと、シュルト兄様の足から一瞬力が抜ける。 その途端、シュルト兄様は人波に押され、そのまま倒れ込みそうになった。 「ぅわっ」 「気を抜くな!」 ゼルク兄様が、私を抱いているのとは反対の手でシュルト兄様の手首をつかみ、引き起こした。 あ、危ない。 「いいか、よく聞いてくれ」 シュルト兄様とダンク兄様がうなずく。 「人々の様子や言動から考えるに、おそらく魔物、もしくはそれに準ずる生物がこの船に接近してきている。」 魔物というフレーズにシュルト兄様が少し青ざめる。 無理もない。こんなに人々が怯えるような魔物となれば、かなり高ランクのものである可能性が高い。 そうなると、この船にのっている人たちで戦って勝てる確率はかなり低くなる。 「そして魔石の異常だが、魔石の魔力に魔物が自ら干渉しているなら、少し知能の高い中級程度の魔物である可能性が高い。しかし…」 ゼルク兄様はそこで一度言葉を切る。 口にするのを躊躇うかのようにしばらくの間を置いて、再び口を開く兄様。 「もし、魔石の魔力が自ら反応しているのなら…間違いなく、魔力の高い高位の魔物だ。それも、かなり」 私がさっき考えていたことを、兄様も考えていたようだ。 シュルト兄様とダンク兄様が息をのむ。 「最悪の場合、」 ゼルク兄様のこめかみから冷や汗が一筋流れ落ちる。 「竜の可能性もある。」 竜。 個体によっては神をも凌ぐ程の力をもつ、地上において最強とされる生物。 「まじかよ」 ダンク兄様がぽつりと呟く。 「とりあえず、行きましょう!敵が何か、確かめないと!」 人々はもう大半が船内へ行ったようで、道にはもう一人も人はいない。 シュルト兄様がテラスへかけだし、ダンク兄様とゼルク兄様、それとゼルク兄様に抱えられた私も続く。 敵といえるくらい、戦えるくらいの相手だといいけど。 「志織ちゃんどこだー?」 …え? あれ? 今何か聞こえた? 懐かしい声が、聞こえた気がする…。 …気のせいか。 テラスに着いた。 おかしい。 周囲を見まわしても、魔物などいない。 …おかしいな。 ん? 船の右側の方向の二十メートルくらい向こうの、ある一帯だけ、少し黒い。 そのあたりだけ、海が少し黒いことに気が付いた。 いや、これは黒い、じゃなくて…くらい? 海の中だろうか。 でも、目をこらしてみても、海生の魔物どころか、イルカやクジラといった生物さえ見当たらない。 「…あ、」 私はあることに気づく。 下じゃない。 上だ。 暗い海の上空に浮かぶ雲。 その中の黒い影は、海の暗い部分の真上にある。 雲に浮かんだ影の形をよく見ようと目をこらす。 ワニのような頭。太く長い尾。そして、力強く羽ばたく翼。 その影は、その姿は、まぎれもなく竜だった。 これはどういうことかというと、想定していたうち、最悪の状況にあるということだ。 ここは海の上。港も近くにはない。船も見当たらない。 ということは、どこかに避難することもできない。 これじゃ太刀打ちする術なんてない。 不運だった。ただそれだけだ。 あーあ、せっかく転生してこっちの世界に来たのに。面白そうな事、まだいっぱいあったのに。ていうかまだ三才なのに。 もし転生しないまま前世の世界で「小野志織」として生きていたら、もうちっとましな人生をおくれてたかもしれない。少なくとも、竜に食い殺されて終わり、みたいな人生じゃなかったはずだ。 あー、くそ。 神様殴りてぇ。 責任とれよって一発殴りたい。 私一応被害者だし、一発くらいならいい…いやだめか。一応あいつも神様だしね。どこ行っちゃったんだろ。 と、完全に思考が「今回の竜と戦い、勝つ」という、元からないにも等しいことを諦めていた。 その時。 「グルァァァッ」 雲に浮かんだ竜の影が吼えた。 私は硬直する。 上空からの竜の咆哮に、周囲にいた人たちは恐怖で青ざめる。 ゼルク兄様が私が硬直したのを見て、怖がったのだろうと私を抱く手に力を込めてくれる。 しかし、私は恐怖で硬直したのではない。 先程の竜の咆哮。 なんだか、あの声に聞き覚えがあった。 すごくなつかしい。 三年前の記憶がふっとよみがえる。 ゴツゴツとした巨岩がならぶ、薄暗い洞窟。 砕ける大岩、露になる銀硝子。 意識が吸い込まれるように記憶にからみつく。 私の記憶の中で、黒い竜が咆哮を上げる。 そうだ、さっきの咆哮。 