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高校生になるまで、私は生きる意味が分からなかった。
私は元々人よりも劣っていることが多く、勉強も運動も苦手なら、得意分野の絵や歌でも私よりも才能のある友だちがいて、私はいつも"見て"もらえなかった。おまけに兄や周囲の友だちは全員優秀だったこともあり、比べられ続けたことが自身の劣等感に拍車をかけていた。努力しても無駄だと思っていた。
そんな私を変えたのが、ある友だちの言葉だ。
「人間みんな同じなんだから、やれば誰だって変われるよ。変われないんじゃなくて変わろうとしていないだけ」
「一度きりの人生じゃん。やりたいことやらなきゃ損でしょ?」
彼女は代々美容師の家で育った子で、自身も美容師を目指しているという。技術も知識も豊富だが、それは決して家族に習った訳ではなく独学で得たものだった。「美容師の子だから当たり前」と言われたくないから、自分の力で夢を叶えるんだと語っていた。
運動も勉強も、その子は何でもできた。
けれどそれは、彼女が何事にも全力で取り組み、人一倍努力を重ねてきたからだった。
高校一年の頃、私は初めて赤点の恐怖を経験した。理科が大の苦手だったのだ。
留年だけは嫌だと思って必死に勉強した。結果は70点だが、あの頃の私にとってそれはとても高く、そして嬉しい点数だった。
「やればできるもんなんだよ。君のペースで良い。期待しているよ」
先生は笑って褒めてくれた。
初めて"見て"もらえた。それから、分からないところがあれば何でも聞きにいくようになったが、先生方はいつでも親切に教えて下さった。
やがて私の「褒めてもらいたい」という気持ちは「良い点数を取って喜んでもらいたい」という想いに変わった。そしていつしか、「一人でも多くの人を幸せにしたい」と願うようになっていたのだ。
また芸術は、上手さで競うものではないと知った。油絵の師である方の作品を見た時、それは単に上手いだけではなく、様々な色が使われていたのだ。
「自分にしか造れない作品を造れ。それが創作をするということだ」
それを言われて、劣等感にも囚われなくなった。私にしかできないものを造ろうと思えるようになれたのだ。
気付けば苦手だった理科は大好きになり、今、私は森林療法という研究で認知症や精神疾患の患者を助ける夢を叶えるために大学へ通っている。いずれ被災地にも出向いて緑化活動にも取り組みたいと考えている。
私は、私のやりたいことで皆を笑顔にしたい。医療と創作、私の経験を活かして苦しんでいる人たちを癒そう。それが、変えてくれた皆へ、支えてくれた皆への恩返しだ。
それが私の生きる意味なのだと信じている。
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