少し興奮したようなあの声には、確かに聞き覚えがある。 なつかしさと嬉しさと困惑とがまざりあって、訳が分からない。 心臓が音をたて、脈拍が荒れ始める。 竜が上空の雲を抜け出し、私が乗っている船の方へ下降してきた。 雲から出て、竜の姿が露になる。その竜は、夜を飲み込んだかのように黒く艶やかな鱗におおわれ、瞳は深緑だった。 私が、今世で会うことを楽しみにしていた竜に違いなかった。 そして、その竜の背中に乗っていた二人。 金髪の王子様風な美形で、しわのないベストとブラウス、ズボンに身を包んだ、十五才くらいに見える青年。 綺麗な白髪に竜と同じような深緑の瞳で、Tシャツに長ズボンの色白美形の少年。 どちらも、会う日を待ち焦がれていた人物だ。 竜が船の真横に並んで飛ぼうと、少し後方の水面スレスレで下降をやめ、スピードを上げる。 竜がテラスに迫る。 テラスにいる周囲の人々は、恐怖で、あるいはもう諦めて、一歩も動かない。逃げようともしない。もちろん兄様たちも同じ。 私は数十メートル後方からぐんぐん迫る竜を見つめて、まだ驚きで動けないでいた。 ウォン ウォン ウォン ウォン ウォン サイレンの音が激しく、船全体に響く。 ふと、竜と目が合った。 竜が驚きに目を見開く。 「ぐぉ!?」 その時、竜がバランスを崩した。 「あ」 声をかけるよりはやく、竜が頭から海に突っ込んだ。 飛散する大量の水しぶき。 「うわわわあばばげっほげっほ」 「あわわわたたっ」 ぼっちゃーん。 私達の船にも水しぶきが大分かかり、テラスの床は水浸しだ。 しかし竜の背中にのっていた二人の方が被害(?)は甚大だ。 少年より前にのっていた青年は、もはや滝と言った方がいいような水流にのまれ、かろうじて竜の背から落ちはしなかったものの、大量の水を飲み込み、むせ込んだ。 青年の後ろにのっていた少年は、青年が盾になったのでほんの少しマシになった水流にやはりのまれ、竜の背から落っこちた。 そして肝心の竜だが、海に突っ込んだかと思ったら、そのまま息を吸い込もうとしたのか「がふっ」とガッツリ水を飲んだ。 あちゃー。しょっぱいというか、辛そう。 「が、ぐるぁぁ!がぁぁっ」 慌てて自ら顔を出し、声を上げる竜。 そして必死に前足(手)で顔を擦る。 「が、がぁぁぁ…」 竜が闇に包まれ始める。 なんだろ? 闇が晴れると、そこには、やはり会いたかった少年がいた。 しっとりした綺麗な黒髪に深緑の瞳で、白髪の少年と同じTシャツに長ズボンの美少年だ。 そんなことを考えていると、少年が落下しはじめた。 ぼっちゃーん。 …。 テラスにいる人々は、攻撃してくるだろうと思っていた竜が船の横に並んで飛ぼうとしたところでバランスを崩し、海に落ちたというあまりに予想外の出来事にぽかんとして、普段冷静な態度をめったに崩さないゼルク兄様でさえも、竜が海に落ちてしまってからも立ちすくんでいた。 ざぱぁ 「げほっごっほ」 「ぜえ、はぁ…。」 「何してるんですか、ケイト…。」 船の下の方から聞こえた声に、ハッと我に返った。 「皆さん、武器の用意を」 ゼルク兄様が声をかけたので、テラスにいた人たちもハッとして、各々の武器を手に取った。 「あ、あのう…」 さっき声がしたあたりから、再度声が聞こえる。 ゼルク兄様がナイフを構えて声のした場所の真上の位置から身を乗り出す。 「何者だ」 「えっと、僕は、」 「兄様」 私が挙手すると、兄様は振り向かずになんだ、と聞いてきた。 「私もお話したいです!」 「だめだ。危険すぎる。」 即却下される。 むぅー。 あ、そうだ。 私は救命用のうきわの縄を船の柱に強く括り付け、うきわに入る。 船のへりに上って、っと。 「ソルナ⁉何を、」 シュルト兄様がかけよってくる。 つかまってたまるか! せーの、ジャンプ! イェーイ、バンジー! ぼちゃ。 e1175e4b-dbb8-491e-858b-0379747e50a6 へりから飛び降り、無事着水。 「あ…」 目を見開いた青年と二人の少年…否、神様、ケイト、リヒトと目が合う。 リヒトの目に涙があふれる。 「「「やっと会えた!!」」」 四人で笑い合…おうとした次の瞬間、私の体が物凄いスピードで船の上に引き上げられた。 引き上げられたと思った次の瞬間には、無表情で私からうきわを外すゼルク兄様の姿が私の目の前にあった。 「ソルレーナ」 「はいっ」 無表情で見下ろしてくるゼルク兄様。 え、怖い。兄様、怖いです…。 「自分は危険だと言ったはずだが」 声が冷たい。 嫌われちゃったかな…。 「話すのは確かにダメって言われましたけど、じゃあ海まで下りるのはいいかなぁと」 「言い訳」 「あ、はい」 「反省」 「はい」 だめだ、兄様強い。てか兄様怖い。 「…全く」 兄様がため息をつきながら、苦笑して私の頭を撫でてくれる。 「心配させないでくれ、頼むから」 兄様怖いとか言ってごめんなさい…。 「あ、ゼルク兄様ずるい!僕もソルナなでなでしたいです!」 ゼルク兄様がシュルト兄様の声に気付き、私をシュルト兄様に預ける。 「いいか、ソルレーナ。自分がいいと言うまで、絶対にシュルトから離れるな」 「はい」 私がそう答えたのを聞いて、ゼルク兄様は再びナイフを構え、リヒトとケイト、それに神様がいるところの真上に身を乗り出した。 「もう一度聞くが、何者だ」 「あ、はい。ええと…」 リヒトの声が聞こえる。 「えっと、僕はリヒトといいます。古代竜の光竜です。」 「古代竜!?」 ダンク兄様が驚きの声をあげる。 ゼルク兄様も、少し目を見開いている。 テラスにいる人たちがざわつく。 うん、まあ、そうだよね。 古代竜は、個体によっては神をも超える霊格をもつという、竜の中で最高位の竜だ。 「えっとそれで、こっちが双子の兄の、」 「…ケイトだ。」 「ケイトは、闇竜です。あ、もちろん古代竜の」 テラスの人たちが再びざわつく。 「それで、」 「ハロー!」 リヒトの声をさえぎり、能天気な明るい声が聞こえた。この声は、もちろん神様のものだ。 さて神様、なんて名乗るんだろ。 「神様だ」って名乗るわけにはいかないしね。変な名前だったら笑っちゃうかも。 まぁでも名前がどうこうはともかく、流石に神様もそのまま名乗っちゃダメだってことは分かってるだろうし、 「僕、神様だよー!よろしくー!」 コイツ、分かってなかった!! 「自分は神様です」って言ったってさ。まず信じてもらえないだろうし。 ていうか、むしろ逆に怪しいヤツだと思われるだろうし。 「そんなわけあるか」 「神様方を馬鹿にしているのか?」 ほらね…。 テラスの人々が口々に神様を非難する。 「全く調子に乗りおって」 「貴様、何様のつもりだ」 「え、神様のつもりなんだけど」 「減らず口をたたくな!」 「神様方に失礼だぞ!」 「無礼者め」 「いやだから、無礼もなにも僕神様…」 「Sⅰt!」 「いや僕God」 「黙れっ」 オウ…。 どうやら神様は本気で信じてもらえると思っているようだ。 「リヒト、ケイトといったな」 あ、ゼルク兄様神様スルーした。 「僕無視!?」 案の定神様が驚きと悲しみの声をあげる。 うん…まあ自業自得だな…。 「古代竜というのは本当なのか」 「あ、はい!もちろんです!」 リヒトの嬉しそうな声が答える。 「しかし、言葉だけでは信じ難い。」 まあそうだよね。 いきなり古代竜です、と言われても、にわかには信じられない。 「何か証拠を見せてくれ」 「え、証拠!?えぇと、えーっと…」 証拠、ねえ。 「あっ、そうだ!どなたか、鑑定ができる方は…」 「自分はできる」 ゼルク兄様が挙手をする。 なるほど、鑑定か。 …え?ゼルク兄様鑑定できんの!? というか、Lv所有者だったんだ。 一番最初のLvを獲得する、つまり1Lvになるのはそこそこ大変だときいていたけど。 ゼルク兄様スゲぇ…。 「しかし、先程鑑定した際には、妨害されてしまったのだが」 「あ、妨害スキル解除しますから。ケイト」 「ん」 「ちょっといいですか?」 シュルト兄様が止める。 「なんで妨害スキルを使用しているんです?」 「それは、街中で通行人とかに鑑定されてしまうと、竜だとバレて大騒ぎになりかねませんから…」 町行ったんだ。 いいなあ…。 「…ふむ、確かに古代竜だ。驚いたな」 無事信じてもらえたみたいだ。 よかっ、 「!?」 ゼルク兄様が目を見開く。 視線の先には、神様。 「人族…、神、霊格…」 呆然と呟くゼルク兄様、ざわめくテラス。 これは、なかなかに厄介ごとの予感がするような…。
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